初秋の神野一家は、湧き立つような活気に包まれていた。
庭場では、目前に迫った秋祭りの仕度に、
組員たちが汗を流して立ち働いている。※庭場…縄張り
「ここが稼ぎ時やさかいなぁ」
その喧騒を、神野は目を細めて眺めていた。
その表情には、家長としての満足げな色が浮かんでいる。
「私にも、何かお手伝いできることがあれば」
鈴華が控えめに申し出た。
神野は彼女の真っ直ぐな瞳を受け止めると、柔和な笑みを湛えて応えた。
「せやったら……露店の手伝い、頼まれてくれるか」
周囲を埋め尽くす喧噪と、濁流のように過ぎゆく日々。
皮肉にもその慌ただしさが、鈴華の乾いた心に染み渡る水のように、
静かな癒やしを運んでいった。
京司のことを忘れた日など、一度としてない。
しかし、胸の奥底で燻り続ける慕情にそっと蓋をすることに、
彼女はいつしか――自分でも気づかぬうちに――慣れてしまっていた。
(あの人は、もう……。私のことを忘れてしまったかな)
ふと見上げた空の淡さに、彼女はあてどない自問をこぼす。
それはもはや、答えを求める問いですらなくなっていた。
けれども鈴華がふとした瞬間に見せる、影を帯びた横顔。
その瞳に一瞬だけ宿る、言葉にならない寂しさを、
神野は決して見過ごさなかった。
「……槇村の坊々のやつ…、とんだ貧乏くじを引かせおって」
独り言のように吐き捨てた言葉とは裏腹に、
神野は迷いのない手つきで筆を執った。
紙の上を滑る筆先が、静まり返った部屋にさらさらと柔らかな音を立てる。
書き終えたばかりの書状を手に取ると、
彼は部屋の外に控えていた部屋住みを呼んだ。
「これを京都の九条組まで届けてや」
差し出された書状には、まだ乾ききらない墨の匂いと、
神野の想いが滲んでいた。
庭場では、目前に迫った秋祭りの仕度に、
組員たちが汗を流して立ち働いている。※庭場…縄張り
「ここが稼ぎ時やさかいなぁ」
その喧騒を、神野は目を細めて眺めていた。
その表情には、家長としての満足げな色が浮かんでいる。
「私にも、何かお手伝いできることがあれば」
鈴華が控えめに申し出た。
神野は彼女の真っ直ぐな瞳を受け止めると、柔和な笑みを湛えて応えた。
「せやったら……露店の手伝い、頼まれてくれるか」
周囲を埋め尽くす喧噪と、濁流のように過ぎゆく日々。
皮肉にもその慌ただしさが、鈴華の乾いた心に染み渡る水のように、
静かな癒やしを運んでいった。
京司のことを忘れた日など、一度としてない。
しかし、胸の奥底で燻り続ける慕情にそっと蓋をすることに、
彼女はいつしか――自分でも気づかぬうちに――慣れてしまっていた。
(あの人は、もう……。私のことを忘れてしまったかな)
ふと見上げた空の淡さに、彼女はあてどない自問をこぼす。
それはもはや、答えを求める問いですらなくなっていた。
けれども鈴華がふとした瞬間に見せる、影を帯びた横顔。
その瞳に一瞬だけ宿る、言葉にならない寂しさを、
神野は決して見過ごさなかった。
「……槇村の坊々のやつ…、とんだ貧乏くじを引かせおって」
独り言のように吐き捨てた言葉とは裏腹に、
神野は迷いのない手つきで筆を執った。
紙の上を滑る筆先が、静まり返った部屋にさらさらと柔らかな音を立てる。
書き終えたばかりの書状を手に取ると、
彼は部屋の外に控えていた部屋住みを呼んだ。
「これを京都の九条組まで届けてや」
差し出された書状には、まだ乾ききらない墨の匂いと、
神野の想いが滲んでいた。
