それからの日常は、驚くほど平穏だった。
久我は朝になればサクラが作った粥を食い、子供たちに読み書きを教え、縁側で彼女が淹れた茶を飲む。サクラもまた、あの日の約束を守るように、甲斐甲斐しく久我の身の回りを整えていた。
どこまでも穏やかで、ありふれた日々。
だが、久我の視線は、茶を啜る間も、子供たちの声を聞く間も、常にサクラの「輪郭」を追っていた。
運命というのは残酷だ。
突如として村を包囲したのは、これまでとは桁違いの軍勢――略奪と懸賞金に目が眩んだ数百の私兵集団だった。
「寺子屋を焼け! 女子供を炙り出せ!」
怒号と松明の火が、静かな夜を赤く染め上げる。
「サクラ君、子供たちを連れて奥へ。絶対に、何があっても出てくるな」
久我はいつものように淡々と、脇差を腰に差した。
「でも、先生……!」
不安に震えるサクラの肩に手を置き、久我は静かに、言い聞かせるように告げた。
「案ずるな。……私は大丈夫だ」
サクラはその言葉を信じるように、小さく頷いて奥へと走った。
その背中を見届け、久我が山門に立つ。
多勢に無勢。それでも久我の剣閃は一点の曇りもなかった。
一撃も、受けない。
「大丈夫だ」と言ったあの約束を守るため、掠り傷一つ、彼女が術を使う口実にしてなるものか。その執念だけで、久我は人の域を超えた動きで敵を斬り伏せていく。
しかし、敵が放った火矢が寺子屋の屋根を焼き、崩れ落ちた梁がサクラたちの逃げ道を塞いだ。
「あ……っ、陽くん! 凪ちゃん!」
泣き叫ぶ子供たちを抱え、火の中から飛び出してきたサクラの姿を、敵兵が見逃さなかった。
「女を殺せ!!」
放たれた無数の矢と、投げ込まれた爆裂弾。
「サクラ!!」
久我は迷わず跳んだ。彼女の前に立ちはだかり、その背中ですべてを受け止める。
凄まじい衝撃。背中を無数の破片が引き裂き、熱い血が雪の上に飛び散った。
「先生!!」
サクラが叫ぶ。彼女の目に映ったのは、自分を守るために「大丈夫」という嘘を血に染めた久我の姿だった。彼女の手には、絶望的なほどの光が宿る。
「……止めろ、サクラ! 使うな……っ!!」
血を吐きながら、久我は彼女の腕を掴もうとした。だが、指先に力が入らない。
「嫌……! 先生が死んじゃうなら、私、生きてたって意味ないんです!!」
サクラが放った、全「有給」を注ぎ込んだ最後の一撃。
光は敵を霧散させ、村に奇跡的な静寂をもたらした。
だが、光が収まったとき。久我の傷は消え、腕の中に崩れ落ちたサクラは、もう背景にある月明かりを透かすほど希薄な、光の残像でしかなかった。
「……あ、先生。……よかった。傷……治り、ましたね……」
久我は彼女を抱きしめようとするが、手応えはない。その身体は、もはや光の粒となって夜空へ溶けだそうとしていた。
「馬鹿者が……! なぜだ……! 私の言うことを、聞けと言っただろう……っ!!」
久我は必死に彼女の影を繋ぎ止めようと手を伸ばす。しかし、サクラの輪郭はさらさらと崩れていく。
透き通っていく指先を虚空に漂わせ、サクラは泣き出しそうな、それでいて全てを出し切ったような顔で微笑んだ。
「最後にもう一度だけ……貴方に、触れたかったな」
その切実な願いが夜風に溶けゆく……。
「さよなら先生……大好きでした」
久我は朝になればサクラが作った粥を食い、子供たちに読み書きを教え、縁側で彼女が淹れた茶を飲む。サクラもまた、あの日の約束を守るように、甲斐甲斐しく久我の身の回りを整えていた。
どこまでも穏やかで、ありふれた日々。
だが、久我の視線は、茶を啜る間も、子供たちの声を聞く間も、常にサクラの「輪郭」を追っていた。
運命というのは残酷だ。
突如として村を包囲したのは、これまでとは桁違いの軍勢――略奪と懸賞金に目が眩んだ数百の私兵集団だった。
「寺子屋を焼け! 女子供を炙り出せ!」
怒号と松明の火が、静かな夜を赤く染め上げる。
「サクラ君、子供たちを連れて奥へ。絶対に、何があっても出てくるな」
久我はいつものように淡々と、脇差を腰に差した。
「でも、先生……!」
不安に震えるサクラの肩に手を置き、久我は静かに、言い聞かせるように告げた。
「案ずるな。……私は大丈夫だ」
サクラはその言葉を信じるように、小さく頷いて奥へと走った。
その背中を見届け、久我が山門に立つ。
多勢に無勢。それでも久我の剣閃は一点の曇りもなかった。
一撃も、受けない。
「大丈夫だ」と言ったあの約束を守るため、掠り傷一つ、彼女が術を使う口実にしてなるものか。その執念だけで、久我は人の域を超えた動きで敵を斬り伏せていく。
しかし、敵が放った火矢が寺子屋の屋根を焼き、崩れ落ちた梁がサクラたちの逃げ道を塞いだ。
「あ……っ、陽くん! 凪ちゃん!」
泣き叫ぶ子供たちを抱え、火の中から飛び出してきたサクラの姿を、敵兵が見逃さなかった。
「女を殺せ!!」
放たれた無数の矢と、投げ込まれた爆裂弾。
「サクラ!!」
久我は迷わず跳んだ。彼女の前に立ちはだかり、その背中ですべてを受け止める。
凄まじい衝撃。背中を無数の破片が引き裂き、熱い血が雪の上に飛び散った。
「先生!!」
サクラが叫ぶ。彼女の目に映ったのは、自分を守るために「大丈夫」という嘘を血に染めた久我の姿だった。彼女の手には、絶望的なほどの光が宿る。
「……止めろ、サクラ! 使うな……っ!!」
血を吐きながら、久我は彼女の腕を掴もうとした。だが、指先に力が入らない。
「嫌……! 先生が死んじゃうなら、私、生きてたって意味ないんです!!」
サクラが放った、全「有給」を注ぎ込んだ最後の一撃。
光は敵を霧散させ、村に奇跡的な静寂をもたらした。
だが、光が収まったとき。久我の傷は消え、腕の中に崩れ落ちたサクラは、もう背景にある月明かりを透かすほど希薄な、光の残像でしかなかった。
「……あ、先生。……よかった。傷……治り、ましたね……」
久我は彼女を抱きしめようとするが、手応えはない。その身体は、もはや光の粒となって夜空へ溶けだそうとしていた。
「馬鹿者が……! なぜだ……! 私の言うことを、聞けと言っただろう……っ!!」
久我は必死に彼女の影を繋ぎ止めようと手を伸ばす。しかし、サクラの輪郭はさらさらと崩れていく。
透き通っていく指先を虚空に漂わせ、サクラは泣き出しそうな、それでいて全てを出し切ったような顔で微笑んだ。
「最後にもう一度だけ……貴方に、触れたかったな」
その切実な願いが夜風に溶けゆく……。
「さよなら先生……大好きでした」
