それは多くの人にはいつも通りの朝だった。
”広場”にいる何人かはいつもと少し違うと感じてはいたのだが気に留めるほどではなかった──ただ一人を除いて。
返信がすんでスマホから視線を戻した友里葉は一緒に歩いていた天王寺 光がいないことに気が付いた。
少し大げさにキョロキョロとあたりを見回し、後ろで立ち止まっている光を見つける。
「どしたの、ひかりぃ~。忘れ物ぉ?」
いつもよりさらに間延びした声。
日頃からこの時間の講義は失敗だったと愚痴る程度には友里葉は朝が弱い。
「あ、ごめんなさい。何でもない」
光は誤魔化すように小走りになりながらも、また”広場”を見回し違和感の原因の人物を探した。
『いるわけない……当然よね。誰だって死にたくなんかないもの』
ここ数ヶ月、この曜日ならほぼ必ず待ち伏せていた人物は見当たらない。
光自身が望んだことではあったが胸に心苦しさも感じていた。
『脅迫…みたいなものだものね……』
それでもそれは真実で、彼の──信濃川 嵐太郎の為でもあるのだと自分を納得させて光はそれ以上の思考を振り切った。
『ごめんなさい、信濃川くん』
† † †
いま光は、先日まじめに彼を慮った自分が馬鹿らしくなっていた。
「いやぁ、ホント実家で良かったよぉ~。風邪なんか引いたことなかったからさぁ」
元気に朝の挨拶をした嵐太郎はあの日の翌日、丸一日寝込んだことを楽しそうに語っている。
『ホントに馬鹿は風邪ひかないのね』
光は自分自身に対する失望やら嵐太郎に対する呆れた思いでかなり失礼な考えに至っていた。
「なんか色々考え事してたらクラクラしてきてさぁ~」
楽しそうに経緯を語る嵐太郎。
『風邪じゃなくて知恵熱ね』
こちらの頭が痛くなってきそうだと思いながらも、信用させ理解させなければならないとも思う。
「もうなんでもいいわ……。とりあえず、あなたにはもう少し真面目に話を聞いてもらわなくちゃならないみたいね」
「うんうん、何でも聞いちゃう~」
前回の話を聞いていたとは思えない嵐太郎の軽い返事に光は軽い眩暈を感じながら、午後には二人で会う約束を取り付けた。
平日の昼過ぎではあるが、前回と同じコーヒーショップはそこそこに繁盛しているようだ。
光は入店時に客席を見回したが、さいわい同じ学部の人間はいなそうだった。
二人で会っているところはあまり見られたくはない。
その為に前回も大学から少し距離があるこの店を選んだ。
「この前の話が信じられないというのは分かるけど、私だって噓をつくならもっとましな理由を付けるわ」
前回と同じく嵐太郎を見つつも、光の手元のコーヒーをスプーンでクルクルとかき回している。
話を聞きながら嵐太郎はさりげなく光を観察する。
今日は白ブラウスに薄い水色のジャケット、シアンのワイドパンツ。
靴は、時々友里葉に「靴も服装に合わせなさい」と怒られているいつもの白いスニーカーだ。
嵐太郎の聞いた話では、今は光の私服のほとんどが友里葉セレクションで、以前に光が自分で選んで持っていた服は友里葉曰く”リクルートスーツみたいで地味”との事で徐々に駆逐されているとのことだった。
『どちらかと言えばスカートの方が好きだなぁ』などと考えていた乱太郎だが、前は初めての二人きりで浮かれた気持ちと話の展開についていけてなかったこともあり気が付けなかったことがあった。
『結構な甘党なんだなぁ』
そのままでは到底溶け切らない量の砂糖が入ったコーヒー。
光の新しい一面が見れた気がして顔がニヤけている嵐太郎を見て光は誤解する。
「馬鹿にしてるわけ? いいわ、本当だという証拠を──」
若干声を荒げた光に、嵐太郎は慌てて続く言葉を遮る。
「いや、違うよ違う! 信じてるって!!」
広げた手を大げさにブンブンとふって否定する。
「ならなんなの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
少し気持ちが高ぶった光は思わずどこかで聞きかじった言葉を口にしてしまった。
「いやぁ、別に死にたいわけじゃないんだけどさ。俺なりに色々考えたんだけど……」
嵐太郎は若干うつむきテーブルの右端に視線を落とすと照れたように続ける。
「今まで通りでいたら天王寺さんが俺の事を好きになってくれる事もあるのかなって考えたら──」
「なっ!? そんなわけ……ッ!!」
今度は光が乱太郎の言葉を遮り「そんなはずはない」と否定しようとした。
しかし──。
『私は……どうして秘密を打ち明けたの?』
今まで通り彼の思いを無視している事も出来たはずだった。
ただ自分の友人たちとも親しくなってしまった嵐太郎が心配になっただけだと光は思っていた。
生死にかかわるとなれば諦めるだろうと思い秘密を話した。
『なんで心配する必要が? それって私が信濃川くんを?』
視線を嵐太郎に戻すと、彼は照れたような困ったような視線を光に向けていた。
『私が……』
再び見つめあう二人。
光は今まで意識しないようにしていた自分の胸の奥底にある小さな暖かい何かを感じた。
「……! 違う、 そんなはずない!!」
自分を否定する言葉と共に光は立ち上がる。
今まで意識していなかった気持ちと共に胸が締め付けられるような恐怖を感じていた。
本物であるなら尚更認められない気持ち。
光は嵐太郎に恐怖の顔を向けながらゆっくりテーブルから離れた。
「いや、嫌だ……こんなの!」
光は嵐太郎に背を向けて走り出す。
「あ……」
嵐太郎は無意識に手を伸ばしたがそれ以上動かなかった。
まるで幽霊でも見たような恐怖の表情を浮かべて逃げ去った光を追うことはできなかったのだ。
しばし俯いて考える……が、すぐに思い直した。
『考えたって仕方ない!』
前回、一日かけて辿り着いた身も蓋もない答えに従うことにし嵐太郎は立ち上がった。
変わらず陽は差しているものの雲行きは怪しくなっている。
建物の合間から見える北の空はすでに真っ暗でぼやけて見え、雨が降り出しているのは容易に想像できた。
ここまで走ってきた光だったが信号待ちの小さな人ごみの手前で立ち止まる。
いまだ自分の中で渦巻く思いと嵐太郎を失う恐怖で胸を押さえ小刻みに震えている。
『上手く…息が出来ない……』
走って息が荒くなっていたがまるでやり方を忘れてしまっているように上手く呼吸ができない。
グルグルと回る思考。
『もう何も考えたくない!』
ふと信号を待つ人の中に見慣れた人物を見つける。
オレンジ色のゆったりニットにデニムスカートの友里葉が背の高い男性と話していた。
男は染めているのだろうか、少し明るめの茶髪を肩くらいまで無造作に伸ばしている。
全体的に黒くてテカテカしたファッションに銀のアクセントが目についた。
以前に写真で見せてもらった友里葉の彼氏ではない、が見覚えがある。
「じゃあ甲斐くんは知ってるの?」
友里葉の言葉で光は最近カラオケに付き合わされた時にいた男だと気が付いた。
おそらく嵐太郎の親友だ。
「そうだねぇ。ちょっとひか……天王寺さんに似てたけど、もっとおとなしい子だったよ。大和撫子ぉー、みたいな」
盗み聞きする気はなかったが甲斐という男からなぜか自分の名前が出ている。
だが今は友里葉と話したかった。
入学当初、姉を失って何も手につかなかった光に寄り添い癒してくれたのは友里葉だ。
きっと彼女ならこの恐怖と混乱を和らげてくれる、そんな確信があった。
光は話しかけようと踏み出すが──。
「ランタの女の趣味がちょっと変わったんかもな」
甲斐の言葉に立ち止まる光。
カラオケの時、甲斐は嵐太郎の事を「ランタ」と呼んでいた。
「アイツよく喋るじゃん? おとなしく話聞いてくれる子が好きだったんよ」
甲斐はちょっと揶揄うような口調になる。
「光ちゃんも聞いてあげてるんじゃない?」
真面目に返答しているつもりの友里葉だが甲斐は苦笑する。
「アレは無視されてるだけじゃないかな……」
本気なのか掴みどころのない友里葉に少し困惑気味の甲斐。
そんなやり取りを見て光は一歩下がった。
『駄目だ、この話は……』
光が踵を返そうとしたその時、不意に友里葉が光の方に振り返った。
「あ、ひかりぃ~! 噂をすればじゃ~ん」
小さく手を振る友里葉に反射的に笑顔でこたえようとした光だったが、友里葉には引きつり困った笑顔のように見えていた。
友里葉は無意識に首をかしげて光をしばらく見つめる。
まるで怯えた子供のような様子に友里葉は少し表情を曇らせる。
「大丈夫? なんか顔色悪いよ?」
信号待ちの小さな人込みを抜けて顔をのぞき込むようなしぐさを見せる友里葉。
「あ、いえ…違うの。ちょっと、走ったから息が上がっちゃって」
そういうと光は大きく息を吸う、ちゃんと息ができるのを確認するように。
「ほんと? ならいいけどぉ……」
何か違和感を感じているのか友里葉はさらに言葉を続ける。
「無理はしちゃ駄目だよ? 困ったら何でも話してね?」
友里葉の優しさを感じ少し落ち着きを取り戻した光は「大丈夫」と返しながら、今度はうまく笑顔を作った。
友里葉について甲斐もやってくる。
「やあ、ひ…天王寺さん!」
甲斐は以前、光を「光ちゃん」と呼んで嵐太郎に「俺より親しそうだから止めてくれ」と言われたのを再び思い出して言い直した。
一応友人として嵐太郎の事は応援しているのだ、面白半分ではあるが。
「ランタは一緒じゃないの?」
その言葉に光は心臓を鷲掴みにされたような思いだったが平静を装って答える。
「えぇ、大した話じゃなかったからさっき別れたわ」
顔は作り笑顔のままだったが、それはいつも嵐太郎の事を話す表情ではなかった。
友里葉はそれを誤解した。
何か良いことがあったのだと思い、いつも通りに話せるならとちょっと前に甲斐に聞いた話を切り出すことにした。
「と・こ・ろ・で、光さん」
急に真面目で他人行儀な口調になる友里葉に思わず「はい」と返事してしまう光をよそに、今度はいつもの口調で続ける。
「なんで黙ってたのよぉ~! 私がそういうの好きなの知ってるでしょぉ~?」
友里葉以外はなんの事か分からずに困惑していたが、友里葉が続ける前に甲斐は気づいた。
「あ、友里葉ちゃんそれは──」
止めようとしていた甲斐に気が付かず友里葉は続けた。
「予言者カノトの話!」
その言葉自体が衝撃を放ったかのように光の全身がビクッと震え硬直し、今度こそ息をすることを忘れた。
『何で!?』
光と姉の事は本当に限られた人物しか知らないし、友人たちにも話したことはない。
「友里葉ちゃん、それは~」
そして甲斐は友里葉の話を止めようとしている。
『この人も知ってる!?』
光は小さく震え始めていた。
ごく最近、その秘密を知る人物が一人増えている。
『嘘……そんなはずない!』
何故だか理解してはいなかったが光は彼を無条件に信じていた。
「だって私の方が付き合い長いのよぉ?」
友里葉は甲斐を非難するように少し口をとがらせた。
周囲にはポツポツと落ち始めた大粒の雨に慌てだす人々。
そして続く友里葉の言葉は光をさらに追い詰めるものだった。
「私より先にそんな秘密を嵐太郎君に打ち明けるなんてぇ!」
”広場”にいる何人かはいつもと少し違うと感じてはいたのだが気に留めるほどではなかった──ただ一人を除いて。
返信がすんでスマホから視線を戻した友里葉は一緒に歩いていた天王寺 光がいないことに気が付いた。
少し大げさにキョロキョロとあたりを見回し、後ろで立ち止まっている光を見つける。
「どしたの、ひかりぃ~。忘れ物ぉ?」
いつもよりさらに間延びした声。
日頃からこの時間の講義は失敗だったと愚痴る程度には友里葉は朝が弱い。
「あ、ごめんなさい。何でもない」
光は誤魔化すように小走りになりながらも、また”広場”を見回し違和感の原因の人物を探した。
『いるわけない……当然よね。誰だって死にたくなんかないもの』
ここ数ヶ月、この曜日ならほぼ必ず待ち伏せていた人物は見当たらない。
光自身が望んだことではあったが胸に心苦しさも感じていた。
『脅迫…みたいなものだものね……』
それでもそれは真実で、彼の──信濃川 嵐太郎の為でもあるのだと自分を納得させて光はそれ以上の思考を振り切った。
『ごめんなさい、信濃川くん』
† † †
いま光は、先日まじめに彼を慮った自分が馬鹿らしくなっていた。
「いやぁ、ホント実家で良かったよぉ~。風邪なんか引いたことなかったからさぁ」
元気に朝の挨拶をした嵐太郎はあの日の翌日、丸一日寝込んだことを楽しそうに語っている。
『ホントに馬鹿は風邪ひかないのね』
光は自分自身に対する失望やら嵐太郎に対する呆れた思いでかなり失礼な考えに至っていた。
「なんか色々考え事してたらクラクラしてきてさぁ~」
楽しそうに経緯を語る嵐太郎。
『風邪じゃなくて知恵熱ね』
こちらの頭が痛くなってきそうだと思いながらも、信用させ理解させなければならないとも思う。
「もうなんでもいいわ……。とりあえず、あなたにはもう少し真面目に話を聞いてもらわなくちゃならないみたいね」
「うんうん、何でも聞いちゃう~」
前回の話を聞いていたとは思えない嵐太郎の軽い返事に光は軽い眩暈を感じながら、午後には二人で会う約束を取り付けた。
平日の昼過ぎではあるが、前回と同じコーヒーショップはそこそこに繁盛しているようだ。
光は入店時に客席を見回したが、さいわい同じ学部の人間はいなそうだった。
二人で会っているところはあまり見られたくはない。
その為に前回も大学から少し距離があるこの店を選んだ。
「この前の話が信じられないというのは分かるけど、私だって噓をつくならもっとましな理由を付けるわ」
前回と同じく嵐太郎を見つつも、光の手元のコーヒーをスプーンでクルクルとかき回している。
話を聞きながら嵐太郎はさりげなく光を観察する。
今日は白ブラウスに薄い水色のジャケット、シアンのワイドパンツ。
靴は、時々友里葉に「靴も服装に合わせなさい」と怒られているいつもの白いスニーカーだ。
嵐太郎の聞いた話では、今は光の私服のほとんどが友里葉セレクションで、以前に光が自分で選んで持っていた服は友里葉曰く”リクルートスーツみたいで地味”との事で徐々に駆逐されているとのことだった。
『どちらかと言えばスカートの方が好きだなぁ』などと考えていた乱太郎だが、前は初めての二人きりで浮かれた気持ちと話の展開についていけてなかったこともあり気が付けなかったことがあった。
『結構な甘党なんだなぁ』
そのままでは到底溶け切らない量の砂糖が入ったコーヒー。
光の新しい一面が見れた気がして顔がニヤけている嵐太郎を見て光は誤解する。
「馬鹿にしてるわけ? いいわ、本当だという証拠を──」
若干声を荒げた光に、嵐太郎は慌てて続く言葉を遮る。
「いや、違うよ違う! 信じてるって!!」
広げた手を大げさにブンブンとふって否定する。
「ならなんなの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
少し気持ちが高ぶった光は思わずどこかで聞きかじった言葉を口にしてしまった。
「いやぁ、別に死にたいわけじゃないんだけどさ。俺なりに色々考えたんだけど……」
嵐太郎は若干うつむきテーブルの右端に視線を落とすと照れたように続ける。
「今まで通りでいたら天王寺さんが俺の事を好きになってくれる事もあるのかなって考えたら──」
「なっ!? そんなわけ……ッ!!」
今度は光が乱太郎の言葉を遮り「そんなはずはない」と否定しようとした。
しかし──。
『私は……どうして秘密を打ち明けたの?』
今まで通り彼の思いを無視している事も出来たはずだった。
ただ自分の友人たちとも親しくなってしまった嵐太郎が心配になっただけだと光は思っていた。
生死にかかわるとなれば諦めるだろうと思い秘密を話した。
『なんで心配する必要が? それって私が信濃川くんを?』
視線を嵐太郎に戻すと、彼は照れたような困ったような視線を光に向けていた。
『私が……』
再び見つめあう二人。
光は今まで意識しないようにしていた自分の胸の奥底にある小さな暖かい何かを感じた。
「……! 違う、 そんなはずない!!」
自分を否定する言葉と共に光は立ち上がる。
今まで意識していなかった気持ちと共に胸が締め付けられるような恐怖を感じていた。
本物であるなら尚更認められない気持ち。
光は嵐太郎に恐怖の顔を向けながらゆっくりテーブルから離れた。
「いや、嫌だ……こんなの!」
光は嵐太郎に背を向けて走り出す。
「あ……」
嵐太郎は無意識に手を伸ばしたがそれ以上動かなかった。
まるで幽霊でも見たような恐怖の表情を浮かべて逃げ去った光を追うことはできなかったのだ。
しばし俯いて考える……が、すぐに思い直した。
『考えたって仕方ない!』
前回、一日かけて辿り着いた身も蓋もない答えに従うことにし嵐太郎は立ち上がった。
変わらず陽は差しているものの雲行きは怪しくなっている。
建物の合間から見える北の空はすでに真っ暗でぼやけて見え、雨が降り出しているのは容易に想像できた。
ここまで走ってきた光だったが信号待ちの小さな人ごみの手前で立ち止まる。
いまだ自分の中で渦巻く思いと嵐太郎を失う恐怖で胸を押さえ小刻みに震えている。
『上手く…息が出来ない……』
走って息が荒くなっていたがまるでやり方を忘れてしまっているように上手く呼吸ができない。
グルグルと回る思考。
『もう何も考えたくない!』
ふと信号を待つ人の中に見慣れた人物を見つける。
オレンジ色のゆったりニットにデニムスカートの友里葉が背の高い男性と話していた。
男は染めているのだろうか、少し明るめの茶髪を肩くらいまで無造作に伸ばしている。
全体的に黒くてテカテカしたファッションに銀のアクセントが目についた。
以前に写真で見せてもらった友里葉の彼氏ではない、が見覚えがある。
「じゃあ甲斐くんは知ってるの?」
友里葉の言葉で光は最近カラオケに付き合わされた時にいた男だと気が付いた。
おそらく嵐太郎の親友だ。
「そうだねぇ。ちょっとひか……天王寺さんに似てたけど、もっとおとなしい子だったよ。大和撫子ぉー、みたいな」
盗み聞きする気はなかったが甲斐という男からなぜか自分の名前が出ている。
だが今は友里葉と話したかった。
入学当初、姉を失って何も手につかなかった光に寄り添い癒してくれたのは友里葉だ。
きっと彼女ならこの恐怖と混乱を和らげてくれる、そんな確信があった。
光は話しかけようと踏み出すが──。
「ランタの女の趣味がちょっと変わったんかもな」
甲斐の言葉に立ち止まる光。
カラオケの時、甲斐は嵐太郎の事を「ランタ」と呼んでいた。
「アイツよく喋るじゃん? おとなしく話聞いてくれる子が好きだったんよ」
甲斐はちょっと揶揄うような口調になる。
「光ちゃんも聞いてあげてるんじゃない?」
真面目に返答しているつもりの友里葉だが甲斐は苦笑する。
「アレは無視されてるだけじゃないかな……」
本気なのか掴みどころのない友里葉に少し困惑気味の甲斐。
そんなやり取りを見て光は一歩下がった。
『駄目だ、この話は……』
光が踵を返そうとしたその時、不意に友里葉が光の方に振り返った。
「あ、ひかりぃ~! 噂をすればじゃ~ん」
小さく手を振る友里葉に反射的に笑顔でこたえようとした光だったが、友里葉には引きつり困った笑顔のように見えていた。
友里葉は無意識に首をかしげて光をしばらく見つめる。
まるで怯えた子供のような様子に友里葉は少し表情を曇らせる。
「大丈夫? なんか顔色悪いよ?」
信号待ちの小さな人込みを抜けて顔をのぞき込むようなしぐさを見せる友里葉。
「あ、いえ…違うの。ちょっと、走ったから息が上がっちゃって」
そういうと光は大きく息を吸う、ちゃんと息ができるのを確認するように。
「ほんと? ならいいけどぉ……」
何か違和感を感じているのか友里葉はさらに言葉を続ける。
「無理はしちゃ駄目だよ? 困ったら何でも話してね?」
友里葉の優しさを感じ少し落ち着きを取り戻した光は「大丈夫」と返しながら、今度はうまく笑顔を作った。
友里葉について甲斐もやってくる。
「やあ、ひ…天王寺さん!」
甲斐は以前、光を「光ちゃん」と呼んで嵐太郎に「俺より親しそうだから止めてくれ」と言われたのを再び思い出して言い直した。
一応友人として嵐太郎の事は応援しているのだ、面白半分ではあるが。
「ランタは一緒じゃないの?」
その言葉に光は心臓を鷲掴みにされたような思いだったが平静を装って答える。
「えぇ、大した話じゃなかったからさっき別れたわ」
顔は作り笑顔のままだったが、それはいつも嵐太郎の事を話す表情ではなかった。
友里葉はそれを誤解した。
何か良いことがあったのだと思い、いつも通りに話せるならとちょっと前に甲斐に聞いた話を切り出すことにした。
「と・こ・ろ・で、光さん」
急に真面目で他人行儀な口調になる友里葉に思わず「はい」と返事してしまう光をよそに、今度はいつもの口調で続ける。
「なんで黙ってたのよぉ~! 私がそういうの好きなの知ってるでしょぉ~?」
友里葉以外はなんの事か分からずに困惑していたが、友里葉が続ける前に甲斐は気づいた。
「あ、友里葉ちゃんそれは──」
止めようとしていた甲斐に気が付かず友里葉は続けた。
「予言者カノトの話!」
その言葉自体が衝撃を放ったかのように光の全身がビクッと震え硬直し、今度こそ息をすることを忘れた。
『何で!?』
光と姉の事は本当に限られた人物しか知らないし、友人たちにも話したことはない。
「友里葉ちゃん、それは~」
そして甲斐は友里葉の話を止めようとしている。
『この人も知ってる!?』
光は小さく震え始めていた。
ごく最近、その秘密を知る人物が一人増えている。
『嘘……そんなはずない!』
何故だか理解してはいなかったが光は彼を無条件に信じていた。
「だって私の方が付き合い長いのよぉ?」
友里葉は甲斐を非難するように少し口をとがらせた。
周囲にはポツポツと落ち始めた大粒の雨に慌てだす人々。
そして続く友里葉の言葉は光をさらに追い詰めるものだった。
「私より先にそんな秘密を嵐太郎君に打ち明けるなんてぇ!」
