婚約の顔合わせの場だというのに、ものの30分で彼は受験勉強があるからと帰ってしまった。
『ごめんなさいねえ。あの子、昔から無愛想で言葉足らずなのよ。』
『いえいえ! 未玲なんてこの通り普通の容姿ですから! もらってもらえるだけありがたいですよ!』
母親のやり取りを聞いただけで、どちらの家柄が優位なのかが分かってしまう。
私の祖父と父が展開する株式会社オージスは、調剤薬局経営をメインにしているものの、今やどこかしこも調剤薬局だらけで荒波に揉まれている状況。
そこで、開業当初より付き合いのある製薬会社、十二村製薬とのパイプラインを保つために父親同士が勝手に決めた婚約だった。
それでも私にとっては立派な恋だった。
女子高生活の中で、詩太さんという婚約者は私の中で神格化され、いずれ生涯のパートナーになるからと、新婚生活を妄想するばかりだった。
文芸部だった私は、恋そのものに恋しているといっても過言ではなかったのだ。
◆◇◇
月日は流れ、私は26歳になっていた。
新卒で十二村製薬に就職した私は、初めは一般事務に配属。
それから3年経って、今は詩太さんの側近として秘書業務を務めている。
もちろん、すべて十二村詩太の婚約者である特権だ。
学生だった私は、詩太さんと一緒に働く日をずっと妄想してきた。
いずれ自分も彼を支えるために同じ会社で働くことも分かっていたし、少しでも貢献できるようにといくつかの資格も取得した。
でも現実は甘くない。
先輩秘書の高坂さんのデスクの前で、私はただ謝ることしか出来なかった。
「これが原本かコピーかってことくらい分かるわよね? コピーはオンライン経由だから誓約書とセットにして渡してって何度も言ってるはずだけど?」
「すみませんでした。」
「それと、部長がオフィスに帰宅する前に必要書類揃えてくれるのはいいんだけど、重要書類も多いから部長のデスクに置くのはやめて。」
「はい。わかりました。」
「あの人、出張から帰る10分前には必ず私のスマホに連絡してくるの。だから私が指示してから揃えてね。」
「はい。そうします。」
「うちは製薬会社ってこと分かってる? 開発担当は飲み屋で仕事の愚痴も言えなほどシビアな世界なの。その自覚を持って仕事してね。」
「はい。気をつけます。」



