第1部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない

「それより、セナ副団長よりも心配なのは……テオの方だな」

ロベルト先輩が、ぽつりとそう言った。

「テオさんですか?
そういえば、最近は訓練に出ていませんね」

やはり、お嬢様に懐いているからだろうか。
少し、寂しさを感じているのかもしれない。

「見回りや警備の仕事には出ているみたいだが……」

ロベルト先輩は腕を組み、渋い顔をする。

「あいつは、俺たちがどうこうできるタイプじゃない。
もしお嬢様が、他の誰かと親しくなったりしたら……」

少し間を置いて、続けた。

「狼みたいに牙をむくかもしれん。
正直、何か起きるのは時間の問題だと思ってる」

「……それは、ちょっと怖いですね」

ロベルト先輩は頭を抱える。

嫌な予感が漂う中、
俺は話題を変えようと、先日のボランティアのことを思い出した。

◇
孤児院でのボランティアを終えた、その帰り。

静けさを破ったのは、
お嬢様が無意識に使ってしまった――“共鳴”の力だった。

一瞬だけ、空気が震え、
感情が重なり合うような感覚が広がる。

すぐに収まったが――
それを、第2.第3騎士団の数名が目撃してしまった。

孤児院の一室。

重苦しい沈黙の中で、
誰よりも場違いな人物が、一歩前へ出た。

テオだった。

普段は誰にも頭を下げず、
必要以上に他人と関わらない男。

そのテオが、深く一礼した。

「……本日の件ですが」

低く、しかし驚くほど丁寧な声。

「お嬢様の力については、公にすべきではないと判断しました」

「どうか……ここにいる皆さんの胸に留めていただきたい」

隣にいたアレンは、思わず目を見開いた。

――テオが、頼んでいる?

命令でも威圧でもなく、
ただの“お願い”として。

ざわりと空気が揺れる中、
ゆっくりと前に出たのは、第2騎士団副団長・エリックだった。

「……これは驚いたな」

冷ややかな視線を向ける。

「黒狼と恐れられた野蛮人じゃないか」

貴族主義を貫く堅物。
第3騎士団を見下している張本人だ。

「確かに、その力は軽々しく語られるべきものではない」

そして、きっぱりと言った。

「だが安心しろ。私は騎士だ。
主人の秘密をばらすなど――美しくない」

その言葉に、張り詰めていた空気が、わずかに緩む。

「それに」

エリックは肩をすくめた。

「ティアナお嬢様には、我々も随分世話になっている。
孤児院の件しかり、マルク様の尻拭いもな」

すると第3騎士団の一人が笑う。

「今さら言われなくても、ですよ」

「お嬢様がどんな方か、俺たちは知ってます」

「恩を仇で返すほど、落ちぶれちゃいません」

「言いふらす? 冗談じゃない」

「誰かが口を滑らせたら、止めますよ」

次々とうなずく団員たち。

その光景を前に、テオはもう一度、深く頭を下げた。

「……感謝します」

その背中を見ながら、アレンは胸の奥がじんと熱くなるのを感じていた。

――力ではなく、人が守られている。
それが、ティアナお嬢様なのだと。