言えない。言わない。

隣の家の玄関をくぐる前から、音は聞こえていた。


玲央「つきの」


そのときだけ、ほんの少しだけやわらいだ。


その変化を、ちゃんと知っている。


その前で、雫が窓のほうを見ていたときのことが、頭をよぎる。


雫「きれい」


その声を聞いたとき、胸の奥が少しざわついた。


自分より先に、気づいたみたいだった。


あの音を。月乃の音を。


雫が一歩前に出た。


まっすぐな目で、言葉を落とす。


迷いがない。


気づけば、ふたりのあいだに音が流れはじめている。


フルートの細い音が、ピアノに重なる。


何度か重なるうちに、部屋の空気がやわらいでいく。


月乃の肩が、少しずつ下がって行くことに気づいた。


あんな顔、あまり見ない。


力が抜けた顔。


安心したみたいな顔。


壁にもたれながら、腕を組む。


なんだそれ、と思う。
少しだけ、悔しい。


自分といるときは、あんなふうに力を抜かない。


音が揃う。


自分の知らないところで、何かが結ばれていく感じ。


月乃の小さな声。


雫の返事。


そのやりとりを、ただ見ている。


たぶん、今日。


隣に住んだだけじゃなくて。


月乃に、もうひとつ居場所ができた。


それが、少しだけ。おもしろくない。


外に出て、庭に転がったボールを拾った。


ぽん。


地面に弾む音。


もう一度。


ぽん。


その音に、足音が重なった。


柵の向こうに、月乃がいた。


さっきより、少しやわらいだ顔で。


ぽん。


月乃「……それも、すき」


玲央「なにが」


月乃「その音」


月乃「れおの音。すき。」


ぽん。


胸の奥のざわつきが、少しだけほどける。


音は、重ならなくてもいい。


並んでいれば、いいのかもしれない。


ぽん。


もう一度、弾ませた。