洛陽夜曲

「……京都に、来てくれへんか」

京司の声は低く、ひどく静かだった。
けれど、その響きには退路を断った男の重い決意が、沈殿物のように濁りなく溜まっている。

「えっ……?」

腕の中に閉じ込められたまま、鈴華の声が震えた。
一瞬、心臓が跳ねたのが服越しに伝わる。腕の中の小さな体温が、
予期せぬ言葉に弾かれ、小鳥のように微かに震えていた。

「俺の側にいてほしいんや」

——京司の唇から溢れたその言の葉は、鈴華の胸に戸惑いの波紋を広げた。
それは彼女にとって、あまりに無垢で、あまりに美しい福音。
幼子が聖夜に抱きしめる贈り物にも似た、至高の価値を帯びた響きであった。

「でも、私のこの身は……六穣会のものです」

微かに震える声。自分を一個の人間ではなく、組織の所有物としてしか、
彼女は己の輪郭を保てなかった。

「君は“物”なんかやあらへん!」

遮るように放たれた京司の言葉は、鋭く、そして熱かった。
彼女を縛り付ける透明な鎖を、
力任せに断ち切るような強さがそこにはあった。

「確かに、槇村会長が三合会から君を“購った”のかもしれん。やけどな、
君の命の行き先を決めるんは、いつだって君自身や」

京司の放った言葉は、鈴華の凍てついた意識を激しく揺さぶった。

“自分の人生は、自分のものである”——そのあまりに平穏で、
あまりに眩しい真理を、彼女は一度もその手に抱いたことがなかった。

否、気づく余裕などなかったのだ。
これまでの彼女の歩みは、ただ濁流に呑まれぬよう、
泥の中を這いつくばるだけで精一杯だったのだから。

生存という名の戦場に身を置く彼女にとって、あまりに甘美で、
あまりに遠いお伽話だった。

「君は…どうしたい?」

「私は…」

鈴華の端正な唇が、こぼれ落ちそうな感情を堪えるように、
微かな戦慄を刻んでいた。