洛陽夜曲

彼女がそこに立っているだけで、路地の空気は凍てつき、時間はその歩みを止めたかのようであった。

古びた街灯の届かぬ暗がりに、彼女の細身の影が溶け込む。

まるで時の流れから切り離されたかのように、一切の躍動感を排していた。

風が、彼女の長い黒髪を静かに持ち上げ、ゆっくりと元の位置へと戻す。

彼女の透徹した白い肌は夜闇に仄白く浮かび上がり、オニキスの様な漆黒の瞳は瞬き一つせず、微動だにしなかった。

そして、その視線が、路地の先に立つ男へと向けられる。

そこには、問いも、驚きも、あるいは期待や絶望といった感情のひとかけらもない。

ただ、深淵の底から見上げるような、一切の感情を剥ぎ取られた視線が、男の存在を射抜くように捉えていた。

その眼差しは、何ものも映さない空虚さをも宿している。


「大丈夫です。お気遣いなく」


そっけなく車内の男性に伝える。

眉間にしわを寄せながら鋭い眼光で彼女を見つめる。


「そういわんと乗りぃ。こんなくらい路地に女の子を置いていくわけにはいかんのや」


彼女の眼差しに戸惑いの色が混じり、やがてそれは静かな拒絶へと形を変えた。

まるで、無関係な通行人に家の鍵を求められたかのような。


「それは、貴方に何か関係ある事なのですか?」


一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻す男性。

暗闇の路地裏のわずかなネオンの光が男性の端整な顔を照らしている。


「当たり前やろ。女の子が一人で危ない場所におったら放っておけへんもんや」


少しだけ声のトーンを落とし、彼女の目を真っすぐ見つめる。


「君に何かあったら、それは俺の不手際やからな」


彼は仕立ての良いジャケットの内ポケットに手を滑らせ、使い込まれた銀のケースを静かに取り出した。

親指で弾かれたライターの蓋が、子気味よい金属音を響かせ琥珀色の炎が踊りだす。彼は吸い口をゆっくりと湿らせる。

先端が鮮やかな朱色にはぜ、彼の彫りの深い横顔を刹那、黄金色に照らし出した。

吐き出された煙は窓の外、冷たい月明かりに溶けて消えた。


「ここはウチのシマなんや。何かあったらウチの責任になるしなぁ」


彼女の瞳に一瞬だけ戸惑いのさざなみが立ったが、それは瞬く間に戻り、すべてを悟ったような静かな光を宿した。


「ああ、、、、。九条組の、、、確か烏丸若頭さんでしたか。大変失礼いたしました」


彼女の言葉が冷たい夜風のように不意に彼の襟元を抜けた。驚きに一瞬だけ呼吸を忘れたものの、

彼はすぐに自分の平静を取り戻す。彼は何事もなかったかのように微笑んで見せた。


「ほう、知ってはったんですね。まぁ普通の女の子は知らんやろうけど」


車のドアは開け放たれたまま、女性に向けて手を差し伸べた。


「乗らんと話にならんな」

※シマ.....組の縄張り。管理地域。