洛陽夜曲

幾重にも折れ曲がる細路地の最果て、朽ちゆく廃屋の群れに
紛れるようにして、その店は息を潜めていた。

時の流れに取り残されたかのようなその佇まいに人の気配は感じられない。

外界との繋がりを断ったその店は、ただひっそりとそこに存在するだけの
ものとなっていた。

指先をかけた古びた扉が開く事はなく、ため息を吐くような重みで
沈黙を守っているだけだった。


「ガサが入ってからけっこうな時間がたってるさかいなぁ。
パクられたか体をかわしたか…」
※パクられ…逮捕される 体をかわす…逃亡する


揺らめく煙が彼の輪郭を曖昧にぼかす。
彼は指先の火影を見つめたまま、断続的な言葉を夜の闇へ放り投げた。


「サツんとこ行ってみるか?」
※サツ…警察


鈴華の唇はかすかに震え、迷いを噛み殺すようにして、
ようやく一筋の言葉を紡ぎ出した


「それは、、、難しいですね。彼女は不法就労の在日コリアンですから」


「在日か、、、」


彼らは決して「異邦人」ではない。

碁盤の目の隅々にまで張り巡らされた毛細血管のように、
この街の血肉となり、呼吸を共にしてきた。

光の当たる表舞台でも、影が落ちる裏路地でも、
その境界線はとうの昔に曖昧になっている。

「よそさん」と「身内」の狭間で、彼らはしたたかに、
そして雅やかに根を張った。

京都という唯一無二の織物を構成する、欠かすことのできない縦糸と横糸。
隣人という言葉では足りないほどに、彼らの存在は
この古都の記憶そのものに深く刻み込まれているのだ。


「、、、お店までお付き合い頂いてありがとうございました。お手間を取らせまして申し訳ありませんでした」


丁寧な言葉で感謝の意を綴じると、鈴華はそっとその場を辞した。


「ちょっと待ってなぁ」


去りゆく彼女を、彼の声が繋ぎ止めた。遠ざかるその背中が、夜の闇や雑踏に溶けてしまえば、二度と手繰り寄せることは叶わない。
境界線が消えてしまう直前の、ひりつくような予感が
彼の衝動を突き動かしていた。

彼女を呼び止めた理由を、理性はついに捉えられなかった。
それは彼自身の内側に潜む、名もなき空白が命じたことなのかもしれない。

去りゆく彼女の輪郭が景色に溶けてしまうことを、
彼の本能はどうしても許容できなかったのだ。