あの公園で、君に会えたら

「指輪、見に行くか」

それは、いつも通りの落ち着いた声だった。

結婚の挨拶を終えて数日。奈々が仕事から帰ると、ソファに腰掛けていた諒がさらりと言った。まるで夕飯の相談でもするみたいな調子で。

奈々は一瞬きょとんとして、それから笑った。

「プロポーズの次は指輪?順番ちゃんとしてるじゃん」

「遅いくらいだろ」

立ち上がる諒はどこか照れくさそうで、その横顔が少しだけ柔らかい。



高級宝飾店の扉をくぐった瞬間、空気がわずかに変わった。

店員の視線が一瞬だけ止まる。

諒は黒のスーツ姿。静かだが隠しきれない圧がある。
けれどその隣で奈々が微笑むと、空気は自然に和らいだ。

「ご案内いたします」

丁寧な声。

ショーケースには小さな光が並んでいた。

どれも美しい。でも奈々にはまだ現実味がなかった。
これが自分の指に収まる未来が、半分夢みたいで。

「気になるのあるか」

諒の声に、奈々は一つを指差す。

派手すぎず、けれど確かな存在感のあるデザイン。
細いアームに、一粒の石。

凛としている。

「奈々らしいな」

低く、静かな声。

試着すると、驚くほど自然に馴染んだ。

まるで最初からそこにあったみたいに。

奈々はふと、指輪を見つめながら言う。

「ねえ」

「ん?」

「これ……狙われたら外す?」

一瞬、空気が止まった。

店員は聞こえないふりをする。

諒は奈々を見た。

「外さなくていい」

即答だった。

「それ触ろうとするやつがいたら、そいつが間違ってる」

声は低いが、冷たい。

奈々は目を伏せて、小さく笑った。

「そっか」

覚悟は、甘くない。

それでも、外したくないと思った。

諒が淡々と店員に告げる。

「それにする」

「え、即決?」

「迷う理由がない」

その一言が、何より強かった。



店を出たあと、奈々は歩きながら指輪を眺める。

「ほんとにいいの?」

「お前が選んだ」

「値段、見てないでしょ」

「見なくていい」

あまりにも迷いがないから、奈々は笑ってしまう。

「私、簡単に返品できないよ?」

諒が足を止めた。

奈々の方を向く。

「返品させねぇよ」

低くて静かな声。

「逃げ道、もう作らない」

胸が、強く鳴る。



それから奈々は、諒のマンションへ荷物を運び始めた。

高層階の夜景は相変わらず綺麗で、でも今日は少し違って見える。

「ここに住むんだな、私」

背後から腕が回る。

「嫌か?」

「ううん。むしろ……安心してる」

諒の腕が、わずかに強くなる。

「ここは安全だ」

短い言葉。

「俺の名前で守ってる」

その一言が、重い。

守るというのは感情じゃない。
力と責任だ。

奈々は振り返る。

「じゃあ私も守るね」

「何を」

「諒が帰ってくる場所」

諒が一瞬だけ目を細めた。

その表情は、ほんの少しだけ弱い。



夜。

ソファに並んで座り、奈々は新しい指輪を撫でる。

「ねえ諒」

「ん?」

「これからも、ちゃんと戻ってきて」

声は穏やかだったが、逃げ場のない願いだった。

諒は奈々の手を取り、指輪に触れる。

「帰らない選択肢はねぇ」

低い声。

「ここに、お前がいる限り」

奈々はそっと肩を預ける。

窓の外には無数の灯り。

そのどれよりも確かな光が、今は指先にあった。

未来はまだ形になりきっていない。

でも。

もう迷っていない。

ふたりで選んだ未来は、
覚悟の上に立っている。