洛陽夜曲

「どうせこのまま大阪に戻るつもりはあらへんのやろ?」


鈴華はただ、薄闇のなかで唇を噛みしめた。こぼれ落ちなかった
言葉の代わりに、重く冷たい沈黙が二人の間に横たわる。
その静寂が、彼の疑念をゆっくりと、
しかし抗いようのない事実へと塗り替えていった。


「うちの組の中にも在日の人がおるんや。そいつから顔役に繋いでやろか?」


鈴華の動きがふいに止まりその瞳に、戸惑いの色がさざ波のように広がった。
しばしの沈黙が、彼女の内なる葛藤を雄弁に物語る。
やがて意を決したように、彼女は固く閉ざしていた唇をゆっくりと開き
静かに言葉を紡ぎ出した。


「ありがたいお話ですが…
他組織の人間と接触する事のない様差配を受けていますので」


「…ひょっとして君も在日コリアンなん?」


「いいえ。私は香港生まれです」


彼女の出生の地の名を聞き、彼は少なからぬ驚愕を禁じ得なかった。
その表情の微かな影には、隠しようのない困惑が滲んでいた。


「ほう…そうやったんか。しかしコリアンと違うならここでツテものう探しもんをするんは無理や。不法就労ならなおさらやろ」


苦渋の色がその眉間に刻まれる。だが、唇は硬く結ばれたままだった。
彼女の口元に、苦い悔恨が微かな震えとなって滲んだ。
しかし、その熱が声となってこぼれ落ちる前に、彼女はそれを喉の奥へと静かに飲み込んだ。

銀色のケースから滑り出た一本の煙草に、彼は静かに火を灯した。
肺の奥深くまで紫煙を招き入れ、
肺腑を満たすその熱を慈しむように肺に留める。
やがて、迷いを振り払うような長い吐息とともに白い煙が夜に溶けていく。
彼は、隣に立つ彼女の肩へとそっと掌を預けた。


「そないにややこしゅう考えんでええんや。九条組は関係ない。俺個人が君に手ぇ貸す言うてるだけや」


「……見返り無しに人は他人に手を貸したりしません」


彼女の言に、彼はただ、苦い沈黙を笑みに換え少しだけ口角を上げた。