言えない。言わない。

ホールは思ったより広かった。


観客のざわざわとした声が天井に吸い込まれていく。

舞台の上にはピアノが一台、黒く光っている。


玲央と雫は、少し前のほうに並んで座っていた。


雫「よく見えるね」


玲央は頷く。

舞台袖から、白いワンピースの子が歩いてきた。

月乃だった。

背筋は伸びているのに、歩幅がほんの少しだけ小さい。


玲央「ふっ、緊張してるな」


雫「当たり前でしょ」


月乃が椅子に座り、客席を見た。

一瞬だけ、目が泳ぐ。

それから、見つけた。

玲央と雫。

玲央はわざと腕を組んだ。

雫は小さく手を振った。

月乃の肩が、ほんの少しだけ下がるのが見えた。

最初の一音が鳴る。

澄んだ音が、ホールに広がった。

玲央は前のめりになり、

雫は目を閉じて聞いている。

二曲目に入るころには、音はもう揺れていなかった。

舞台の上で、月乃はまっすぐ前を見ている。

でも、時々、ほんの一瞬だけ視線が客席に落ちる。

探しているみたいに。

玲央も雫も夢中だった。


最後の音が消え、静寂のあと、拍手が広がる。

月乃が立ち上がって頭を下げる。

舞台袖に戻る前に、もう一度だけ客席を見る。

目が合う。

玲央は小さく親指を立てる。

雫は笑う。

しばらくして、ロビーで三人は合流した。


月乃「……どうだった?」


玲央「普通」

月乃がすぐ睨んだ。


月乃「普通ってなに!」


玲央「うそうそ!うまかった」


月乃「……最初、ちょっとだけ間違えた」


雫「!?気づかなかった」


玲央「俺も」


月乃は少しだけ肩の力を抜く。


月乃「……はぁ〜、緊張した〜」


雫「ちゃんと聞いてたよ」


月乃「……探した」


玲央「なにを?」


月乃「ふたりを」


月乃「……いたから、大丈夫だった」


玲央は目を逸らして言う。


玲央「当たり前だろ」


玲央「俺らがいたからな」


月乃「うるさい〜」


少し笑いながら


月乃「そういうの、自分で言わないんだよ〜」


月乃は先に歩き出した。

背中が、少しだけ大きく見えた気がした。