言えない。言わない。

初夏の午後。


黒瀬家のリビングは、窓から入る光でやわらかく白んでいた。
レースのカーテンが揺れるたび、床の影もゆっくり形を変える。


ソファの横には、フルートケース。


雫はソファに座り、足をぶらぶらさせていた。


玲央ママ「しーちゃん、ママ夕方くらいに迎えくるって!」


雫「わかった〜」


小さいころから、こうして互いの家を行き来している。
玲央と雫ははとこ同士だ。


当たり前のように並んでテレビを見ていた。


ふと。隣から、音が流れてきた。


やわらかいピアノの音。


まだ小さな指で弾いているみたいに、少しだけ揺れている。


雫「……だれ?」


玲央「ん?」


雫は立ち上がり、窓のほうへ歩く。


近づくにつれて、ひとつひとつの音がはっきりしてきた。


雫「きれい」



玲央「あー、あれ。先週ひっこしてきたやつ」


雫「おんなのこ?」


玲央「うん。つきの」


不揃い。でも、逃げない音。


雫「いこっ」


玲央「は?」


雫「きいてみたい!会ってみたい!」


玲央ママに声をかけられ、隣の家へ向かう。


玄関を抜けると、奥からまだ音が聞こえてくる。


リビングの奥。アップライトピアノの前に、月乃が座っている。


足は床につかない。


白いワンピースの裾が、鍵盤の影に重なっている。


音が止まって、月乃が振り向いた。


玲央「つきの」


その声に、月乃の肩がほんの少し下がる。


雫は一歩前に出る。


雫「きれいだった」


雫はフルートケースを持ち上げて軽く叩いた。


雫「わたしも、やってるの」


雫「雨宮雫。しずくってよんで」


月乃「……天音月乃」


雫「いっしょに、ひこっ」


月乃は鍵盤を見る。


迷いながらも指先が、ほんの少し動く。


月乃「……うん」


小さなフルートを取り出し、少し背伸びするように構える。


一音。


やわらかく、でも少し不安定。


そこに、細い音が重なるように
フルートの音が、そっと寄り添った。


少しずつ月乃の肩の力が、抜けていった。


鍵盤を押す力がやわらぎ音が、ぶつからずに並ぶ。


月乃の指がさっきより自然になっている。


雫「もういっかい」


月乃「うん」


今度は最初から重なった。


音が、部屋の中にやわらかく広がる。


音が解けたあと、外の風の音が戻ってくる。


互いの視線がぶつかった。


月乃「……これすき」


雫「わたしも」


音はもう鳴っていない。


でも、さっき重なった感触だけが

まだそこに残っているみたいだった。