あの公園で、君に会えたら

夜のコテージは静かだった。

窓の外では森が風に揺れている。
枝が触れ合うかすかな音が、ときどき部屋まで届いた。

遅い時間の風は少し冷たいのに、
部屋の中にはまだぬくもりが残っている。

奈々はシーツを胸元まで引き寄せ、小さく息を吐いた。

隣では颯太が眠っている。

規則正しい寝息。
穏やかな横顔。

奈々は少しだけ笑った。

さっきまで触れていた体温がまだ残っている。

胸の奥がふっと落ち着くような安心感。

高校生の頃、颯太に告白された日のことを思い出す。

幼馴染だった三人の関係が、
あの日から少しずつ変わっていった。

でも不思議と自然だった。

颯太が隣にいることも。
こうして同じ時間を過ごしていることも。

奈々は目を閉じる。

幸せだと思った、そのとき——

玄関の扉が開く音がした。

奈々の体がぴくりと反応する。

こんな時間に誰か来るはずがない。

風の音とは違う。
はっきりとした音だった。

それから、

足音。

ゆっくりと廊下を歩く音。
迷いのない足取り。

そして、

部屋の入口に影が立つ。

奈々はそちらを見る。

その瞬間——

呼吸が止まった。

「……諒?」

信じられなかった。

五年前に突然いなくなった幼馴染。
何度も探した人。

諒がそこに立っていた。

奈々を見ている。

あまりにも突然で、
現実感がない。

時間が止まったみたいだった。

諒の視線がゆっくり動く。

奈々の顔から、
肩へ。

そして——
首筋で止まった。

その瞬間、空気が変わる。

諒の目がわずかに揺れた。

次の瞬間、

諒が動いた。

奈々の腕を掴む。

「え……ちょっと、諒」

強い力だった。

戸惑う間もなく引かれる。

「奈々……?」

颯太が目を覚ます。

体を起こす。

諒は振り向かない。

奈々の腕を引いたまま部屋を出る。

廊下の空気が急に冷たく感じる。

奈々の心臓が速くなる。

頭が追いつかない。

外に出る直前、

諒が急に足を止めた。

奈々の体が少し揺れる。

諒は何も言わないままコートを脱いだ。

そして、

奈々の肩にそっと掛ける。

包まれる。

暖かさ。

不意打ちみたいに胸に広がる感覚。

懐かしい匂いだった。

子供の頃から知っている匂い。

奈々の心臓が小さく跳ねる。

諒はその瞬間、

目を閉じた。

ほんの一瞬だけ。

自分の感情を押し込めるみたいに。

それから扉を開ける。

夜の空気が流れ込んできた。

森の匂い。
静かな闇。

少し遅れて、

後ろから足音が追いつく。

「諒!」

颯太だった。

三人が夜の中で向き合う。

沈黙。

張り詰めた空気。

奈々の胸の奥に溜まっていたものが一気に溢れる。

「……何なの」

声が震えていた。

諒は何も言わない。
ただ奈々を見ている。

奈々の目が揺れる。

怒りと悲しみが混ざる。

「ずっと探したんだから」

諒の視線がわずかに動く。

奈々の声が強くなる。

「颯太と必死で探したんだから……!」

涙がこぼれた。

五年。

何度も名前を呼んだ。
連絡先を探した。
手がかりを追った。

それでも見つからなかった。

諒は黙っている。

奈々を見るだけ。

颯太が奈々の肩に手を置く。

ゆっくり。

落ち着かせるように。

奈々を守る位置。

その瞬間、

諒の目がほんの少しだけ揺れた。

すぐに消える。

奈々が小さく息を吐く。

そして言った。

「……部屋、帰る」

その言葉で三人はコテージへ戻った。

ドアが閉まる。

外の空気が遮断される。

部屋の静けさ。

でもさっきとは全然違う。

奈々の涙が止まらない。

「何でいなくなったの」

声が震える。

諒は黙っている。

奈々は涙を拭く。

でもまた溢れる。

「何も言わないで消えるとか……」

胸が痛い。

「ひどいよ」

沈黙が落ちる。

長い時間だった。

やっと諒が口を開く。

「……悪かった」

それだけだった。

奈々は唇を噛む。

足りない。

五年分には全然足りない。

でもそれ以上言わない顔だった。

そのとき、

外からエンジン音が聞こえた。

諒が視線を上げる。

迎えの車だった。

諒はゆっくり立ち上がる。

奈々を見る。

言葉が出かけて、
止まる。

ほんのわずかに視線が落ちる。

奈々の肩に掛かっているコート。

指先がわずかに動く。

触れそうになって、やめた。

代わりに諒は小さく息を吐く。

聞こえるかどうかも分からない声で、

「……返さなくていい」

誰にも届かない独り言みたいに落ちた。

奈々は気付かない。

颯太も聞いていない。

諒だけがそれを残した。

それから扉へ向かった。

ドアが開く。

閉まる。

少しして車のドアの音。

ライトが森を照らす。

車はゆっくり遠ざかっていった。

静けさだけが残る。

奈々はその場に立っていた。

肩にはコート。

まだ温かい。

奈々はそっと触れる。

胸の奥が揺れる。

選ばなかったはずの温もりだった。

そのとき——

ふと違和感が残った。

さっき。

外に出る直前。

諒は一瞬だけ奈々の首元を見ていた。

あのときの目。

奈々は思い出そうとして、やめた。

分からないままのほうがいい気がしたからだ。

コートの襟を少しだけ握る。

まだ温かい。

理由なんて考えなければ、

ただ懐かしいだけで済むから。

——その頃。

黒い車は夜の道を走っていた。

後部座席で諒は窓の外を見ている。

街の灯りが流れていく。

さっきの光景が頭から離れない。

奈々の腕を掴んだ感触。

近づいた距離。

懐かしい匂い。

諒は小さく息を吐く。

ぽつりと呟く。

「……変わってねぇな」

少し間が空く。

自嘲みたいな笑い。

「いや……変わったか」

思い出す。

奈々の首筋。

奥歯がわずかに噛み締まる。

窓の外へ視線を向ける。

「遅ぇよな」

誰に言うでもない独り言。

五年前。

公園の夕方。

胸の奥が静かに痛む。

諒は低く呟いた。

「……それでも」

小さな声。

「迎えに行く」

車は夜の街へ消えていった。