2月に入ると、世間も学校もバレンタインで盛り上がり始める。
去年までは“わたしには関係ない”と思っていたけど、今年は違う。
皇月先輩にチョコを渡そうと思っているから。
「え~妃花ちゃんすご~い!」
バレンタインまであと数日となったある日の休み時間。
突然聞こえてきた大きな声に視線を向けると、如月さんの席の周りに女の子達が集まっていた。
「読者モデルのオーディション最終審査まで残るなんてさすがだよね!」
読者モデルってもしかして、春に応募するつもりって言っていたスウィドリの読者モデル?
「今週の日曜に原宿の撮影スタジオで最終審査なの」
みんなの中心で如月さんが得意げに言っているのが聞こえた。
今週の日曜って、わたしも撮影がある日だ。
もしかしてスタジオで会ったりしないよね⋯…。
☆ ☆ ☆
日曜日。わたしはいつも以上にドキドキしながら撮影スタジオに向かった。
今日は、初めてわたしひとりで撮影をするんだ。
でも、皇月先輩も別の撮影で同じスタジオに来るらしいから。
カバンの中には昨日頑張って作ったバレンタインのチョコレート。
初心者だからオーソドックスなハート型のチョコレートだけど、皇月先輩への想いをたっぷりこめた。
今日、撮影が終わったら渡そうと思ってるんだ。
スタジオの中に入って自分の楽屋へ向かう途中、廊下を歩いていると。
「――ずっと好きだったんです」
どこからか聞き覚えのある可愛いソプラノボイスが聞こえた気がした。
もしかしてこの声は……如月さん?
思わず声が聞こえたところで立ち止まってみると、皇月先輩の楽屋の前だった。
ドアが閉まっているから、中の様子は見えない。
「ごめん。気持ちは嬉しいけど、受け取れない」
「どうしてあんな地味子がいいんですか!? わたしの方が―」
でも、声はハッキリと聞こえてきた。
やっぱりこの声は如月さんと…皇月先輩だ。
“地味子”って…きっとわたしのことだよね。
盗み聞きなんていけないとわかっていても気になってその場から動けない。
「あ、音夢ちゃんおはよう」
「お、おはようございます」
通りかかった撮影スタッフさんに声をかけられて、我に返ったわたしは慌てて自分の控室へ向かった。
「音夢ちゃんはもう七星くんにチョコ渡したの?」
片桐さんにメイクをしてもらいながらそう訊かれて、さっきのことを思い出した。
皇月先輩は如月さんのチョコを受け取らないでくれたみたいけど…。
でも、わたしのことをどう思っているのかちゃんと先輩から聞いたことないし。
「…まだです」
「あら、そうなの? 七星くん毎年ファンの子からたくさんチョコもらってるみたいよ」
「…そう、ですよね…」
やっぱりわたしなんかがチョコを渡しても、先輩にとっては迷惑かもしれない…。
なんてそんなネガティブなことを考えてしまったせいか、撮影中もうまくいかなくて。
「音夢ちゃん、大丈夫?もしかして体調悪い?」
「七星くんも凛ちゃんもいなくてひとりだからちょっと緊張しちゃったかな?」
久しぶりに何度もNGを出してしまって、スタッフさんにも心配をかけてしまった。
「――OKです、お疲れ様でした」
やっと撮影が終了した時には、ものすごい疲労感が全身を襲っていた。
本当はこのあと皇月先輩の楽屋に寄ってチョコを渡そうと思っていたんだけど。
こんな気持ちじゃ先輩に会えないし、今日はもう早く帰りたい…。
そう思いながら自分の控室へ戻ろうと足早にスタジオを出たその時。
「美夢」
突然聞き覚えのある声で名前を呼ばれたと同時に、腕を掴まれた。
「……皇月先輩?」
どうして控室じゃなくてここに?
「撮影早く終わったから気になって来てみたんだ」
わたしの疑問を察したようにそう言った先輩。
わたしのことを気にしてくれたのは嬉しい…けど、今はひとりになりたい。
でも、そう思ったわたしの心を見透かしたかのように先輩が「ちょっと話あるから」とわたしの腕を掴んだまま歩き出した。
着いたのは皇月先輩の控室。
またさっきの如月さんとの会話を思い出して胸が痛む。
「今日、如月ってヤツと話した。なんか、オーディションの最終審査に残ったらしくて」
「………」
いきなり核心をついた話題で、返す言葉も見つからない。
「あいつ、美夢のこといじめてたヤツだよな?」
無言のまま頷くと、突然目の前にハンカチが差し出された。
一瞬戸惑ったけど、このハンカチ…なんとなく見覚えがあるような…?
「これ、おまえのだから返すよ」
「…え…?」
わたし、先輩にハンカチなんて貸したことあった…?
それとも気づかないうちに落としてたのかな…?
でも、最近こんなハンカチ使ってないけど…。
不思議に思いながらもハンカチを受け取ると、端の方に黒いマジックで“つきしま みゆ”と名前が書かれていた。
だいぶ色褪せて薄くなっているけど、確かにわたしのハンカチだ。
「それ見てもまだ思い出さない?」
「え?」
思い出す?なにを?
「“僕なんかって言ったらダメだよ!”って言ってそのハンカチ俺に渡してきたこと」
「……?」
そんなこと…あった?
「やっぱり覚えてない、か」
「…ごめんなさい…」
一生懸命記憶の糸を手繰り寄せても、これと思える出来事が思い出せない。
「小4の時、レッスンの帰り道に落ち込んでたら偶然通りかかった月島が声をかけてくれて、一生懸命俺のこと励まそうとしてくれたんだ。“僕なんかって言っちゃダメだよ、やる前からできないってあきらめちゃダメ”って」
「……あ……」
言われてみればそんなことがあったような気がする。
「あの言葉があったから、今の俺がいるんだ。だから…美夢は俺の恩人なんだよ」
そう言ってくれた先輩の笑顔が、とても優しくて。
まさか過去にそんなつながりがあったなんて思わなくて。
嬉しさと恥ずかしさと驚きで、言葉が出てこない。
言葉のかわりに溢れてきた涙で、目の前の視界がゆらゆらと滲む。
「入学式の時、美夢の名前聞いてやっと見つけたって思った。ずっと会いたかった…初恋の子だから」
…まさかそんな…先輩の初恋の人が…わたし、なんて…。
さっきから信じられないことばかりで頭が完全にパニックだよ…。
「俺にあんな強気で説教してた子だから、今も強気な感じの子なのかなと思ったら…まさかの地味子でいじめられてるなんて思わなかったけどな」
「…じゃあ、もしかして、最初にわたしのこと助けてくれたのは…」
「そう。本当は偶然見かけたからじゃなくて、美夢のこと知ってたからだよ」
「…そうだったんだ…」
ずっと不思議に思ってた。
いくら生徒会長とは言え、なんの接点もない1年生がいじめられてるところを見かけたからって助けてくれた上にシンデレラプロジェクトの候補にまでするなんて…って。
なんでわたしなんだろうって。
でも、今の先輩の話で全てが繋がった。
「ずっと美夢に言いたかったんだ。あの時声をかけてくれてありがとうって」
「…そんな…わたしの方こそ…」
いじめられた時、助けてくれただけじゃない。
撮影の時も、プロジェクトの時も、いつだって先輩はわたしの背中を押してくれた。
「俺はあの時からずっと美夢のこと好きだから」
「………」
うそみたい。夢みたい。
だって…ずっと憧れてた皇月先輩から“好き”って言ってもらえるなんて。
「…美夢…」
涙が止まらないわたしを優しい声で先輩が呼んで遠慮がちに手が伸ばされた、その時。
「七星くん、そろそろ車出すわよ」
控室のドアをノックする音と同時に、美雲さんの声が聞こえた。
「あら、お邪魔だった?」
ドアが開いて中を見た美雲さんが、からかうように言ったけれど。
「ぜ、全然そんなことないです!失礼します!」
「あ、待って!せっかくだから音夢ちゃんも車で送ってあげるから支度したら駐車場までいらっしゃい」
慌てて控室を出ようとしたわたしに、美雲さんがそう声をかけてくれた。
ということは、先輩と途中まで一緒に帰れるんだ。
「わかりました」
急いで涙を拭って、わたしは自分の控室へ向かった。
着替えを終えたわたしは美雲さんの車で家まで送ってもらって。
皇月先輩にチョコレートを渡すこともできて、「ありがとう」と笑顔で受け取ってもらえて安心した。
美雲さんに冷やかされて恥ずかしかったけど、初めて先輩の気持ちを聞くことが出来て思い出に残るバレンタインになった。



