奈々を送り届けたあと、颯太はしばらく車を走らせていた。
夜の街を流れるように走りながら、ハンドルを握る手に自然と力が入る。
信号で車が止まる。
その瞬間、さっきまでの奈々の表情が頭に浮かんだ。
海外赴任の話を伝えた時の奈々の顔。
迷っている顔だった。
無理に笑おうとしているのも分かった。
責めるつもりはない。
でも――分かってしまった。
「……諒、なんだろうな」
小さく呟く。
あの夜、奈々が怖い思いをした時、そばにいたのは自分じゃない。
守ったのも、自分じゃない。
悔しくないと言えば嘘になる。
でも同時に、納得している自分もいた。
幼い頃から三人で過ごしてきた時間。
諒の奈々を見る目も、自分はずっと知っている。
「ちゃんと選べよ、奈々」
声は静かだった。
「俺でも、あいつでも。中途半端なのが一番つらい」
胸の奥が熱くなる。
それでも颯太は小さく笑った。
「幸せになれよ。ほんとに」
その言葉は、自分に言い聞かせるみたいでもあった。
⸻
部屋のドアを閉めても、奈々はしばらく玄関の前から動けなかった。
颯太の言葉が頭の中で繰り返される。
海外赴任。
一緒に来てほしい。
来ないなら、ここで区切りをつけたいという覚悟。
優しい人だ。
ずっと奈々を大切にしてくれた人。
それなのに。
胸の奥に浮かぶのは別の顔だった。
諒。
怖かった夜、抱き寄せてくれた腕。
低く落ち着く声。
そして、あの人が見せた涙。
「……もう、ごまかせない」
奈々はスマホを手に取った。
震える指で連絡先を開き、そのまま通話ボタンを押す。
数コール。
『奈々?』
その声だけで胸がいっぱいになる。
「……会いたい。今」
短い沈黙。
『分かった。すぐ行く』
迷いのない返事だった。
⸻
三十分ほどしてインターホンが鳴る。
ドアを開けると、諒が立っていた。
落ち着いた表情。
でも視線だけは、奈々の様子を静かに確かめている。
「どうした」
部屋に入るなり低く聞く。
奈々はすぐ答えられなかった。
ソファの前で立ち止まり、息を整える。
「颯太にね……海外赴任決まったって言われた」
諒の眉がわずかに動く。
「……ロサンゼルス」
奈々は小さく続けた。
「一緒に来てほしいって」
沈黙。
奈々は指先をぎゅっと握った。
「でもね」
ゆっくり顔を上げる。
「考えたら最初に浮かんだの、諒だった」
部屋の空気が一瞬止まる。
諒が小さく息を吐いた。
「……それ言われると、もう引けねぇな」
困ったような声。
次の瞬間、奈々の体がそっと引き寄せられた。
強引じゃない。
でも包み込む腕。
「まだ怖ぇんだろ」
あの夜のことだとすぐ分かった。
奈々は頷く。
「なら無理すんな。俺のそばいろ」
低くてあたたかい声。
それだけで涙が溢れた。
諒は何も言わず、背中をゆっくり撫でる。
鼓動が近い。
体温が近い。
安心してしまう。
――もう、誤魔化せない。
奈々は顔を上げた。
至近距離で目が合う。
諒の瞳がわずかに揺れる。
奈々の方から、ほんの少しだけ近づいた。
一瞬の静止。
それから諒の唇がそっと触れた。
確かめるような、優しいキスだった。
短いのに、胸の奥まで熱が落ちてくる。
離れても、諒の手は奈々の頬に残っていた。
「……後戻りできねぇぞ」
低い声。
奈々は涙を拭いて小さく笑う。
「うん。もう戻らない」
その答えに、諒が少し困った顔で笑う。
そしてもう一度、今度は少しだけ長く唇が重なった。
静かな部屋に、二人の呼吸だけが溶けていく。
奈々は思った。
怖くてもいい。
それでも、この人のそばにいたい。
もう――選んだから。
夜の街を流れるように走りながら、ハンドルを握る手に自然と力が入る。
信号で車が止まる。
その瞬間、さっきまでの奈々の表情が頭に浮かんだ。
海外赴任の話を伝えた時の奈々の顔。
迷っている顔だった。
無理に笑おうとしているのも分かった。
責めるつもりはない。
でも――分かってしまった。
「……諒、なんだろうな」
小さく呟く。
あの夜、奈々が怖い思いをした時、そばにいたのは自分じゃない。
守ったのも、自分じゃない。
悔しくないと言えば嘘になる。
でも同時に、納得している自分もいた。
幼い頃から三人で過ごしてきた時間。
諒の奈々を見る目も、自分はずっと知っている。
「ちゃんと選べよ、奈々」
声は静かだった。
「俺でも、あいつでも。中途半端なのが一番つらい」
胸の奥が熱くなる。
それでも颯太は小さく笑った。
「幸せになれよ。ほんとに」
その言葉は、自分に言い聞かせるみたいでもあった。
⸻
部屋のドアを閉めても、奈々はしばらく玄関の前から動けなかった。
颯太の言葉が頭の中で繰り返される。
海外赴任。
一緒に来てほしい。
来ないなら、ここで区切りをつけたいという覚悟。
優しい人だ。
ずっと奈々を大切にしてくれた人。
それなのに。
胸の奥に浮かぶのは別の顔だった。
諒。
怖かった夜、抱き寄せてくれた腕。
低く落ち着く声。
そして、あの人が見せた涙。
「……もう、ごまかせない」
奈々はスマホを手に取った。
震える指で連絡先を開き、そのまま通話ボタンを押す。
数コール。
『奈々?』
その声だけで胸がいっぱいになる。
「……会いたい。今」
短い沈黙。
『分かった。すぐ行く』
迷いのない返事だった。
⸻
三十分ほどしてインターホンが鳴る。
ドアを開けると、諒が立っていた。
落ち着いた表情。
でも視線だけは、奈々の様子を静かに確かめている。
「どうした」
部屋に入るなり低く聞く。
奈々はすぐ答えられなかった。
ソファの前で立ち止まり、息を整える。
「颯太にね……海外赴任決まったって言われた」
諒の眉がわずかに動く。
「……ロサンゼルス」
奈々は小さく続けた。
「一緒に来てほしいって」
沈黙。
奈々は指先をぎゅっと握った。
「でもね」
ゆっくり顔を上げる。
「考えたら最初に浮かんだの、諒だった」
部屋の空気が一瞬止まる。
諒が小さく息を吐いた。
「……それ言われると、もう引けねぇな」
困ったような声。
次の瞬間、奈々の体がそっと引き寄せられた。
強引じゃない。
でも包み込む腕。
「まだ怖ぇんだろ」
あの夜のことだとすぐ分かった。
奈々は頷く。
「なら無理すんな。俺のそばいろ」
低くてあたたかい声。
それだけで涙が溢れた。
諒は何も言わず、背中をゆっくり撫でる。
鼓動が近い。
体温が近い。
安心してしまう。
――もう、誤魔化せない。
奈々は顔を上げた。
至近距離で目が合う。
諒の瞳がわずかに揺れる。
奈々の方から、ほんの少しだけ近づいた。
一瞬の静止。
それから諒の唇がそっと触れた。
確かめるような、優しいキスだった。
短いのに、胸の奥まで熱が落ちてくる。
離れても、諒の手は奈々の頬に残っていた。
「……後戻りできねぇぞ」
低い声。
奈々は涙を拭いて小さく笑う。
「うん。もう戻らない」
その答えに、諒が少し困った顔で笑う。
そしてもう一度、今度は少しだけ長く唇が重なった。
静かな部屋に、二人の呼吸だけが溶けていく。
奈々は思った。
怖くてもいい。
それでも、この人のそばにいたい。
もう――選んだから。

