確かに赤木の言うとおり、『Ark』の仕様は合意済みだ。
――二週間前、西園寺景が持ち込んだ『仕様書』は、合理的かつ美しかった。完璧と言っても差し支えのないほどに。
怜はその仕様案をコアメンバー三十人らと共に詳細な設計へ落とし込み、寝る間を惜しんで相手方の担当者と議論を重ねてきた。
内容に関する懸念は、もうない。野方のボロアパートで、冷めた半額弁当をかき込みながら仕上げた資料は、いまや完璧な箱舟だ。
――だが、隣に座るこの男が、一瞬でその努力を無に帰す可能性を、怜は知っている。
(……赤木部長は、課長のポンコツぶりを知らないから、そんなことが言えるのよ)
景がこの二週間に引き起こした「惨事」は、片手では収まらない。
シュレッダー事件の翌日には、複合機のトナーで顔を真っ黒に染めた景。別の日には、トイレから戻らないと思ったら、ウォシュレットで床を水浸しにし、途方に暮れていたという。
「この”ハンコ”という文化は、実にエレガントだね」と微笑みながら重要書類に朱肉の赤インクをぶちまけられた時には、冗談抜きで殺意が湧いた。
それなのに、会議や打ち合わせは完璧にこなすものだから、他部署の人間は景を有能だと信じて疑わないのである。



