言えない。言わない。

春の終わりの夕方
黒瀬家の隣に引っ越しトラックが止まった。

見慣れない人の気配が家の外に広がっていた。

庭で玲央がバスケットボールをついていた。

ふと気配を感じて顔を上げると
二階の窓の隙間から
小さな影がこちらをのぞいている。


玲央「……だれ?」


声に出した瞬間、すぐに見えなくなった。

しばらくして玄関が開き
母親同士の明るい声が重なる。


「今日からお世話になります」
「こちらこそ」
「同い年なんですって〜」


その会話に引かれるように
玲央はボールを抱えたまま
玄関の方へ近づいた。

扉のそばに同い年くらいの
女の子が立っていた。

シルバーブルーの長い髪が
夕方の光を受けて揺れていた。

ワイドに揃った前髪の奥から
澄んだ瞳がまっすぐこちらを見ていた。

玲央は少しだけ距離を詰めて
様子をうかがうように声をかける。


玲央「ここに住むの?」


月乃は一瞬だけ間を置いて
小さくうなずいた。


月乃「……うん」


玲央「名前は?」


月乃は視線を外さないまま
ゆっくり口を開いた。


月乃「つきの」


玲央は聞き返すように眉を寄せた。


玲央「つき?」


月乃は首を横に振って、少しだけ言い直す。


月乃「ちがう。月乃。……天音月乃。」


その言い方が少しだけ固くて
でもどこか大事にしているみたいで
玲央は思わず小さくうなずいた。


玲央「玲央。俺は、黒瀬玲央な。」


そう言って、照れくさそうに少しだけ笑う。

月乃はその名前をなぞるみたいに
ゆっくり口にした。


月乃「……れお」


呼び捨てだった。

玲央は一瞬きょとんとして
そのまま何も言わなかった。

それが、はじまりだった。