夜の港は静かだった。
波が防波堤に当たる音だけが、規則的に繰り返される。
遠くで低い汽笛が鳴った。
先に来ていたのは颯太だった。
街灯の下、ポケットに手を入れたまま海を見ている。
風が冷たいのに、上着の前は開いたままだ。
背後で車のドアが閉まる音がした。
振り返る。
諒が立っていた。
黒いコートの襟を整え、静かな目でこちらを見る。
疲れはあるが、姿勢は崩れていない。
「こうやって二人で話すの、久しぶりだな」
「だな」
短い返事。
幼い頃は三人でいるのが当たり前だった。
奈々を真ん中にして、
走って、笑って、また明日も同じように会えると疑わなかった。
今は、夜の港で向き合っている。
⸻
「奈々とは最近、会っていない」
諒が先に切り出す。
「聞いた」
「距離を置いている」
肯定でも否定でもない、事実だけの声。
⸻
「この前の件があってな」
それだけで十分だった。
刺された組員。
救えなかった命。
奈々の震えた声を思い出す。
⸻
「俺の前で刺された」
低い声。
「俺を庇って」
拳が、わずかに強く握られる。
「子どもの頃から世話になっていた人だ」
一瞬、呼吸が乱れる。
「守られた」
その言葉だけが、重く落ちる。
「本来は、俺が守る側だった」
⸻
「……お前のせいじゃない」
颯太が言う。
諒は首を振る。
「俺のいる場所で起きたことだ」
静かだが、揺るがない。
「だから思った」
間を置く。
「奈々を近づけてはいけない」
⸻
風が強くなる。
港の匂いが濃くなる。
「俺のそばにいれば、危険に触れる」
諒は颯太を見る。
「次は守りきれないかもしれない」
それは誇張ではなく、現実だった。
⸻
「怖いんだ」
ぽつりと落ちる。
「奈々を失うのが」
初めて、感情がそのまま出る。
「だから離れている」
苦く笑う。
「近づけば、引き返せなくなる」
ここで初めて、声が少しだけ荒れる。
「……自分が分からなくなる」
わずかな崩れ。
それだけで十分だった。
⸻
しばらく沈黙。
やがて颯太が口を開く。
「俺も怖い」
諒の視線が動く。
「奈々、お前のこと気にしてる」
分かっている、という表情。
「離れれば離れるほど、余計に揺れてる」
諒の眉がわずかに動く。
否定できない。
⸻
「海外転勤の話が出ている」
颯太が続ける。
「まだ奈々には言ってない」
諒の視線が鋭くなる。
「引き止めてほしいみたいでな」
苦笑する。
「試しているみたいで、嫌なんだ」
⸻
「奈々は強いが」
颯太が言う。
「無理をする」
「ああ」
即答だった。
泣きたい時ほど笑う。
傷つくほど、気を遣う。
二人とも、それを知っている。
⸻
「もし俺が行くことになったら」
颯太は静かに言う。
「奈々のこと、頼む」
一瞬、諒の目が見開かれる。
だが、すぐに首を横に振る。
「頼まれて守るものじゃない」
視線がまっすぐ向けられる。
「最初から守ると決めている」
一切の迷いがない。
⸻
「譲る気はないな」
颯太が言う。
「ない」
間を置かない返事。
ここは崩さない。
⸻
波の音が強くなる。
敵ではない。
だが、引く気もない。
どちらも本気だ。
だからこそ、静かに火花が散る。
⸻
「奈々が決めるしかない」
諒が言う。
「ああ」
颯太もうなずく。
その声は、わずかに震えていた。
⸻
別れ際。
颯太がぽつりと呟く。
「昔さ、三人で公園走り回ってたよな」
諒が小さく笑う。
「あったな」
「あのままでいられたら楽だったのに」
諒は一瞬、海を見た。
「子どものままでいられるわけないだろ」
声は穏やかだった。
だが、その奥に寂しさがある。
⸻
二人は背を向ける。
振り返らない。
守るために離れる男。
守るために残る男。
夜の港に、波の音だけが残った。
波が防波堤に当たる音だけが、規則的に繰り返される。
遠くで低い汽笛が鳴った。
先に来ていたのは颯太だった。
街灯の下、ポケットに手を入れたまま海を見ている。
風が冷たいのに、上着の前は開いたままだ。
背後で車のドアが閉まる音がした。
振り返る。
諒が立っていた。
黒いコートの襟を整え、静かな目でこちらを見る。
疲れはあるが、姿勢は崩れていない。
「こうやって二人で話すの、久しぶりだな」
「だな」
短い返事。
幼い頃は三人でいるのが当たり前だった。
奈々を真ん中にして、
走って、笑って、また明日も同じように会えると疑わなかった。
今は、夜の港で向き合っている。
⸻
「奈々とは最近、会っていない」
諒が先に切り出す。
「聞いた」
「距離を置いている」
肯定でも否定でもない、事実だけの声。
⸻
「この前の件があってな」
それだけで十分だった。
刺された組員。
救えなかった命。
奈々の震えた声を思い出す。
⸻
「俺の前で刺された」
低い声。
「俺を庇って」
拳が、わずかに強く握られる。
「子どもの頃から世話になっていた人だ」
一瞬、呼吸が乱れる。
「守られた」
その言葉だけが、重く落ちる。
「本来は、俺が守る側だった」
⸻
「……お前のせいじゃない」
颯太が言う。
諒は首を振る。
「俺のいる場所で起きたことだ」
静かだが、揺るがない。
「だから思った」
間を置く。
「奈々を近づけてはいけない」
⸻
風が強くなる。
港の匂いが濃くなる。
「俺のそばにいれば、危険に触れる」
諒は颯太を見る。
「次は守りきれないかもしれない」
それは誇張ではなく、現実だった。
⸻
「怖いんだ」
ぽつりと落ちる。
「奈々を失うのが」
初めて、感情がそのまま出る。
「だから離れている」
苦く笑う。
「近づけば、引き返せなくなる」
ここで初めて、声が少しだけ荒れる。
「……自分が分からなくなる」
わずかな崩れ。
それだけで十分だった。
⸻
しばらく沈黙。
やがて颯太が口を開く。
「俺も怖い」
諒の視線が動く。
「奈々、お前のこと気にしてる」
分かっている、という表情。
「離れれば離れるほど、余計に揺れてる」
諒の眉がわずかに動く。
否定できない。
⸻
「海外転勤の話が出ている」
颯太が続ける。
「まだ奈々には言ってない」
諒の視線が鋭くなる。
「引き止めてほしいみたいでな」
苦笑する。
「試しているみたいで、嫌なんだ」
⸻
「奈々は強いが」
颯太が言う。
「無理をする」
「ああ」
即答だった。
泣きたい時ほど笑う。
傷つくほど、気を遣う。
二人とも、それを知っている。
⸻
「もし俺が行くことになったら」
颯太は静かに言う。
「奈々のこと、頼む」
一瞬、諒の目が見開かれる。
だが、すぐに首を横に振る。
「頼まれて守るものじゃない」
視線がまっすぐ向けられる。
「最初から守ると決めている」
一切の迷いがない。
⸻
「譲る気はないな」
颯太が言う。
「ない」
間を置かない返事。
ここは崩さない。
⸻
波の音が強くなる。
敵ではない。
だが、引く気もない。
どちらも本気だ。
だからこそ、静かに火花が散る。
⸻
「奈々が決めるしかない」
諒が言う。
「ああ」
颯太もうなずく。
その声は、わずかに震えていた。
⸻
別れ際。
颯太がぽつりと呟く。
「昔さ、三人で公園走り回ってたよな」
諒が小さく笑う。
「あったな」
「あのままでいられたら楽だったのに」
諒は一瞬、海を見た。
「子どものままでいられるわけないだろ」
声は穏やかだった。
だが、その奥に寂しさがある。
⸻
二人は背を向ける。
振り返らない。
守るために離れる男。
守るために残る男。
夜の港に、波の音だけが残った。

