あの公園で、君に会えたら

諒が帰ったあとも、奈々は玄関の前から動けなかった。

唇に残る体温。
腕の強さ。
額に触れたあの呼吸。

――戻れない。

そう思ったのに、怖さはなかった。

むしろ、胸の奥が静かだった。

やっと、自分に嘘をつかなくて済んだ。

それでも。

浮かぶのは、もう一人の顔。

颯太。

ロサンゼルス、と言ったときの横顔。
強がった笑い方。
そして最後、何かを覚悟した目。

あの人は、分かっていた。

奈々が揺れていることも。
答えが自分じゃないかもしれないことも。

それでも、待つと言った。

奈々はソファに腰を下ろす。

スマホを握る。

連絡先を開く。

閉じる。

開く。

閉じる。

胸が苦しい。

ありがとうじゃない。
ごめんでも足りない。
まだ迷ってる、なんて言えない。

もう迷っていないから。

「……ちゃんと終わらせなきゃ」

その言葉に、自分で少し震えた。

終わらせる、という実感が
思った以上に重い。

三人で過ごした時間。
高校の帰り道。
公園のベンチ。
何気ない日常。

それを自分の選択で壊すのだ。



翌日、救急外来は変わらず忙しかった。

搬送のコール。
モニターのアラーム。
血液製剤の準備。

目の前の命に集中している間だけは、
余計なことを考えずに済む。

でも、ふと手が止まりそうになる瞬間がある。

諒の涙。

颯太の静かな笑顔。

どちらも大切だった。

どちらも、人生の一部だった。

でも同じ形では持てない。

奈々はそれを、はっきり理解していた。



更衣室でスマホを見ると、
颯太からメッセージが届いていた。

『昨日はありがとな。
ちゃんと考えてくれればそれでいい。
返事、急がなくていいから』

喉が詰まる。

責めない。

急かさない。

優しすぎる。

だから苦しい。

奈々はゆっくり息を吸い、
短く打つ。

『ちゃんと話したい。近いうちに時間ある?』

送信。

既読。

数秒。

長い。

『あるよ。奈々の都合に合わせる』

それだけ。

何も聞かない。

何も言わない。

奈々は目を閉じた。

この人はきっと、
もう覚悟している。



帰り道。

空気が少しだけ柔らかい。

春が近い匂い。

季節は進む。

立ち止まっているのは、自分だけだと思っていた。

でも違う。

もう、進むしかない。

怖い。

颯太を失うことも。

三人で笑えなくなる未来も。

それでも。

選んだのは自分だ。

諒の隣を。

だからこそ、颯太から逃げない。

「ちゃんと話そう」

小さく呟く。

その声は震えていたけれど、
逃げてはいなかった。

まだ終わらない想いがある。

でも、それを抱えたまま
次に進むしかない。