洛陽夜曲

「……知らねえよ、そんな女」

マコトが絞り出すように言葉を吐いた。欠損した前歯の隙間から、
鉄錆の混じった唾液が溢れ、コンクリートの床に黒ずんだ染みを作っていく。
視界の端で、折れた自らの歯が真珠のなり損ないのように
転がっているのが見えた。

その必死の拒絶を、鈴華は無表情で受け流す。
刹那、彼女の足元で鋭利な凶器と化したヒールの突端が、
マコトの柔らかな頬を無慈悲に蹂躙した。
頬を貫く乾いた音とマコトの絶叫が、静寂に支配された部屋に
冷たく響き渡った。


「…錨、ご苦労さんやったな。お前、先に帰っとき」


傍らに佇む錨へと向き直った京司は、そのスーツのポケットへ、
迷いなく数多の紙幣をねじ込んだ。
数十枚もの一万円札が、震えるような音を立てて
狭いポケットへと吸い込まれていく。
膨らんだ右腰の不自然な膨らみだけを残し、
京司は何事もなかったかのように再び前を見据えた。


「承知しました。清掃が必要になれば、またお呼びを」


錨は事務的な一礼を京司に残し、
冷たいコンクリートの静寂が支配する倉庫を後にした。


(……存外、高く売れたな)


彼は一度として振り返らない。網膜に焼き付いているのは、
京司の顔でも血の匂いでもなく、ただ懐に収まった予想外の収穫だけだ。
夕闇に消えていくテールランプは、彼
の冷徹なまでの執着のなさを雄弁に物語っていた。


---薄暗い倉庫の静寂を、マコトの絶叫が執拗にかき乱していた。
頬を貫くヒールの鋭い切先が、彼の喉から意味のある言葉をすべて剥ぎ取り、
ただの無機質な音塊へと変えていく。


「サランの居場所を言いなさい」


鈴華の声は、一度目と全く同じ平熱を保っていた。

マコトはもはや答えることさえできず、ただ濁った涙を流しながら、
痙攣するように首を左右に振る。
その拒絶に意志などは介在していない。ただの動物的な逃避反応だった。


「次は、右目を踏み潰します」


感情を一切排したその言葉は、湿った空気の中を最短距離で通り抜け、
死刑宣告として彼の脳裏に突き刺さる。
それは脅しではなく、淡々と遂行される予定表の読み上げに過ぎなかった。

一方的な詰問が投げつけられる様を、京司は紫煙の向こうから静かに
俯瞰していた。
鈴華の激情を傍観し続けるその沈黙は、制止ではなく、むしろ静かな肯定、
あるいは無慈悲な棄却のようにも映った。

死の影に怯え、マコトは喘ぐように言葉を絞り出した。


「言う……言うから、殺さないでくれ……」


辛うじて形を成したその声は、糸のように細く、
今にも千切れそうに震えている。
縋るような眼差しで彼が求めたのは、一筋の希望。


「…彼女は、いまどこに?」


帰ってきたのは、剃刀のように冷徹な一言だった。


「あの女なら――死んだよ」