鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

​クリスマスイブは璋さんが残業で、クリスマスは雪乃先輩たちと賑やかに盛り上がった。
怒涛のような年末が過ぎ、今日は仕事納めの日。
 
社内広報のモニターには、四ノ宮ホールディングス株式会社のトップ、四ノ宮扇(しのみや おうぎ)会長の挨拶が映し出されていた。
 
​(いつ見ても、凛としてお元気そう……)
 
ふと画面の中の会長が目を細めた瞬間。
涼やかな目元と、どこか人を寄せ付けない高潔な佇まいに、あたしの心臓がドクンと跳ねた。 
 
(……気のせい、だよね)

胸の奥がざわつく。
――似てる、なんて。
 
あたしは自分を納得させるように、今年最後の業務に集中した。
  
​***  
 
​「仕事納め、お疲れさん!」
 
「お疲れさまです!」
 
​カチンとビールグラスを軽くぶつけ合う。
会社の忘年会は昨日済ませていたので、今日は二人きりでの打ち上げだ。
璋さんと家でゆっくり夕食を囲むのは、いつぶりだろう。
​食卓の中央で湯気を立てるのは、二日前から仕込んでいたおでんだ。
 
​「はぁ〜、この大根。めっちゃ味がしゅんでてうまいわ」
 
​「…………しゅむ??」
 
​聞き慣れない言葉に目を丸くするあたしを見て、璋さんはふっと頬を緩めた。
 
​「関西ではな、味が染み込むことを『しゅんでる』って言うねん」
 
​「なるほど! はじめて知りました……璋さんの関西弁、あたし好きです」
 
​素直な気持ちを伝えると、彼は一瞬動きを止め、それからとろけるような甘い瞳であたしを射抜いた。
 
​「葵チャン……急に可愛いこと言うの反則やわ。……食べたなるやろ」
 
​「たべっ……もう! 璋さんっ!」
 
​気恥ずかしさを隠すように、あたしは慌てて話題を切り替えた。
 
​「あの、明日か明後日くらいに、日帰りで実家に帰ろうと思うんです」
 
「葵の実家はどこなん?」
 
「藤沢市です。……実は火事のこと、心配かけたくなくて言いそびれてたから、ちゃんと話しておきたくて」
 
​あたしの言葉に、璋さんは箸を置くと、少し真剣な面持ちでこちらを見つめた。
 
​「それなら、俺も一緒に行ってもええ? ちゃんと葵のご両親にご挨拶したいし」
 
​「えぇっ? ……無理しなくていいですよ。それに、璋さんみたいなイケメンが突然現れたら、母が驚きすぎて倒れるかも……」
 
​「大げさやな。でも、大事な葵のご両親やからな。そこはしっかり筋を通しておきたい」
 
​真っ直ぐな誠実さに、あたしの胸は熱くなる。
 
「ありがとうございます……。同居のことも、事情を話せば理解してくれる両親なので大丈夫ですよ」
 
​「同居……といえば」
 
​ほろ酔いの璋さんが、ふと思い出したように少しだけ声のトーンを落とした。
視線をグラスの縁へ落とし、少しだけ耳を赤く染めている。
 
​「……火事の後の、あの土曜日。俺、仕事や言うたやろ」
 
「え? あ、はい。そんな感じでしたよね?」
 
​あたしが不思議そうに首を傾げると、彼は照れ隠しに自分の髪をくしゃくしゃとかき上げた。
 
​「……ほんまはな、一緒に行ったら、葵がそのままアパートに戻ってしまう気がして……」
 
「え……?」
 
「……やから仕事や言うて、ちょっと拗ねてたんやろな、俺。……今思えば、えらいガキみたいなことしたわ」
 
​ふいに出た彼の本音に、あたしの胸はお酒よりも熱い何かに満たされた。
 
​「でも、璋さん、急いで駆けつけてくれましたよね。あたし、嬉しかったです」
 
​どんなに不器用な振る舞いをしても、最後には必ずあたしを包み込んでくれる。今はそれが、痛いくらいに伝わってくる。
 
​「そういえば、璋さんはご実家に帰らないんですか?」
 
「俺は……実家は京都やねんけど。冬はめちゃさっむいからなぁ」
 
「京都なんですね! 素敵な街ですよね……いいなぁ、いつか行ってみたいです」
 
​あたしが夢見るように呟くと、璋さんは少しの間を置いて、噛み締めるように言った。
 
​「………………葵が言うなら、一緒に行く?」

一瞬だけ、言葉を選ぶような間があった。
 
「え? どこに?」
 
「………………せやから、京都に」
 
​思いがけない提案に、あたしは目を瞬かせた。
 
「いいんですか? ……あ、でもご実家のご都合は?」
 
「そんなん聞かんでもわかる。ええに決まってるから」
 
​確信に満ちたその言葉。

(……どうして、そんな覚悟みたいな顔するの?)
 
けれど、その瞳の奥に――
何かを手放す覚悟みたいな光が宿ったのを、あたしは見逃さなかった。
 
​***
 
​実家へ向かう当日。
あたしたちはデパ地下の有名なバウムクーヘンのお店に立ち寄っていた。
 
​「璋さん、お土産とかそんなに気を使わなくて大丈夫ですよ?」
 
「最初が肝心やねん。それに、葵の家族に適当なことしたくない」
 
​真剣な表情で吟味する姿に、あたしは胸を打たれる。
 
「ありがとうございます。……これ、おいしそう」
 
​「……バウムクーヘンはな、年輪が重なってるから縁起ええねん。葵との時間も、こんな風に積み重ねていきたいし……」
 
​「えっ、璋さん……いま、なんて?」
 
​「んんっ……なんでもない! これにするわ」
 
​早口で誤魔化す璋さんの横顔は、心なしか赤くなっているように見えた。
 
​***
 
​実家の玄関ドアを開けると、出迎えに来た母が息を飲んだ。
 
​「お帰り〜あお……い……、え、隣の方がもしかして」
 
「初めまして。鷹宮璋と申しま……」
 
「きゃあー! イケメン!アイドル?! ちょっと、うちわとペンライト持ってこなきゃ!」
 
​あまりのハイテンションな歓迎に、社内随一の切れ者である璋さんが、見たこともないほど呆然と立ち尽くしている。
 
​「お母さん落ち着いて! ……すみません、璋さん」
 
「いえ……歓迎していただいて嬉しいです。これ、良かったら」
 
​璋さんは苦笑いを浮かべながら、丁寧にバウムクーヘンの紙袋を差し出した。
​リビングへ通されると、父が少し緊張した面持ちで座っていた。
 
​「改めまして。鷹宮璋と申します。葵さんと真剣にお付き合いさせていただいています」
 
​両親の前で深々と頭を下げる彼の姿は、いつもの主任としての威厳に、誠実な青年の顔が混じっていた。
 
​「鷹宮さん、火事の件、聞きました。葵を助けてくださったうえ、家の事まで……。お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした」
 
「そんな、僕のほうこそ。本来ならもっと早くご挨拶に伺うべきでした」
 
​父が真摯に言葉を紡ぐと、璋さんは背筋を伸ばし、一言一言を噛み締めるように返す。
話題が生活のことになると、璋さんはあたしを真っ直ぐに見つめて言った。
 
​「葵さんは、家事も料理もめちゃくちゃ上手いですよ。僕のほうが助けられています」
 
「でしょ! 自慢の娘なんです。……でも、本当にうちの娘でいいんですか?」
 
​母の問いに、璋さんは迷いなく、はっきりとした口調で答えた。
 
​「葵さん以外、考えられません」

「……そう言い続けられるように、俺がちゃんとします」

その言葉が、どれだけ重いものか。
どれだけ、残酷な未来に繋がるのか。 
この時のあたしは、まだ知らなかった。
 
​璋さんは母が出してくれたお菓子を、本当に美味しそうに口に運んでいる。
その様子に、両親も私たちも少しずつ緊張が消えていくのが分かった。
 
​「璋さんに聞きたいんだけど、葵のどこが良かったの?」
 
​母が踏み込んだ質問を投げかけると、璋さんは少しだけ考えて、あたしを愛おしそうに見つめた。
 
​「……葵さんが、葵さんらしくいるところです」
 
​そして、両親に向かって続ける。
 
​「でも一番は、こんなに素敵なご両親のもとで、愛情たっぷりに育ったところだと思います。だからこそ、彼女はあんなに温かいんだと分かりました」
 
​その言葉に、私も母も「あらあら……」と照れ笑いを浮かべ、父はどこか誇らしげに目を細めた。
 
夕食を共にする頃には、璋さんと父はすっかり打ち解け、晩酌を楽しんでいる。
キッチンで母と並びながら、あたしはその背中を眺めていた。

​「良い人ね、璋さん。……葵、彼が誠実で、あんたを大事にしてるのがよくわかるわよ」

​母さんの優しい言葉に、あたしは胸がいっぱいになった。
 
​***
 
​実家を後にして、最寄り駅へ向かう帰り道。
冬の澄んだ夜風が、火照った頬に心地よく当たる。
 
​「…………ふーっ……めっちゃ緊張したわ……」
 
​璋さんが深く息を吐き出すのを見て、あたしは思わず笑ってしまった。
 
​「どこがですか?…… むしろ、そつなくこなしすぎて、眩しいくらいでしたよ」
 
​「当たり前やん。彼女のご両親に会うなんて初めてなんやから……。少しでも心象を良くしたいしな」
 
​「璋さんでもそんな風に思うなんて、意外です。……でも、嬉しい」
 
「は? なんで?」
 
「人間味があって……会社では誰も知らない、あたしだけの璋さんなんだって思えるから」
 
​あたしが彼の腕にそっと寄り添うと、璋さんは立ち止まり、低く艶やかな声で囁いた。
 
​「葵チャン……すごい殺し文句やん。……家帰ったら、覚悟しぃや?」
 
​「璋さんっ……」
 
​「あー、早よ家に着かへんかな。一分一秒も惜しいわ」
 
​そう言うと、彼は繋いでいた手をぐいと引き寄せ、歩調を早める。
ふざけたような口調だったのが、いつの間にか彼の瞳には、熱を帯びた「男」の色が混じり始めていた。
 
​「……キス、だけなら……」
 
​「アホか。キスだけで終わるわけないやろ」
 
​繋がれた手に、強い力がこもる。
そのまま、璋さんはあたしの手の甲を自分の唇へと引き寄せた。
 
​「葵も……ほら、熱い」
 
​触れた箇所から、電流が走ったような甘い痺れが全身を駆け抜ける。
 
​「璋さん……ほんと、ズルいです」
 
​「今さら……やろ?」
 
​街灯の下、ニヤリと肉食獣のような余裕たっぷりに笑う璋さん。
あたしはまた、逃げられないほど深い、璋さんの独占欲に絡め取られていく。

――この温もりが、永遠じゃないことも知らずに。

あたしは、ただ、何も疑わずに笑っていた。