きっと、楢崎課長が助けてくれたのだ。
十二村部長と高坂さんのやり取りを見て、私がショックを受けていると思ったのだろう。
機転の効いた話の振り方に、私の心は課長の思惑通り救われた。今この場が悪い思い出として片付くことはなくなったのだ。
楢崎課長に軽く頭を下げれば、ちょうど3階に到着した。
課長がわざとらしく、十二村部長と高坂さんの間を割って出て行き、私もそれに続いた。
課長の行動に、自然と頬が緩む。
楢崎課長は本当に紳士的で、優しくて、しかもお茶目だ。
でもフロアに出れば、後ろから十二村部長の声が聞こえた。
「楢崎、」
「なに十二村?」
楢崎課長が振り返って脚を止める。
「今度俺にもお前の実験みたいなスイーツ食わせろ。」
「実験とは失礼な。」
私も振り返って脚を止める。
十二村部長がエレベーターのドアを手動で抑えているのが見えた。
「ついでにそこの大路。」
「はい?」
「お前のその『バッハトルテ』ってやつもだ。」
「ば、バッハ?」
「返事は?」
「は、はい……。」
覇気なく答えると、十二村部長が舌打ちで返した。
エレベーターの扉が、慌てるように閉まっていく。
止まったままの脚が微かに震えた。
私は今、何を言われたのだろう?
(『バッハトルテ』って何? もしかして、ザッハトルテのこと??)
やっぱり私、詩太さんにバレンタインチョコ要求されてる? 先日のリフレッシュスペースで言われたことが思い出される。
楢崎課長のついでとはいえ、これって完全に私の手作りスイーツが食べたいということだ。
こんな結末が待ち受けているとは思わず、再び楢崎課長に頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! 楢崎課長のお陰です!」
本当に、課長が助け舟を出してくれたお陰だ。
あの場で十二村部長が私に話しかけてくるなんて。嬉しくて、少しだけ目の前が滲む。
下げた頭を上げようとすれば、ふわりと頭に温かいものが乗せられた。
「よかったね。そんな風に喜んでる姿見るのは、ちょっとだけ妬けるけど。」
「え?」
「行こう。」
さり気なく頭を撫でられた。
楢崎課長の背中をぼうっと眺めていれば、あっという間に遠くの方まで歩いて行ってしまっていた。



