鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

鷹宮先輩を見送ったあと、あたしはしばらく玄関に立ったままだった。

――「行ってきます」と言ってくれた声が、まだ胸に残っている。

その余韻を振り払うように、会社へ電話を入れた。
事情を説明すると、土日を含めて今週いっぱいは休んでいい、という判断になった。
少し拍子抜けするほど、あっさりだった。
 
続いて雪乃先輩にも連絡を入れると、出るなりため息混じりの声が返ってくる。

「聞いたわよ。災難だったわね……」
 
「すみません、こんな時に出社できなくて……」

「何言ってんの、ほーりーの方が大変でしょ。それに隣の部屋の過失なんでしょ」
 
「そうなんですけど……」
 
一瞬の間。
 
「……で、今璋のとこでしょ?居心地は大丈夫?」
 
心臓が、どくんと鳴った。
 
「え?!雪乃先輩なんでその事っ……」
 
​「璋からね、『葵が何も持ってへんねん!
今すぐ一式揃えたいんやけど、女子のモノで何要る!?』
って、パニック気味に電話がかかってきたのよ」
 
「……先輩が、パニックに?」
 
「そう!あんなに余裕のない璋、初めて見たわよ~!ほーりーにも聞かせてあげたかったわ」
 
雪乃先輩の言葉に、さっきまでの鷹宮先輩の姿と重ねてみる。
クールで完璧な彼が、あたしのために余裕を失くしていた――。
 
知らなかった彼の熱にふれた気がして、宝物みたいに大事に胸に留めた。
  
「ほーりーを独りにさせたくなかったみたい、そりゃ不安にもなるもんね」
 
電話の向こうで雪乃先輩が、クスッと笑う。
 
「部屋も余ってるみたいだし、落ち着くまでは璋の家でお世話になったらいいわよ」
 
あっさり言われて、言葉に詰まる。

「あ、念のため言っとくけど……」
 
雪乃先輩の声が、少しだけ楽しそうになる。
 
「万が一、あいつが変なことしてきたら、遠慮なく急所を蹴り上げなさい、で、あたしに速攻で連絡して!」
 
「ゆっ……雪乃先輩っ……!」
 
「冗談よ、冗談。でも……」
 
一拍置いて。
 
「璋、放っとけないタイプだから……特に、自分のテリトリーに入れた人間はね」
 
電話が切れたあとも、その言葉が耳に残った。

放っとけない――

(鷹宮先輩の中で、あたしって……どんな存在なんだろう)

手のかかる後輩?
失恋して大泣きした後輩?

答えが出ない思考に、あたしは小さく首を振った。
今は余計なことを考えるより、動いていた方がいい。
今日は一日、やることが山ほどあるのだから。
  
『家のもん、遠慮せんと使ってええからな』
 
そう言ってくれた鷹宮先輩。
甘えるかたちになって申し訳ない分、得意な家事で恩返しする。

(お世話になるんだから、ちゃんと役に立たなきゃ)
 
そう誓ったあたしは、やる気満々で冷蔵庫を開けた。
驚くほど中身が少ない……。
そんな中で一際陣取っているものが、視界に入る。
 
「あ、プリン……しかも3個入りが3パックも」

スイーツだけは抜かり無く、キープしてある。
それ以外は、飲み物や調味料がちらほら。 
 
(本当に甘党なんだなぁ……見た目からは想像できないくらい)

あたしは冷蔵庫を閉めて、出かける準備を整え、借りている鍵で家を施錠した。
エレベーター用のカードキーが無いので、コンシェルジュにお願いして、セキュリティを解錠してもらい降りていく。
 
(……ここ、ほんとに「住む場所」なんだ)

オートロックの向こうに広がるエントランスは、
静かで、無駄な音が一つもなかった。 


火事関連の手続きと自分用の日用品を買い込んだ後、近くのスーパーに立ち寄った。

(そういえば、何が好きなんだろう、……和食?それとも洋食?……聞いておけばよかった)
 
カートを押しながら、値段と相談しつつ、野菜やお肉を入れていく。 
好物のイチゴがお値打ちになっていたのも、見逃さずにカゴにいれた。
ふと、普段は買わない練乳に目がいく。
 
(これ、鷹宮先輩……好きそう)

美味しそうにかけて食べる姿を思い浮かべながら、自然と手に取り追加していた。

いろいろと買い込んだ品物を、「お部屋までお運びしますか?」とコンシェルジュが声をかける。
一瞬迷ってから、ありがたくお願いした。

するとスマホの画面に、鷹宮先輩からの新着メッセージ。
朝、出掛ける前に、お互いの連絡先を交換していた。 

『定時通り、帰ります』
 
(残業じゃなくてよかった……「お疲れ様です、お気をつけて帰ってきてくださいね」……と)

返信を入れていると、スマホ越しに映る自分の顔に驚く。

(……違う、嬉しいとかじゃない) 
  
あたしは恥ずかしくなって、急いで荷解きし夕食の準備に取りかかった。

***
 
「ただいま」
 
その声が、
この部屋に「帰ってきた人」のものだと気づいて、
胸が小さく鳴った。

「おかえりなさい、お疲れ様でした」

玄関まで出迎えると、一瞬、面食らった顔の鷹宮先輩。

「どうかしましたか?」

「……いや、なんや久々やなぁって……うん、ただいま」
 
今度は噛み締めるような表情で、ネクタイを緩める。 
その仕草が崩した前髪と相まって、妙に色っぽくて顔が熱くなる。
今日1日で、知らない鷹宮先輩をいくつも見た。
  
「寒かったですよね、冷めないうちにご飯にしましょう」

あたしは誤魔化すように背を向けて、パタパタとキッチンに向かった。 

「いただきます」
 
「お口に合うといいんですが……」

鷹宮先輩の口に運ばれていくおかずを、じっと見守る。
前から思っていたけど、鷹宮先輩は箸の持ち方ひとつ取っても、所作が綺麗だ。
育ちの良さがわかる。

(…………鷹宮先輩て、何者?) 
   
「ん……やるやん、そんな不安な顔せんでもええやろ」  

その一言に安堵したあたしも「いただきます」とようやく食べ始める。

「誰かに食べてもらうご飯は久し振りだったので、つい」

「俺もやな……」

「あ、先輩、ちゃんと野菜も食べてくださいね」   

「オカンか」というツッコミに苦笑いしながらも、作ったおかずが次々と完食されていくのも、気持ちいい。   
こんな風に食卓を囲んでの団欒に、あたしの心が癒されていった。
  
「食後のデザートに、イチゴを買ってきたんですが食べますか?」

「おー!」

お皿を下げにきてくれた鷹宮先輩が、冷蔵庫に冷やしてあるイチゴを取り出してくれた。

「あれ、練乳?」

「はい、鷹宮先輩はかけるかな?って………勝手に思って」

「ははっ、めっちゃ俺のこと見てますねぇ~葵チャン」

嬉しさを隠さず笑う顔に、少し意地悪さを含んだ声。
 
「……っ、そんなに見てません」
 
慌てて目を逸らそうとしたけれど、それより早く、先輩の視線があたしの瞳を捕まえた。
 
練乳をかける手は止まっているのに、熱を帯びた瞳だけがじっとあたしを見つめている。
からかわれていると分かっていても、その瞳の奥にある真剣な色に射すくめられて、鼓動がやけに煩い。
 
たっぷり練乳がかかったイチゴを口に運ぶと、鷹宮先輩の端正な唇に、白く甘い雫がひと筋だけ残った。
それを親指で拭い、あたしを見つめたまま、ゆっくり舌先でなぞる。
 
その仕草に、フォークを落としそうになる。
 
​「…………かっこいい」

思わずこぼれた本音に、彼は「当たり前やん、俺やで?」と、いつもの意地悪な笑みを浮かべた。

「その顔で言われると説得力ありすぎます……」
   
「やっぱりよう見てるやん~葵チャン」

「……そんな顔してたら」

一瞬、言葉を切って。

「イチゴより先に、食べたくなるやろ」
 
​「え……?!」
 
​「家でしか見せへん顔、教えてもうた気がするから。……これ、めちゃくちゃ美味いわ。ありがとうな」 
 
(……だめ)

嬉しいのに、

胸の奥が、少しだけ怖かった。
 
ただ悟られたくなくて、練乳の甘さと胸の震えを、イチゴと一緒に飲み込んだ。   

***
 
「俺が片付けるから、休んどき」という言葉に甘えて、皮張りのソファに身体を沈ませた。
 
一面のガラス越しから、昨日はあまり分からなかった景色が見える。
自分の家からは見ることが無い都会の街並みは、どこか別世界のようにキラキラ輝いていて。
鷹宮先輩の家にいることもあわせて、日常のようで非日常みたいに思える。
 
――縁が無いと思っていた場所にいる不思議。

「……ここ、普通のお給料じゃ住めない場所だよね……」
 
​「あー……親戚の持ち物やねん……」

​鷹宮先輩は苦笑いともとれる表情で視線を外すと、うなじのあたりに手をやり、熱を逃がすようにゆっくりと首筋をさすった。
 
完璧なはずの彼が見せた、わずかな綻び。
 
​(…………何か、隠したいことでもあるんだろうか)
 
「それより」と少し強めの声で、話題を切り替える。
鷹宮先輩が引き出しから一枚のカードを持って、隣に腰を下ろす。
 
「エレベーター使うんも、カード要るから」

差し出されたのは、鈍く光を反射するシルバーのカードキー。

「朝渡したんは、緊急用。不便で悪かったな、こっち持っとき」 

​鷹宮先輩はあたしの手のひらから朝の古い鍵をそっと回収すると、代わりにずっしりと重みのあるカードを置いた。
 
指先にひんやりとした金属に近い重厚な質感が伝わる。
表面には細かなラメが施されていて、光の角度で真珠のように艶やかに光っている。  
    
​「こっちがスペア。これ、葵用な」
 
​さっきまでの鍵が「借り物」だったなら、このカードはあたしがここに居ることを許された「証」みたいだ。
 
握りしめると、カードの角が掌に食い込んで、現実の痛みと甘い痺れが同時に走った。
       
泊めてもらっている、じゃない。
預けられている、でもない。

――ここから、出られない気がした。

「……ありがとうございます」

そう答えると、鷹宮先輩は軽く笑った。

「普通のカードキーやで?返事、重ない?」

冗談みたいな口調なのに、
その視線から、逸らしたいのに、逸らせなかった。

日常が、静かに狂っていく。
 
――甘さとほんの少しのスパイスで。