恋は手のひらの上で

「……三千円にします」

自分でも思っていたより、静かな声が出た。
けれど、迷いはなかった。

「初期上代、三千円で再設計します」

数秒。

なんの反応もないので、あれ?と隣にいる椎名さんを見る。
彼は、なにも言わずに私を見ていた。

その視線は鋭くも優しくもなく、ただまっすぐ。
まるで、最後の一拍を待つみたいに。


やがて、ふっと息が抜ける音がした。

小さく彼が笑う。本当に、小さく。
それは、今まで見たことのない椎名さんだった。

「……よかった」

低い声が近い距離で落ちてきて、私は思わず瞬きをする。

椎名さんは少しだけ視線を外して、額にかかった髪を指で払った。
その仕草が、いつもより無防備に見えた。
たぶん、少しだけ顔をのぞかせた、素の瞬間。


「正直、ぎりぎりまで分からなかったので」

視線が私に戻る。

「西野さんが、どこで腹を決めるか」

“腹を決める”、その言い方に、胸が静かに脈打つのが分かった。
申し訳ない気持ちと、たぶんこの決断をするであろう瞬間まで待っていてくれた優しさ。

「時間がかかってしまって…すみませんでした」

心からの気持ちでそう言うと、彼はイスの背もたれに体を委ねて、首を振った。

「いえ。…俺から三千円と言うのは簡単でした」

淡々とした声。
でも、その奥に少しだけ安堵が混ざっている。

「でも、それだと西野さんの数字にならない。そうでしょう」

空気が、少し柔らかくなった。
さっきまでの会議の緊張が、ゆっくりほどけていくみたいに。

「…怖かったです」

その和らいだ空気にほだされて、気がつけば口から本音がこぼれていた。