鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

​カチッ、と磁器同士が触れ合う音が静寂に響く。
向かい側に座る鷹宮先輩は、最後の一口を飲み干すと、静かにカップを置いた。
ネイビーの眼鏡の奥、その瞳は一度もあたしから逸らされることなく、重く、深く、熱を帯びている。
 
​「……満足したか」
 
「は、はい……」
 
​逃げるように食器を下げようとしたあたしの手首を、大きな手が捕まえた。
 
​「……片付けなんかどうでもええ。……こっち来い」
 
低く、喉の奥を鳴らすような声。
その響きだけで、あたしの心臓は従順な音を立てて跳ねた。​
リビングの灯りが間接照明に切り替わり、部屋の空気が一変する。
 
ソファに座った瞬間、先輩は距離をゼロにした。
逃げ場を塞ぐように背後に回された腕。耳元で囁かれる、低く掠れた声。
 
​「お前、さっき『我慢しなくていい』言うたけど……ほんまに分かってんのか?」
 
​頬をなぞる指先が、唇の端に止まった。
 
「……分かってます。あたし、先輩が……」
 
「……ほんまに?」
 
​唇が触れそうな至近距離。先輩はあと数ミリのところで動きを止めた。
吐息があたしの唇をくすぐる。意地悪なほどに、あたしの理性が決壊するのを待っている。
 
「……先輩、ズルいですっ……」
 
脆くて凶暴な笑み。
 
「ズルいんは、葵やろ。……こんな顔して煽って。もう、引き返されへんで」
 
​焦れったさに背中を押され、あたしは彼のシャツの裾を掴んだ。
 
「……あたしも、先輩に触りたい」
 
「……誰に教わったん、それ」
 
盛大な溜め息と共に、先輩はあたしの首筋に顔を埋めた。
 
「……このままやと、俺ほんまに止まらんで」
 
​「それならお風呂、一緒入りますか?」
 
自分で言ってから、少しだけ首を傾げる。 
一瞬、空気が止まった。

「……っ、やめとけ」
 
低く吐き捨てる声。
 
「……お前、無自覚か……ほんま……試してんのか、俺を」
 
​堪えきれなくなったように、先輩の腕があたしの背中を強く引き寄せた。
 
逃げ場なんて最初からない。
深く、選ぶようなキス。
さっきまで必死に抑えていた熱が、一気に溢れ出したみたいだった。
 
​「……あっぶな」

額を押し付ける。

「ほんまに、超えるとこやった」
  
「……もうちょっと、してほしい……」
 
あたしの理性が先に壊れた。
鷹宮先輩は片手で顔を覆い、細く長く息を吐く。
 
「葵、ほんまに壊したなる前に、今日は終わり」
 
額に落とされたキスは優しすぎて、逆に胸が疼く。
​「続きは、ちゃんと大事にやる。俺の彼女、やしな」
​そう言い切った彼の横顔は、夜の闇の中で驚くほど切実だった。 
 
​***
 
​「……俺のベッドで寝るん?」
 
「……ダメなら、床でも」
 
「床なんか余計あかんわ」
 
​結局、並んでキングサイズのベッドに横たわる。
 
「聖人君子とちゃうで」と釘を刺したけど、もはや葵には届かへんみたいだ。
腕の中に収まる柔らかな重みが、俺の思考をぐちゃぐちゃにかき乱す。
布団の中で混ざり合う体温。
葵がもぞもぞと寝返りを打ち、細い足が俺の足の間に滑り込んだ。
 
​(……あかんっ……)
 
脳内の警告灯が最大音量で鳴り響く。
葵は無意識に俺の胸元に顔を埋め、パジャマをぎゅっと握りしめた。
 
「……ん……せんぱい、あったかいです……」
 
​鎖骨を掠める吐息。
お前、猛獣の檻の中で肉を差し出してる自覚あんのか?
 
抱き潰したい、俺だけのものだと分からせてやりたい。
俺の「なけなしの理性」は、今や墓場に片足突っ込んでいた。
 
​「……じっとしとけ。俺が寝られへん」
 
ドスの利いた掠れ声が出る。
 
「あたしもです」
 
くすっと無邪気に笑う振動が胸に響く。
 
あかん、好きすぎてしんどい。
 
自分の家のごたつきも、歴代の彼女たちとの空虚な付き合いも、この温もりの前ではすべてが霞む。
俺は壊れ物を抱えるような力加減で、彼女を抱きしめ直した。
 
​***
 
​薄いカーテン越しの光が、部屋を淡く染めている。
 
「……おはようございます」
 
「ん…………はよ」
 
​寝起き三割増しの色気に、心臓が跳ねる。
抜け出そうとしても、大型犬のように甘える鷹宮先輩に捕獲されて動けない。
 
「……昨日の続き、ですか?」
 
「…………理性、まだ起きてるわ」
 
​ホッとしたような、残念なような。
 
「……煽んな。その顔で見るな。……キス待ちの顔」
 
​頬をなぞる親指。
昨日のリップはもう落ちているのに、自分の唇が彼の熱に染め上げられていくのが分かった。
 
「あのリップ、会社ではつけてくんな。……唇ごと食べたくなるから」
 
​ゆっくり、距離が縮まる。
 
「……葵からドーゾ。待ってるんやろ?」
 
挑発に乗り、一瞬だけ唇を重ねる。
温度だけを残して離れると、鷹宮先輩が唇の端をペロッとなめた。
 
​「おはようのキスやな。……ほんまに、俺のやな」
 
​お互いの存在を確かめ合うように、再び腕が回る。
 
「……五分だけ。このまま」
 
昨夜の激しい衝動さえ溶かしていくような、穏やかな光。
二人の境界線は溶け落ちて、

距離はもう、
理性じゃ測れないところまで、ゼロになった。