モニター音は、いつの間にか奈々の体に染み込んでいた。
規則正しいアラーム。人工呼吸器の送気音。
ストレッチャーの車輪が床を擦る乾いた音。
救命救急に配属されて二年目。
慣れた部分と、慣れてはいけない部分がある。
その日の搬送は立て続けだった。
「向井さん、ラインもう一本取って!」
「はい!」
手袋越しに伝わる皮膚の冷たさ。
血圧が落ち、末梢が締まっている。血管は怒張してこない。
出ない。
焦るな。
触れて、探る。
わずかな弾力を指先で拾い上げる。
針を進める。
バックフロー確認。
固定。
「取れました」
「オッケー、そのまま!」
短い応答。
けれど蘇生は実らなかった。
胸骨圧迫。投薬。気道確保。
それでもモニターは、やがて静かな直線を描いた。
死亡確認。
家族への説明。
そして――エンゼルケア。
ひとつひとつ機械を外し、
優しく丁寧に清拭する。
声には出さず、心の中でそっと呟く。
――お疲れ様でした。
最後の時間を、静かに整えていく。
処置室の外で、家族が深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
助けられなかったのに。
その言葉が胸の奥に残ったまま、奈々はマスクを外した。
⸻
外に出ると、夜明け前の空が薄く白んでいた。
夜勤明け独特の静けさ。
それが少しだけ、好きだった。
「奈々?」
振り向くと、諒が立っていた。
ジャケット姿。
いつもの落ち着いた目。
「珍しいな、この時間」
「夜勤明け。そっちは?」
「近く通っただけだ」
それ以上は言わない。
自然に並んで歩く。
沈黙が、不思議と苦じゃない。
奈々は少し迷ってから言った。
「今日、蘇生入った患者さんいて。戻らなかった」
諒はすぐ慰めなかった。
少しだけ歩幅を奈々に合わせてから言う。
「奈々、ちゃんとやったんだろ」
「うん。できることは全部」
「じゃあ、それでいい」
ぶっきらぼうな声。
それだけで、胸の奥がふっと緩む。
不意に、頭に触れる手。
「頑張ってるよ、お前」
低い声。
夜通し張り詰めていた糸が、わずかにほどける。
泣くほどじゃない。
でも、崩れそうになる。
奈々は小さく笑った。
「ありがと」
⸻
颯太といると、未来を考えられる。
穏やかで、続いていく感じがする。
諒といると――
今この瞬間が、やけに濃い。
どちらが正しいとかじゃない。
ただ、その違いが妙に心に残った。
分かれ道で諒が足を止める。
「ちゃんと寝ろよ」
「うん。諒も」
「俺は丈夫」
軽く笑う。
「じゃあね」
「おう。またな」
背を向けて歩きながら、奈々は思う。
今日の重さは、少し軽くなっている。
救われた。
それは確かだ。
でも――
この感情の名前だけが、まだ分からなかった。
規則正しいアラーム。人工呼吸器の送気音。
ストレッチャーの車輪が床を擦る乾いた音。
救命救急に配属されて二年目。
慣れた部分と、慣れてはいけない部分がある。
その日の搬送は立て続けだった。
「向井さん、ラインもう一本取って!」
「はい!」
手袋越しに伝わる皮膚の冷たさ。
血圧が落ち、末梢が締まっている。血管は怒張してこない。
出ない。
焦るな。
触れて、探る。
わずかな弾力を指先で拾い上げる。
針を進める。
バックフロー確認。
固定。
「取れました」
「オッケー、そのまま!」
短い応答。
けれど蘇生は実らなかった。
胸骨圧迫。投薬。気道確保。
それでもモニターは、やがて静かな直線を描いた。
死亡確認。
家族への説明。
そして――エンゼルケア。
ひとつひとつ機械を外し、
優しく丁寧に清拭する。
声には出さず、心の中でそっと呟く。
――お疲れ様でした。
最後の時間を、静かに整えていく。
処置室の外で、家族が深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
助けられなかったのに。
その言葉が胸の奥に残ったまま、奈々はマスクを外した。
⸻
外に出ると、夜明け前の空が薄く白んでいた。
夜勤明け独特の静けさ。
それが少しだけ、好きだった。
「奈々?」
振り向くと、諒が立っていた。
ジャケット姿。
いつもの落ち着いた目。
「珍しいな、この時間」
「夜勤明け。そっちは?」
「近く通っただけだ」
それ以上は言わない。
自然に並んで歩く。
沈黙が、不思議と苦じゃない。
奈々は少し迷ってから言った。
「今日、蘇生入った患者さんいて。戻らなかった」
諒はすぐ慰めなかった。
少しだけ歩幅を奈々に合わせてから言う。
「奈々、ちゃんとやったんだろ」
「うん。できることは全部」
「じゃあ、それでいい」
ぶっきらぼうな声。
それだけで、胸の奥がふっと緩む。
不意に、頭に触れる手。
「頑張ってるよ、お前」
低い声。
夜通し張り詰めていた糸が、わずかにほどける。
泣くほどじゃない。
でも、崩れそうになる。
奈々は小さく笑った。
「ありがと」
⸻
颯太といると、未来を考えられる。
穏やかで、続いていく感じがする。
諒といると――
今この瞬間が、やけに濃い。
どちらが正しいとかじゃない。
ただ、その違いが妙に心に残った。
分かれ道で諒が足を止める。
「ちゃんと寝ろよ」
「うん。諒も」
「俺は丈夫」
軽く笑う。
「じゃあね」
「おう。またな」
背を向けて歩きながら、奈々は思う。
今日の重さは、少し軽くなっている。
救われた。
それは確かだ。
でも――
この感情の名前だけが、まだ分からなかった。
