恋は手のひらの上で

毎回、食事やデートに誘われるたびに断る。なにも気づいていないふりをして。
高橋は、その気づいていないふりに、気づいている。

あの手に身を委ねたらどんなにラクだろうって思う。
でも、彼の手を取ろうと思えない。


…“平和”。

その言葉に、なぜか少しだけ引っかかる。

私はヒールの中で指を動かす。
さっき緩めたストラップが、心地いい。


『背伸び、悪くないと思います』

あの時の声が、ふっと蘇る。
どうして今なんだ?


私の心を読み取るかのように、麻耶がまた話題を戻す。

「で、その“手がきれい”な主任と次はいつ会うの?」

「ちょっ…。手がきれいな、は余計だよ!」

「芽依は難攻不落だからなぁ〜」

今日は二人とも、追及が厳しい。
咳払いして、ワイングラスを揺らした。

「次フェーズの打ち合わせで、資料がまとまり次第会うとは思うよ」

「そっかそっか。…楽しみ?」

紗英は楽しげに私を眺めている。
たぶん、動揺しているのが面白くて仕方ないのだろう。
顔に出しちゃだめ、と思う自分と、即答できない自分がいた。

「まあ、仕事だから」

二人が笑う。

「はい出ました、“仕事だから”」

私もつい笑ってしまった。
笑っているのに、バッグの中の名刺の存在を思い出している。


私は、ならない。
そう思っている。
好きになるとか、振り回されるとか、そういうのは今は優先順位が低い。

なのに、あのとき名刺を差し出してきた指先が妙に鮮明だ。


「芽依ってさ、分かりにくいよね」

と、麻耶が頬杖をついて生ハムを噛んだ。

「分かりにくいって、なにが?」

「誰かを好きになるとき」

私は首を振る。

「ならないよ」


言い切った瞬間、自分の声が少しだけ硬いことに気づいた。

ワインを飲み干す。
今夜は、それで十分だと思うことにする。


───私のバッグの中。
名刺の角が、やけに硬く当たっている気がした。