言えない。言わない。

梅雨の終わりかけの夕方
庭には雨上がりの匂いがまだ残っていた。

雲はゆっくり流れ
空の色は薄い紫を含んでいる。

玲央はボールを一度だけついたが
すぐに手を止めた。

しゃがみこんで水面を覗いている
月乃のスカートの裾が湿った空気に
少し重く揺れていた。


月乃「そら、うつってる」


指先で、水面の端をそっとなぞるように示す。


玲央「ほんとだ」


雲が流れるたび、色がゆっくり揺れていく。

風が止まると
水面はぴたりと静まり、映った空だけが残る。

なんとなく面白くなって
玲央は足先で水たまりを軽く蹴った。


ばしゃ。


水が跳ねて、映っていた空が一瞬で崩れる。


玲央「わ、すげ」


もう一度、同じように蹴る。


ばしゃ。


月乃「やめて」


玲央「なんで」


水たまりに目を落とす。

月乃は崩れた水面をじっと見ている。

さっきまで空があった場所。


月乃「いま、きれいだったでしょ」


玲央「またできるじゃん」


軽く言うと、月乃は首を横に振る。


月乃「ちがう」


その声は、さっきより少し強かった。


玲央「だって、水だし」

言いながらも、水たまりを見る。

もう空は映らず
ただ濁った色だけが広がっている。


玲央「……おこってる?」


月乃は首を横に振る。


月乃「れお、わかんない」

それだけ言って、門のほうへ歩き出す。

湿った砂利が足音を吸い込んで
音はほとんど残らない。


玲央「ごめん」


声をかけても、月乃は止まらない。


玲央「つきの」


いつもより少し強く呼ぶと
ほんの一瞬だけ足が止まった。


玲央「……また、つくればいいじゃん」


月乃は振り返らないまま言う。


月乃「いま、だったの」


そのまま家に入り
玄関の扉が静かに閉まった。

残された水たまりを見下ろすと
そこにはもうただの泥水しかない。

空はどこにも映らず
夕方の色だけが少しずつ濃くなっていく。



次の日。

庭に出ても、月乃はいなかった。

ボールをつく。


ぽん。


同じ音が返ってくる。