「次は俺がケジメつける番だな」
空港からの帰り道、車の中で諒が静かに言った。
奈々は助手席で小さく頷く。
誰のことか聞かなくても分かる。
若菜――シンガポールで出会い、諒が付き合っていた女性。
奈々は彼女の強さを知っている。
そして同時に、自分が彼女を傷つけていることも分かっていた。
「ちゃんと話してくる」
諒の声は落ち着いていた。
迷いはない。ただ、覚悟だけがある。
「うん」
それ以上の言葉は必要なかった。
⸻
数日後。
夕方のカフェの奥の席。
諒は窓の外を見ながら若菜を待っていた。
足音がして顔を上げる。
「待った?」
若菜はいつも通り綺麗に笑っていた。
でもその目の奥に、張り詰めたものがある。
「いや」
短く答えると、若菜はすぐ本題に入った。
「……奈々さんのこと?」
察している。
諒は頷いた。
⸻
「俺、奈々を選ぶ」
はっきりと言った。
遠回しな言葉は使わない。
それが最後の誠意だと思ったから。
若菜の表情が一瞬固まる。
「嫌だなぁ……そんなはっきり言われると」
冗談めいた声。
でも目にはもう涙が滲んでいる。
「私じゃダメだった?」
まっすぐな問いだった。
諒は視線を逸らさない。
「ダメじゃない」
きっぱりと。
そして続ける。
「若菜には、感謝してる」
若菜の呼吸が止まる。
諒は静かに言った。
「最初に会ったの、シンガポールの駅前だったよな」
若菜が目を瞬かせる。
「ヒールが排水溝に挟まって、抜けなくなってた」
涙の中で、若菜が小さく笑う。
「最悪だった」
「周りはみんな見てるだけだった」
諒の声は淡々としている。
「俺が靴脱がせて、無理やり引き抜いた」
「そのあと、ホーカーでチキンライス食べたよね」
「辛いソースでむせてた」
「むせてない!」
一瞬だけ、あの頃の空気が戻る。
諒はゆっくり息を吐く。
「シンガポールで孤立してた俺に、最初に普通に話しかけてきたのが若菜だった」
視線を合わせる。
「あの時、若菜がいなかったら、俺は潰れてた」
若菜の目から涙が溢れる。
「言葉も文化も違う中で、俺に普通の時間くれた」
静かに、はっきりと言う。
「本気で、ありがとう」
飾りのない声だった。
若菜は唇を噛む。
「……ずるい」
涙がこぼれる。
「そんな言い方されたら、嫌いになれないじゃん」
諒は黙って受け止める。
そして、ぶれずに続ける。
「それでも」
声は揺れない。
「奈々は、俺の帰る場所なんだ」
空気が止まる。
「離れても、結局そこに戻りたくなる。
シンガポールにいても、それは変わらなかった」
若菜は静かに泣いた。
悔しさもある。
でも理解もあった。
やがて小さく息を吐く。
「分かった」
背筋を伸ばす。
「もう追いかけない」
涙を拭う。
「でも奈々さん泣かせたら許さないから」
諒はほんの少しだけ笑う。
「分かってる」
「絶対幸せにして」
「そのつもりだ」
⸻
店を出ると、空は夜に変わり始めていた。
別れ際、若菜は振り返らない。
手だけ軽く上げる。
「じゃあね、諒」
その背中は少し寂しそうで、でも清々しかった。
もう振り向かないと決めた人の歩き方だった。
⸻
その夜。
奈々のマンションの前でインターホンを押すと、すぐにドアが開いた。
奈々は少し不安そうな顔をしている。
「話してきた」
それだけで奈々の表情が揺れる。
「終わった」
奈々は何も言わず近づき、そっと諒の胸に額を預けた。
「お疲れさま」
小さな声。
その一言に、諒の張り詰めていたものがほどける。
髪を撫でながら思った。
これでやっと――
胸を張って奈々の隣に立てる。
奈々も静かに腕を回してくる。
言葉はない。
でも同じ未来を見ているのが分かった。
けじめの温度は、
静かに、確かに、二人の間に残っていた。
空港からの帰り道、車の中で諒が静かに言った。
奈々は助手席で小さく頷く。
誰のことか聞かなくても分かる。
若菜――シンガポールで出会い、諒が付き合っていた女性。
奈々は彼女の強さを知っている。
そして同時に、自分が彼女を傷つけていることも分かっていた。
「ちゃんと話してくる」
諒の声は落ち着いていた。
迷いはない。ただ、覚悟だけがある。
「うん」
それ以上の言葉は必要なかった。
⸻
数日後。
夕方のカフェの奥の席。
諒は窓の外を見ながら若菜を待っていた。
足音がして顔を上げる。
「待った?」
若菜はいつも通り綺麗に笑っていた。
でもその目の奥に、張り詰めたものがある。
「いや」
短く答えると、若菜はすぐ本題に入った。
「……奈々さんのこと?」
察している。
諒は頷いた。
⸻
「俺、奈々を選ぶ」
はっきりと言った。
遠回しな言葉は使わない。
それが最後の誠意だと思ったから。
若菜の表情が一瞬固まる。
「嫌だなぁ……そんなはっきり言われると」
冗談めいた声。
でも目にはもう涙が滲んでいる。
「私じゃダメだった?」
まっすぐな問いだった。
諒は視線を逸らさない。
「ダメじゃない」
きっぱりと。
そして続ける。
「若菜には、感謝してる」
若菜の呼吸が止まる。
諒は静かに言った。
「最初に会ったの、シンガポールの駅前だったよな」
若菜が目を瞬かせる。
「ヒールが排水溝に挟まって、抜けなくなってた」
涙の中で、若菜が小さく笑う。
「最悪だった」
「周りはみんな見てるだけだった」
諒の声は淡々としている。
「俺が靴脱がせて、無理やり引き抜いた」
「そのあと、ホーカーでチキンライス食べたよね」
「辛いソースでむせてた」
「むせてない!」
一瞬だけ、あの頃の空気が戻る。
諒はゆっくり息を吐く。
「シンガポールで孤立してた俺に、最初に普通に話しかけてきたのが若菜だった」
視線を合わせる。
「あの時、若菜がいなかったら、俺は潰れてた」
若菜の目から涙が溢れる。
「言葉も文化も違う中で、俺に普通の時間くれた」
静かに、はっきりと言う。
「本気で、ありがとう」
飾りのない声だった。
若菜は唇を噛む。
「……ずるい」
涙がこぼれる。
「そんな言い方されたら、嫌いになれないじゃん」
諒は黙って受け止める。
そして、ぶれずに続ける。
「それでも」
声は揺れない。
「奈々は、俺の帰る場所なんだ」
空気が止まる。
「離れても、結局そこに戻りたくなる。
シンガポールにいても、それは変わらなかった」
若菜は静かに泣いた。
悔しさもある。
でも理解もあった。
やがて小さく息を吐く。
「分かった」
背筋を伸ばす。
「もう追いかけない」
涙を拭う。
「でも奈々さん泣かせたら許さないから」
諒はほんの少しだけ笑う。
「分かってる」
「絶対幸せにして」
「そのつもりだ」
⸻
店を出ると、空は夜に変わり始めていた。
別れ際、若菜は振り返らない。
手だけ軽く上げる。
「じゃあね、諒」
その背中は少し寂しそうで、でも清々しかった。
もう振り向かないと決めた人の歩き方だった。
⸻
その夜。
奈々のマンションの前でインターホンを押すと、すぐにドアが開いた。
奈々は少し不安そうな顔をしている。
「話してきた」
それだけで奈々の表情が揺れる。
「終わった」
奈々は何も言わず近づき、そっと諒の胸に額を預けた。
「お疲れさま」
小さな声。
その一言に、諒の張り詰めていたものがほどける。
髪を撫でながら思った。
これでやっと――
胸を張って奈々の隣に立てる。
奈々も静かに腕を回してくる。
言葉はない。
でも同じ未来を見ているのが分かった。
けじめの温度は、
静かに、確かに、二人の間に残っていた。

