洛陽夜曲

事務所の静寂は、
乱暴に叩きつけられたドアの衝撃音によって無惨に砕かれた。
戻ってきた槇村宏一の背中には、
隠しきれない苛立ちがどす黒い磁場のように張り付いている。
彼は逃げ場のない憤りをドアへと叩きつける。
乾いた音を立てて倒れ、床を滑る椅子――その無機質な音さえも、
今の彼の神経を逆撫でする。


「ど、どないしたんです? カシラ⁉」


凍りついた空気を切り裂くように、早緑が驚愕の表情で声を上げた。
その瞳には、荒れ狂う嵐を間近に見た時のような、
本能的な畏怖が浮かんでいた。


「どうもこうもねぇ! あの下衆のせいで、
箸尾の老いぼれに特大の貸しを作らされちまった!」


宏一の背を追うようにして、鈴華が事務所の敷居を跨いだ。


「お嬢……一体、何がありましたんや?」

「早緑さん…」

その声に、鈴華は迷うように視線を泳がせる。

喉元まで出かかった言葉を飲み込み、逡巡の末、
彼女はあの場での騒動を静かに吐露し始めた。
鈴華の言葉を聞いた瞬間、早緑の顔からすうっと血の気が引いていった。
見る間に青ざめていくその表情には、隠しようのない動揺が浮かんでいる。


「……よりによって、義理事の場でなんちゅうことを……」


早緑はこめかみを押さえ、逃げ場のない現実に頭を抱えた。
奔放な宏一が撒き散らした不始末を片付けるのは、
もはや彼にとって日常の一部だ。
だが、今回ばかりは話が違った。若頭補佐という今の彼の立場では、
この事態を収拾するにはあまりに荷が重すぎた。


「先にアヤつけてきたのは、あいつの方なんだよ!」
※アヤをつける…因縁をつける


宏一の吐き捨てるような怒声が、重苦しく淀んだ空気を切り裂いた。


「……あいつ?」


困惑する早緑の耳元で、鈴華が氷のような事実をささやく。
その男——京司の正体は、泣く子も黙る九条組の若頭であると。
その瞬間、早緑の顔からさらに血の気が引いた。
もともと蒼白だった顔色は、いまや命の灯火を失った石膏像のように
白磁化し、ただならぬ戦慄を物語っている。


「あかん……。すぐ、会長に連絡入れんと……」


糸の切れた人形のように足取りを乱しながら、
早緑は這々の体で部屋を後にした。