鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

​あの夜から、朝の支度は文字通り飛び起きるような騒ぎになった。
 
玄関で焦りながらコートを羽織るあたしの腰を、鷹宮先輩がぐいっと引き寄せる。
 
​「ん、充電完了。行こか」
 
​触れるだけの、羽のような軽いキス。
 
(……もっとしてほしいなんて、言えるわけない)
 
あたしの思惑は見透かされていたようで、先輩が耳元で低く囁く。
 
​「葵、続きは帰ったらな。……そんな顔されたら、まじで仕事行かれへんくなるわ」

一段低く艶めいた声音。
  
「このままベッドに連れ戻したくなるから」 
 
​繋いだ手は、そのまま先輩のコートのポケットに滑り込む。
掌から伝わる熱が、愛おしそうにあたしを包み込んだ。
 
​***
 
​ランチに誘った雪乃先輩に報告すると、我が事のように喜んでくれた。
 
「フッ……璋の理性崩壊、思ったより早かったわね」
 
「え? 何か言いました?」
 
「ううん、こっちの話〜。それより今月はイベント続きでしょ? 璋の誕生日もあるし」
 
​「……誕生日?」
 
「12月15日。……あいつ、いろいろあって自分の誕生日には興味がないのよね」

「実家のことで色々あんのよ。あんまり、笑って話さないでしょ?」  

「たしかに……じゃあ尚更、楽しい想い出にしないとですね」
 
​(……璋さんの誕生日の記憶、あたしが全部「幸せ」で塗り替えてやるんやから)
 
あたしは一人、静かに拳を握った。
 
「……ほーりーが隣にいてくれて、本当によかったわ」
 
​雪乃先輩の静かな呟きは、店内の喧騒に消えていった。

​***
 
​「ただいま――」
 
「おかえりなさい! お疲れ様でした」
 
​鼻の先を赤くして帰宅した鷹宮先輩は、まるで大型犬のよう。
 
「あかん、一気に腹へった。葵の作るメシは身体に染みるわぁ」
 
二人であつあつの鍋焼きうどんを啜る。
彼が薄味を好むこと、関西風の出汁が「落ち着く味」であること。
一緒に暮らして初めて知る彼の一面が、愛おしくてたまらない。
 
​食後のコーヒーを手にソファで寛ぐ彼に、あたしは意を決して切り出した。
 
「あの……鷹宮先輩、もうすぐ誕生日ですよね?」
 
「……雪乃に吹き込まれた? まあ、三十路になるオッサンやし、祝うほどのことでもないで」
 
​伏せられた睫毛の影に、仄暗い孤独が滲む。
これ以上は踏み込めない。
 
けれど、彼を遠くに感じたくなくて、しがみつくように抱きついた。
 
「あたしはお祝いしたいです。……かのじょ、ですし」

「……かのじょ、な」

小さく繰り返した声が、妙に低い。

「そんな自覚されたら、余計手放されへんくなるやろ」 

「あたしもです……楽しみにしててくださいね」
  
​そう言って、腕の中の体温をもう一度強く抱きしめた。
 
​***
 
​次の日。
あたしは百貨店の紳士服売場にいた。
仕事中の鋭い横顔、プリンを食べている時の緩んだ顔。
どれも、璋さんに、かっこよく似合いすぎて選べない。
迷子になりかけたその時、ショーケースの中で白蝶貝が淡く輝いていた。
 
​「贈り物でお探しでしょうか?」
 
「はい……その、彼氏に……」
 
​自分の口から出た響きに顔が熱くなる。
シルバーの台座に収まったネクタイピンとカフスボタン。
白蝶貝が、淡く光を弾いていた。

――あの夜。
逃がさへん、と囁いたあの瞳。

優しいのに抗えない光に、少しだけ似ている気がした。 
 
​「これに、します」

包装された紙袋を受け取って、あたしは急ぎ足で帰路についた。
   
​***
 
​「なんや、えらいご機嫌さんやなぁ」
 
ドライヤーの温風に混じる声。
 
「……12月15日までナイショです」
 
「へぇ〜。俺に隠し事するんやなぁ〜」
 
​いたずらっ子のように笑う顔。
 
「……その顔と声はズルいですっ」
 
「そっくりそのまま返すわ。ほんまその顔、他の男に見せたらアカンで」

「ん、乾いたで」

ドライヤーの音が止まる。

次の瞬間――
かぷっと唇を噛み付かれた。 
  
「……たかみや……せんぱっ……」
 
「んー?」
 
抗議の声は、深く熱い唇で塞がれる。
 
​「……あっぶな……」
 
先輩が額を預けて低く笑う。
不意に膝の裏に腕を通され、身体がふわりと浮いた。
 
「仕事せなあかんから、葵は先に寝といて」

「せ、先輩っ、自分で行けますから……っ!」

「ええから。黙ってお姫様抱っこされとき」
 
​暗がりのベッドへ羽のように優しく降ろされる。
 
「おやすみ、葵。……15日楽しみにしてる」
 
おでこに落とされた優しいキス。
あたしは、ずっと呼びたかった名前を紡いだ。
 
​「……おやすみなさい……………………あきらさん」

「……その呼び方、ほんまにあかんわ……戻られへんやろ」
  
耳元で震える低い声。
 
あたしは、彼の愛しさに包まれて深い眠りに落ちていった。

――12月15日。
それは365日のうちの、たった一日。
 
でも。
あたしにとっては、
ただの一日じゃ、もうなかった。