恋は手のひらの上で

グレーのスーツ姿。

不意に、彼がネクタイに手をかけた。
さっきまで完璧だった結び目が、指先に引かれて、わずかに下がる。

きゅっと閉じていた喉元に、ほんの少しだけ隙間ができる。
それだけの変化なのに、目が離せない。

彼は気づかない。鏡越しに、私が見ていることに。
結び目は、少し緩んだまま。


「女性にこんなことを聞くのは失礼かもしれませんが。西野さんっておいくつなんですか?」

不意に尋ねられて、視線がぶつかった。
鏡越しではなく、直接。

「えっ?」

思いっきり変な声が出た。
その自覚はあったけれど、隠しようがないので無意識に前髪を整える。

「二十七です。あの、でも、私はまだ全然なにも分からなくて」

勝手に口がしゃべる。

「五年目なのにまだ色々緊張することも多くて。いつになったら慣れるのか教えてほしいです」

あぁ、頭がぐちゃぐちゃ。
余計なことをべらべらと。

心の中で自分を叱咤していると、椎名さんはまた素の笑い方で笑った。

「はは、いや、俺もちゃんと緊張しますよ。いくつになっても同じです」

「…ほんとですか?」

「はい。ほんとです。むしろ、西野さんって落ち着いて見えていたので、何歳なんだろうと思って。聞いちゃってごめんね」


ほんの少しだけ砕けた、彼の言葉の端っこ。
年上の余裕。気遣い。やさしさ。

感じたことのない、胸に流れ込むあたたかさ。