「お母さんはこんな事なかったのにね……」
高校二年生の天王寺 光は、椅子に座った制服姿の姉の髪を──肌と同じく色素の薄い茶色の長い髪を櫛でとかしながら、他愛のない母の思い出話から突然出た姉の言葉に返す言葉を失っていた。
光達の母は占い師として高い評価を受けており、メディアへの露出こそなかったが政治家や企業家に贔屓にされているほどの人物だった。
母は母方の血筋に受け継がれる予見の力を持っていた。
それは他人の未来垣間見て、それに関する質問をする事でより良い道や悪い出来事を回避するといった助言を出来るもの。
光が高校一年の頃、姉は突如「母が交通事故にあう」と言い出し母に連絡を取ろうとしたが、まさにその時に姉妹の母は事故に遭い、のちに死亡する。
父親はすでになく母方の(こちらも高名な占い師だった)祖母が姉妹を引き取ることになったのだが、光達は母の思い出が残る家を離れたがらなかった。
幸いというべきか不定期に留守にする母の為に姉妹は家事全般こなせるようになっており、また母が残した高額な遺産もあり高校を卒業するまではこの家で過ごすことを祖母に許されていた。
「そういえば姉さんは進路の提出はしたの? 私、志望言ったらちょっと渋い顔されちゃった」
沈黙に耐えられず、まだ聞いていなかった話題をおどけた様に切り出す光。
その意に反してしばらくの沈黙の後、姉はある決意を口にする。
「私は……お婆様の元で占い師の勉強をする。学校は辞めると思う」
姉の突然の告白に絶句してしまった妹をよそにさらに続ける。
「私も勉強頑張るから、光も頑張りなさい」
光は姉がなぜそんなに急ぐのかとも思ったが、それが姉の前向きな選択だと感じた光は姉の背中に「うん」と返事をし静かに頷く。
だが日向の表情は決して明るい未来を見ているものではなかった。
それを隠すように、さらに重要な用件を切り出す。
「それよりも光の卒業まで少し忙しくなるから今のうちに話しておく事があるの」
日向は椅子から立ち上がって光の方に向き直ると腰まである髪がさらりとなびく。
光と違い優しげな顔立ちの姉の目がしっかりと妹を見つめる。
「光、これはあなたに関する予言。今このときの事、忘れないで覚えておいて」
光は思わず息をのむ。
姉が予見の力を得てすぐの頃、姉妹の未来で予見を試してみたが上手くいかなかった。
母や祖母が常々言っていた通り、本人やごく近い人物の未来を『予見する』というのは、自分自身が継続的に干渉し続けるため運命が変化しやすく不安定なため見えない事も多い。
そこでクラスメイトに『占い』と称して試してみたが──。
回数を重ねることで分かったことは、良い結果の予見はともかく、悪いことでも絶対に避けられないという事だった。
たとえどんなに注意しようと、だ。
つまり、光の姉天王寺 日向の予見はそれが確定した未来に限定されているという事だった。
そしてそれが明らかになるにつれクラスメイトには気味悪がられる状態になっていた、まるで『呪い』だと。
そんな日向に見えた未来、それは逃れられない運命という事だ。
そして日向は姉としてではなく占い師として語る。
「あなたが最初に愛した男性は、あなたがその思いを認めた時に命を失うでしょう」
この時の光は恋愛というものがよくわかっていなかった。
好き嫌いは確かにあるし、他人を素敵だと思う事もある、憧れた異性もいた。
おそらく恋愛というのはそれとは違うのだろうとは思ってはいたが、やはりどこか自分には縁遠いものだとも思っていた。
『いつかそんな日が来るのだろうか?』
それでも光はかしこまった顔で小さくうなずくと、日向はそんな光を抱き寄せて優しい姉の声で続ける。
「ごめんね、光。私には運命を……未来を変える力はないから、こんな呪いみたいなものしか残せなくて」
光を抱きしめる力が少し強くなる。
「でも、私はずっと応援してる。頑張って」
無意識に抱きしめ返した光は、姉の小さな震えを感じていた。
† † †
本格的に降り出した雨の中、光は再び走り出していた。
走りながら信濃川 嵐太郎を無意識に信用し、秘密を話すという選択を悔いていた。
耐えられずに逃げ出してしまったが、友里葉や甲斐──他にも秘密を知ってしまった人がいるかもしれない。
予言者カノトの正体は近い身内と取材した記者くらいしか知らないが、光の姉と知られたならそこから実家などにも辿り着く事だろう。
まして嵐太郎に限らず、誰かに何かがあったなら呪われた家系などと言われかねない。
今の光はそこまでは考えていなかったが、大事になり再び姉や祖母、自分自身や周りの人々が悪意にさらされることを恐れていた。
光が高校三年の頃の『予言者カノト』に対する世間の反応の一部は、軽いトラウマになる程度には大きかったからだ。
死者が出るような予言もあったためだが『不謹慎で悪質なやらせだ』『本当ならなぜ事前に知らせて救わないんだ』などのほか、見るに堪えない誹謗中傷も散見された。
アレが現実に身に降りそそぐ恐怖と、そして何より嵐太郎を失う恐怖。
「酷いよ、お姉ちゃん…こんな……呪い!」
光は走りながら小さな女の子のように声を出して泣いていたが強くなった雨音がそれを覆い隠していた。
『何も知らなければこんな……こんな思い!』
急な雨に降られ、慌てて家路を急ぐ中学生ぐらいの少年たち。
各々スケートボードやカラーコーン、縞模様のポールを持ち家路を急いでいたが、一人の少年が前から走ってきた女性にぶつかりそうになり慌ててよけた。
『今のお姉さん……泣いてた?』
振り返ってみたもののさらに強くなり始めた雨に少年は再び走り始める。
一方、少年たちとすれ違った光はしばらくして走るのをやめ嗚咽を漏らしながらフラフラと歩きはじめる。
車がやっとすれ違える程度の小さな石造りの橋までたどり着いた光はその橋の上で止まった。
橋向こうには何故か通行止めの表示とともに三角コーンと縞模様のバーが道をふさいでいる。
橋の下には、いつもはこれが川なのかと疑われる程度の水しか流れていないのだが、上流では早くから降っていた雨のせいもあり今は少しは川らしい水量が勢いよく流れている。
光は息を整えながら膝上程度の高さしかない古い橋の縁(欄干)に手をつき川を見下げる。
『ここからじゃあ飛び降りても死なないだろうな』
もちろんそんな気はないのだが弱気になっている光は自嘲混じりにそんな事を考えた。
数メートルの高さはあるものの下は水で、いつもの水量から察するに水深も膝下程度と思われた。
川の流れを見つめ大きく息をつく。
光はいまだ心の中で渦巻く黒いモヤモヤした恐怖や不安と対峙していた。
それは重苦しく纏わりつく泥沼のように心の自由を奪っている。
不意に、雨音の中で良く知った声が聞こえた。
「天王寺さん!」
その声に色々な感情が沸き上がってきながらも光は振り返ると、軽く息を切らせた嵐太郎が立っていた。
お互いびしょ濡れのまま見つめあうが光はすぐ視線を落とす。
「なによ……」
言いたいことが色々ありすぎてまとまらなかった光はとりあえず平静を装って答えた。
嵐太郎は光に歩み寄っていくが、もうすぐ手が届くという距離まで近づくと光が少しを身を引くのを見てそこで歩みを止め大きく深呼吸してから話を始めた。
「その、さっきのは希望的観測というか自信過剰というか自意識過剰というか……」
照れたように後ろ手に頭を掻く。
「だからさ、別に今まで通りで良いんじゃあないかな? 講義前とか後にちょっとだけ話してさ、たまに遊びに行くとか。まぁ、ちょっとは目障りだったりするかもしれないけどさ、無理強いしたりはしないから──」
少し遠慮がちに、だが最後にはいつもの調子で言った。
「信じてよ!」
そしていつもの笑顔。
光の中で渦巻いていた色々な感情の中で怒りの部分が頭をもたげはじめる。
「──信じて?」
光は嵐太郎の言葉をそのまま聞き返す。
「信じたわよ! だから姉さんの事を話したのに!!」
光の勢いに押され嵐太郎は無意識に両掌を光に向け「落ち着け」と言わんばかりのポーズをとる。
「馬鹿ぁッ!!」
光は嵐太郎を両手で突き飛ばし、さらに歩み寄る。
「あなた友里葉に……甲斐くんに話したでしょ!!」
嵐太郎は小さく手を上げたポーズで固まっていた。
「え? 何を……いや、話してないよ!」
光が嵐太郎を睨む。
雨でビショビショではあったが嵐太郎には光が涙を流しているのが分かる。
嵐太郎の心にも悲しい気持ちが流れ込んでくるようだった。
「本当に…あ! もしかして甲斐が──」
その言葉に反応して光は嵐太郎の頬を引っ叩く。
「嘘つきッ!」
光は溢れ出る心からの言葉を吐露する。
「何でこんな酷いことするの! 私がおとなしく受け入れられないから!? あなただから信じてたのに──」
そして感情のままに叫んでしまった。
「好きだから!!」
瞬間、二人には雨音さえも耳に入らなくなった。
何を言って何を聞いたのか、理解が追い付かない。
少しの沈黙、そして……。
「違う……」
光が先に声に出して否定する、勝手に発したとばかりに口を押えながら。
また逃げ出そうと光はゆっくり後ずさりながら橋の欄干にぶつかる。
少しバランスを崩した光は反射的に欄干を掴んで立て直そうとするが──。
「あ…!」
嵐太郎の目の前で突然石造りの欄干が崩れ、光が向こう側に落ちていこうとしている。
届く距離ではなかったが光は反射的に嵐太郎の方に手を伸ばした。
それは嵐太郎にとって何が何でも取らなければならない手だった。
猛然とダッシュし手を伸ばす嵐太郎。
光は反射的に手を伸ばしたものの、その手が嵐太郎を死に引き込むものだと思いあたり躊躇う。
そして既に橋上にとどまれる域を超えてしまっていた二人は数メートル下の川へ落下していった。
† † †
光は半身が川に浸かった状態で目を覚ました。
落下した衝撃で一瞬気を失っていたようだったが、しかし正確にどれくらいかは本人には分からないものだ。
相変わらず雨は降り続いていたが心なしか収まっているようだった。
光は体を動かしてみる。
水深が浅く崩れた欄干の上に落ちたようで右の太ももが痛むが動かないことはなく折れてはいないだろう。
多少なりとも泥と砂がクッションになったようだ。
そして右手を握る冷たい手。
光の右側にはうつ伏せで半分浅瀬に浸かっている人間の体があった。
小さな悲鳴を上げ手を引っ込めようとするがそれが誰かをすぐに理解した。
「信濃川くん!」
声をかけたが反応がなく川から引き揚げようとそのままま手を引っ張ったが、小柄な嵐太郎とはいえ川から引き揚げるほどの力は光にはなく、とりあえず仰向けにして顔が水に浸からないようにする。
嵐太郎の顔は目を閉じ苦悶の表情で口を引き結んだまま固まっている。
光は慌てて嵐太郎の鼻に手をかざし、続いて泥で汚れたシャツの上から左胸に手を当てる。
「いや……」
涙があふれてくる。
予言の通りだった。
悲しみと絶望で体が震えだす。
自分のせいで、好意を持ったせいで、手を握ったせいで、と。
それでも光には嵐太郎の死は受け入れられなかった。
心臓マッサージのやり方は聞いた覚えはあるものの曖昧にしか思い出せなかった光は、とにかく心臓を動かそうと嵐太郎の胸を一定のリズムで押し始めた──子供の用に泣きじゃくりながらも。
「やだ! やだ! 酷いよ、お姉ちゃん!」
やり場のない思いを声に出して叫んでいた。
「こんなの……馬鹿! お姉ちゃんの馬鹿ぁッ!」
何も知らなければ──姉の予言なんて聞いていなければこんな罪の意識に苛まれることはなかった。
今は姉への恨みのような気持ちで無理やりに体を動かしている、絶望に飲まれまいと。
そして姉を思い浮かべると、あの時の言葉が脳裏に蘇った。
『頑張って』
あの時の、どこまでも優しい姉の声色。
「なんで! あんな事ッ!!」
悲しいような悔しいようなよくわからない思いがあふれて感情のままに光は力を込める。
「ブハッ!」
突然、嵐太郎が息を吐き上半身を起こした。
「もぉー、死ぬかと思った! 水に浸かるだけで駄目! 力入っちゃう!! だから泳げないんだけど、ね!! って、アレ?」
嵐太郎は何事もなかったように捲し立てたあと我に返ったが状況が理解できずにいるようだった。
突然の事であらゆる感情が飛んでしまった光は嵐太郎の左胸に手を当てる。
「心臓……動いてない、のに」
「えッ!?」
慌てて嵐太郎が自分の胸に手を当てる。
微妙な顔をした後、今度はシャツの下に手を入れて難しい顔をしたが──。
「多分動いてるよ?」
と笑顔を返した。
『服で……』
安心した光の目に再び涙が浮かび始め、幼い子供の様に声を上げて泣き始めた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」
突然の事でビクッと体をふるわせる嵐太郎。
「よかったぁぁーあぁぁー!」
あまりの様子に戸惑った嵐太郎だったが、意を決してそっと光を抱き寄せた。
「大丈夫、死んでないよ」
優しく光の頭をなでる。
光は大きな声を出して泣きながら姉の言葉を思い出していた。
『私には未来を変える力はないから──』
確かにそう言っていた、『私には』と。
予言を聞いていなければここまで抗っただろうか?
本当に心臓は止まっていなかったのだろうか?
そんなことはもう光にはどうでもよかった。
安堵と喜びでひたすら泣いていた。
そして嵐太郎の暖かさを感じながら、光は姉に向けて思う。
『馬鹿なんて言ってごめんなさい……ありがとう、お姉ちゃん』
いつの間にか雨は上がっていて暖かな日差しが抱き合う二人を照らし始めていた。
† † †
スリムなシルエットに真っ黒な出で立ちのClamphill 甲斐は、冬が近づいてきても相変わらずTシャツにジーンズの嵐太郎を拝むようにしながら頭を下げている。
「ほんっとぉーにゴメン! バイト中の客の話なんて口外は御法度なんだけどさぁ、知り合いじゃん? オカルト話で盛り上がってたから好きなのかと思ってさぁ~」
嵐太郎は口を尖らせながら答える。
「僕はそのおかげでビンタされた」
そっぽを向く嵐太郎の肩に手をまわす甲斐。
「なんか知らんけどオカルトの派閥争いは過激だねぇ~。お詫びにこのチケット2枚やるから」
喫茶店での接客中に光と嵐太郎の会話の一部分だけ聞いて何か勘違いしてしまっている甲斐。
嵐太郎は横目でチケットを見る。
「コレお前がやるライブだろ! ただみたいなもんじゃないか!」
嵐太郎の言葉にハコ代がどうのと反論する甲斐をよそに遠くに光の姿を見つけた嵐太郎は大きく手を振る。
「おはよー、光ちゃーん友里葉ちゃーん」
つられて甲斐が振り返り、サックスブルーのカーディガンにベージュのロングスカートの光と、ライトピンクのスウェットミニワンピースの友里葉に手を振る。
「あ、やっほー! あれ? ランタも”光ちゃん”呼びにしたんか? じゃあ俺も──」
甲斐は言いかけたが嵐太郎が遮る。
「お前はダメ! 今回の件はそれでチャラでいいから」
「ひでぇ。天王寺さん、友里葉ちゃん、来週の日曜日ライブどう?」
甲斐は近くまで来た光と友里葉にチケットをヒラヒラさせながら声をかけた。
光は手で払うような仕草で素通りし友里葉は──。
「来週は久しぶりに彼とお泊りデートなので駄目でーす」
と上機嫌で答える。
「振られたね」
そう言いながら満面の笑みの嵐太郎。
「ま、他の当てもあるさ。じゃーな、ランタ。あ、真央ちゃーん!」
早速、近くの女の子に声をかけながら離れていく甲斐を見送る嵐太郎。
『いつか刺されそう……。いや、あいつは上手くやるかぁ』
少ししてキャンパスの”広場”と呼ばれる場所に光の声が響き、いつもの日常に新たな変化が訪れたことを密かに告げるのだった。
「講義遅れるよ、嵐太郎!」
高校二年生の天王寺 光は、椅子に座った制服姿の姉の髪を──肌と同じく色素の薄い茶色の長い髪を櫛でとかしながら、他愛のない母の思い出話から突然出た姉の言葉に返す言葉を失っていた。
光達の母は占い師として高い評価を受けており、メディアへの露出こそなかったが政治家や企業家に贔屓にされているほどの人物だった。
母は母方の血筋に受け継がれる予見の力を持っていた。
それは他人の未来垣間見て、それに関する質問をする事でより良い道や悪い出来事を回避するといった助言を出来るもの。
光が高校一年の頃、姉は突如「母が交通事故にあう」と言い出し母に連絡を取ろうとしたが、まさにその時に姉妹の母は事故に遭い、のちに死亡する。
父親はすでになく母方の(こちらも高名な占い師だった)祖母が姉妹を引き取ることになったのだが、光達は母の思い出が残る家を離れたがらなかった。
幸いというべきか不定期に留守にする母の為に姉妹は家事全般こなせるようになっており、また母が残した高額な遺産もあり高校を卒業するまではこの家で過ごすことを祖母に許されていた。
「そういえば姉さんは進路の提出はしたの? 私、志望言ったらちょっと渋い顔されちゃった」
沈黙に耐えられず、まだ聞いていなかった話題をおどけた様に切り出す光。
その意に反してしばらくの沈黙の後、姉はある決意を口にする。
「私は……お婆様の元で占い師の勉強をする。学校は辞めると思う」
姉の突然の告白に絶句してしまった妹をよそにさらに続ける。
「私も勉強頑張るから、光も頑張りなさい」
光は姉がなぜそんなに急ぐのかとも思ったが、それが姉の前向きな選択だと感じた光は姉の背中に「うん」と返事をし静かに頷く。
だが日向の表情は決して明るい未来を見ているものではなかった。
それを隠すように、さらに重要な用件を切り出す。
「それよりも光の卒業まで少し忙しくなるから今のうちに話しておく事があるの」
日向は椅子から立ち上がって光の方に向き直ると腰まである髪がさらりとなびく。
光と違い優しげな顔立ちの姉の目がしっかりと妹を見つめる。
「光、これはあなたに関する予言。今このときの事、忘れないで覚えておいて」
光は思わず息をのむ。
姉が予見の力を得てすぐの頃、姉妹の未来で予見を試してみたが上手くいかなかった。
母や祖母が常々言っていた通り、本人やごく近い人物の未来を『予見する』というのは、自分自身が継続的に干渉し続けるため運命が変化しやすく不安定なため見えない事も多い。
そこでクラスメイトに『占い』と称して試してみたが──。
回数を重ねることで分かったことは、良い結果の予見はともかく、悪いことでも絶対に避けられないという事だった。
たとえどんなに注意しようと、だ。
つまり、光の姉天王寺 日向の予見はそれが確定した未来に限定されているという事だった。
そしてそれが明らかになるにつれクラスメイトには気味悪がられる状態になっていた、まるで『呪い』だと。
そんな日向に見えた未来、それは逃れられない運命という事だ。
そして日向は姉としてではなく占い師として語る。
「あなたが最初に愛した男性は、あなたがその思いを認めた時に命を失うでしょう」
この時の光は恋愛というものがよくわかっていなかった。
好き嫌いは確かにあるし、他人を素敵だと思う事もある、憧れた異性もいた。
おそらく恋愛というのはそれとは違うのだろうとは思ってはいたが、やはりどこか自分には縁遠いものだとも思っていた。
『いつかそんな日が来るのだろうか?』
それでも光はかしこまった顔で小さくうなずくと、日向はそんな光を抱き寄せて優しい姉の声で続ける。
「ごめんね、光。私には運命を……未来を変える力はないから、こんな呪いみたいなものしか残せなくて」
光を抱きしめる力が少し強くなる。
「でも、私はずっと応援してる。頑張って」
無意識に抱きしめ返した光は、姉の小さな震えを感じていた。
† † †
本格的に降り出した雨の中、光は再び走り出していた。
走りながら信濃川 嵐太郎を無意識に信用し、秘密を話すという選択を悔いていた。
耐えられずに逃げ出してしまったが、友里葉や甲斐──他にも秘密を知ってしまった人がいるかもしれない。
予言者カノトの正体は近い身内と取材した記者くらいしか知らないが、光の姉と知られたならそこから実家などにも辿り着く事だろう。
まして嵐太郎に限らず、誰かに何かがあったなら呪われた家系などと言われかねない。
今の光はそこまでは考えていなかったが、大事になり再び姉や祖母、自分自身や周りの人々が悪意にさらされることを恐れていた。
光が高校三年の頃の『予言者カノト』に対する世間の反応の一部は、軽いトラウマになる程度には大きかったからだ。
死者が出るような予言もあったためだが『不謹慎で悪質なやらせだ』『本当ならなぜ事前に知らせて救わないんだ』などのほか、見るに堪えない誹謗中傷も散見された。
アレが現実に身に降りそそぐ恐怖と、そして何より嵐太郎を失う恐怖。
「酷いよ、お姉ちゃん…こんな……呪い!」
光は走りながら小さな女の子のように声を出して泣いていたが強くなった雨音がそれを覆い隠していた。
『何も知らなければこんな……こんな思い!』
急な雨に降られ、慌てて家路を急ぐ中学生ぐらいの少年たち。
各々スケートボードやカラーコーン、縞模様のポールを持ち家路を急いでいたが、一人の少年が前から走ってきた女性にぶつかりそうになり慌ててよけた。
『今のお姉さん……泣いてた?』
振り返ってみたもののさらに強くなり始めた雨に少年は再び走り始める。
一方、少年たちとすれ違った光はしばらくして走るのをやめ嗚咽を漏らしながらフラフラと歩きはじめる。
車がやっとすれ違える程度の小さな石造りの橋までたどり着いた光はその橋の上で止まった。
橋向こうには何故か通行止めの表示とともに三角コーンと縞模様のバーが道をふさいでいる。
橋の下には、いつもはこれが川なのかと疑われる程度の水しか流れていないのだが、上流では早くから降っていた雨のせいもあり今は少しは川らしい水量が勢いよく流れている。
光は息を整えながら膝上程度の高さしかない古い橋の縁(欄干)に手をつき川を見下げる。
『ここからじゃあ飛び降りても死なないだろうな』
もちろんそんな気はないのだが弱気になっている光は自嘲混じりにそんな事を考えた。
数メートルの高さはあるものの下は水で、いつもの水量から察するに水深も膝下程度と思われた。
川の流れを見つめ大きく息をつく。
光はいまだ心の中で渦巻く黒いモヤモヤした恐怖や不安と対峙していた。
それは重苦しく纏わりつく泥沼のように心の自由を奪っている。
不意に、雨音の中で良く知った声が聞こえた。
「天王寺さん!」
その声に色々な感情が沸き上がってきながらも光は振り返ると、軽く息を切らせた嵐太郎が立っていた。
お互いびしょ濡れのまま見つめあうが光はすぐ視線を落とす。
「なによ……」
言いたいことが色々ありすぎてまとまらなかった光はとりあえず平静を装って答えた。
嵐太郎は光に歩み寄っていくが、もうすぐ手が届くという距離まで近づくと光が少しを身を引くのを見てそこで歩みを止め大きく深呼吸してから話を始めた。
「その、さっきのは希望的観測というか自信過剰というか自意識過剰というか……」
照れたように後ろ手に頭を掻く。
「だからさ、別に今まで通りで良いんじゃあないかな? 講義前とか後にちょっとだけ話してさ、たまに遊びに行くとか。まぁ、ちょっとは目障りだったりするかもしれないけどさ、無理強いしたりはしないから──」
少し遠慮がちに、だが最後にはいつもの調子で言った。
「信じてよ!」
そしていつもの笑顔。
光の中で渦巻いていた色々な感情の中で怒りの部分が頭をもたげはじめる。
「──信じて?」
光は嵐太郎の言葉をそのまま聞き返す。
「信じたわよ! だから姉さんの事を話したのに!!」
光の勢いに押され嵐太郎は無意識に両掌を光に向け「落ち着け」と言わんばかりのポーズをとる。
「馬鹿ぁッ!!」
光は嵐太郎を両手で突き飛ばし、さらに歩み寄る。
「あなた友里葉に……甲斐くんに話したでしょ!!」
嵐太郎は小さく手を上げたポーズで固まっていた。
「え? 何を……いや、話してないよ!」
光が嵐太郎を睨む。
雨でビショビショではあったが嵐太郎には光が涙を流しているのが分かる。
嵐太郎の心にも悲しい気持ちが流れ込んでくるようだった。
「本当に…あ! もしかして甲斐が──」
その言葉に反応して光は嵐太郎の頬を引っ叩く。
「嘘つきッ!」
光は溢れ出る心からの言葉を吐露する。
「何でこんな酷いことするの! 私がおとなしく受け入れられないから!? あなただから信じてたのに──」
そして感情のままに叫んでしまった。
「好きだから!!」
瞬間、二人には雨音さえも耳に入らなくなった。
何を言って何を聞いたのか、理解が追い付かない。
少しの沈黙、そして……。
「違う……」
光が先に声に出して否定する、勝手に発したとばかりに口を押えながら。
また逃げ出そうと光はゆっくり後ずさりながら橋の欄干にぶつかる。
少しバランスを崩した光は反射的に欄干を掴んで立て直そうとするが──。
「あ…!」
嵐太郎の目の前で突然石造りの欄干が崩れ、光が向こう側に落ちていこうとしている。
届く距離ではなかったが光は反射的に嵐太郎の方に手を伸ばした。
それは嵐太郎にとって何が何でも取らなければならない手だった。
猛然とダッシュし手を伸ばす嵐太郎。
光は反射的に手を伸ばしたものの、その手が嵐太郎を死に引き込むものだと思いあたり躊躇う。
そして既に橋上にとどまれる域を超えてしまっていた二人は数メートル下の川へ落下していった。
† † †
光は半身が川に浸かった状態で目を覚ました。
落下した衝撃で一瞬気を失っていたようだったが、しかし正確にどれくらいかは本人には分からないものだ。
相変わらず雨は降り続いていたが心なしか収まっているようだった。
光は体を動かしてみる。
水深が浅く崩れた欄干の上に落ちたようで右の太ももが痛むが動かないことはなく折れてはいないだろう。
多少なりとも泥と砂がクッションになったようだ。
そして右手を握る冷たい手。
光の右側にはうつ伏せで半分浅瀬に浸かっている人間の体があった。
小さな悲鳴を上げ手を引っ込めようとするがそれが誰かをすぐに理解した。
「信濃川くん!」
声をかけたが反応がなく川から引き揚げようとそのままま手を引っ張ったが、小柄な嵐太郎とはいえ川から引き揚げるほどの力は光にはなく、とりあえず仰向けにして顔が水に浸からないようにする。
嵐太郎の顔は目を閉じ苦悶の表情で口を引き結んだまま固まっている。
光は慌てて嵐太郎の鼻に手をかざし、続いて泥で汚れたシャツの上から左胸に手を当てる。
「いや……」
涙があふれてくる。
予言の通りだった。
悲しみと絶望で体が震えだす。
自分のせいで、好意を持ったせいで、手を握ったせいで、と。
それでも光には嵐太郎の死は受け入れられなかった。
心臓マッサージのやり方は聞いた覚えはあるものの曖昧にしか思い出せなかった光は、とにかく心臓を動かそうと嵐太郎の胸を一定のリズムで押し始めた──子供の用に泣きじゃくりながらも。
「やだ! やだ! 酷いよ、お姉ちゃん!」
やり場のない思いを声に出して叫んでいた。
「こんなの……馬鹿! お姉ちゃんの馬鹿ぁッ!」
何も知らなければ──姉の予言なんて聞いていなければこんな罪の意識に苛まれることはなかった。
今は姉への恨みのような気持ちで無理やりに体を動かしている、絶望に飲まれまいと。
そして姉を思い浮かべると、あの時の言葉が脳裏に蘇った。
『頑張って』
あの時の、どこまでも優しい姉の声色。
「なんで! あんな事ッ!!」
悲しいような悔しいようなよくわからない思いがあふれて感情のままに光は力を込める。
「ブハッ!」
突然、嵐太郎が息を吐き上半身を起こした。
「もぉー、死ぬかと思った! 水に浸かるだけで駄目! 力入っちゃう!! だから泳げないんだけど、ね!! って、アレ?」
嵐太郎は何事もなかったように捲し立てたあと我に返ったが状況が理解できずにいるようだった。
突然の事であらゆる感情が飛んでしまった光は嵐太郎の左胸に手を当てる。
「心臓……動いてない、のに」
「えッ!?」
慌てて嵐太郎が自分の胸に手を当てる。
微妙な顔をした後、今度はシャツの下に手を入れて難しい顔をしたが──。
「多分動いてるよ?」
と笑顔を返した。
『服で……』
安心した光の目に再び涙が浮かび始め、幼い子供の様に声を上げて泣き始めた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」
突然の事でビクッと体をふるわせる嵐太郎。
「よかったぁぁーあぁぁー!」
あまりの様子に戸惑った嵐太郎だったが、意を決してそっと光を抱き寄せた。
「大丈夫、死んでないよ」
優しく光の頭をなでる。
光は大きな声を出して泣きながら姉の言葉を思い出していた。
『私には未来を変える力はないから──』
確かにそう言っていた、『私には』と。
予言を聞いていなければここまで抗っただろうか?
本当に心臓は止まっていなかったのだろうか?
そんなことはもう光にはどうでもよかった。
安堵と喜びでひたすら泣いていた。
そして嵐太郎の暖かさを感じながら、光は姉に向けて思う。
『馬鹿なんて言ってごめんなさい……ありがとう、お姉ちゃん』
いつの間にか雨は上がっていて暖かな日差しが抱き合う二人を照らし始めていた。
† † †
スリムなシルエットに真っ黒な出で立ちのClamphill 甲斐は、冬が近づいてきても相変わらずTシャツにジーンズの嵐太郎を拝むようにしながら頭を下げている。
「ほんっとぉーにゴメン! バイト中の客の話なんて口外は御法度なんだけどさぁ、知り合いじゃん? オカルト話で盛り上がってたから好きなのかと思ってさぁ~」
嵐太郎は口を尖らせながら答える。
「僕はそのおかげでビンタされた」
そっぽを向く嵐太郎の肩に手をまわす甲斐。
「なんか知らんけどオカルトの派閥争いは過激だねぇ~。お詫びにこのチケット2枚やるから」
喫茶店での接客中に光と嵐太郎の会話の一部分だけ聞いて何か勘違いしてしまっている甲斐。
嵐太郎は横目でチケットを見る。
「コレお前がやるライブだろ! ただみたいなもんじゃないか!」
嵐太郎の言葉にハコ代がどうのと反論する甲斐をよそに遠くに光の姿を見つけた嵐太郎は大きく手を振る。
「おはよー、光ちゃーん友里葉ちゃーん」
つられて甲斐が振り返り、サックスブルーのカーディガンにベージュのロングスカートの光と、ライトピンクのスウェットミニワンピースの友里葉に手を振る。
「あ、やっほー! あれ? ランタも”光ちゃん”呼びにしたんか? じゃあ俺も──」
甲斐は言いかけたが嵐太郎が遮る。
「お前はダメ! 今回の件はそれでチャラでいいから」
「ひでぇ。天王寺さん、友里葉ちゃん、来週の日曜日ライブどう?」
甲斐は近くまで来た光と友里葉にチケットをヒラヒラさせながら声をかけた。
光は手で払うような仕草で素通りし友里葉は──。
「来週は久しぶりに彼とお泊りデートなので駄目でーす」
と上機嫌で答える。
「振られたね」
そう言いながら満面の笑みの嵐太郎。
「ま、他の当てもあるさ。じゃーな、ランタ。あ、真央ちゃーん!」
早速、近くの女の子に声をかけながら離れていく甲斐を見送る嵐太郎。
『いつか刺されそう……。いや、あいつは上手くやるかぁ』
少ししてキャンパスの”広場”と呼ばれる場所に光の声が響き、いつもの日常に新たな変化が訪れたことを密かに告げるのだった。
「講義遅れるよ、嵐太郎!」
