彼女の前では、
Reyじゃなく、麗だった。

店では見せない顔。
弱さも、迷いも、
誰かに縋りたい気持ちも。

「今日は、ちょっと疲れた」

そんな一言を、
何の計算もなく零せたのは、
彼女の前だけだった。

甘えることも、
依存することも、
許されている気がした。

俺は、
“ホストじゃない自分”を
彼女に預けていた。

だから信じていた。
彼女は、
麗を見てくれているんだと。

「お店のReyも好きだけどさ、
 私は素の麗のほうが好き」

その言葉に、
何度も救われた。

――少なくとも、
そう思っていた。



(回想)

ソファに並んで座ると、
彼女は何の迷いもなく
俺の腕に体を預けてくる。

「ねえ、今日のお店どうだった?」

「んー……まあまあ」

「絶対うそ。
 どうせまたモテたんでしょ」

そう言って、
拗ねたみたいに俺の腕をつねる。

「痛い」

「知らない。麗が悪い」

その顔が可笑しくて、
俺は思わず笑ってしまった。

「……俺さ」

「ん?」

「今日、ちょっと疲れた」

そう言うと、
彼女は一瞬だけ目を丸くして、
それからふっと笑った。

「珍しいね。
 麗がそんなこと言うの」

「言わないようにしてるだけ」

「じゃあ今日は、
 ホストやめよ?」

「簡単に言うな」

「いいじゃん。
 今は麗でしょ」

その言葉に、
胸の奥の力が抜けた。

彼女は俺の肩に頭を乗せ、
何も言わずに背中を撫でる。

「無理しなくていいよ。
 麗は、頑張りすぎなの」

その手は優しくて、
あたたかくて、
俺は目を閉じた。

「こういうとこ、
 他の子には見せちゃダメだからね」

「見せないよ」

「約束」

「約束」

指と指を絡めると、
彼女は満足そうに笑った。

「私ね、
 麗のこういうとこが一番好き」

「どんなとこ」

「強がってないとこ」

その言葉を、
俺は疑いもしなかった。



最初は、
些細な違和感だった。

店の前を一緒に歩いている時、
彼女が急に腕を絡めてくる。

「ね、見て」

顎で示した先に、
店の看板。

「ここ。
 麗が働いてるとこ」

誇らしげで、
少し得意そうで、
その顔はやっぱり可愛かった。

「言わなくていいよ」

「なんで?
 だって、すごいじゃん」

悪気はない。
それは分かっていた。

「私の彼氏、ホストなんだよ」

友達にそう言う声が、
少しだけ弾んで聞こえた。

「No.2なんだって」

俺を見る視線が、
“彼氏”よりも
“肩書き”をなぞっている気がして、
一瞬だけ言葉に詰まる。

「……別に、大したことじゃない」

そう言うと、
彼女は不満そうに唇を尖らせた。

「謙遜しすぎ。
 もっと自慢していいのに」

その夜、
彼女のスマホの画面に映った写真。

照明の下で笑う、
Rey。
作られた王子様の俺がいた。

「この写真、好き」

「ホストの顔だろ」

「うん。
 かっこいい」

その言い方が、
少しだけ、引っかかった。

「ねえ、
 そのシャツでお店行くの?」

「うん」

「じゃあさ、
 もっと“Reyっぽい”の着てよ」

軽い口調。
冗談みたいな言い方。

「せっかくなんだから」

“せっかく”
その言葉の意味を、
俺は聞かなかった。

聞いてしまったら、
何かが崩れそうだったから。



彼女は優しかった。
気遣いもできたし、
俺の仕事を否定もしなかった。

でも、その優しさは、
いつの間にか形を変えていた。

彼女は、
Reyを“自分のもの”として
人に見せるのが好きだった。

Reyという名前が、
彼女のブランドの一部になっていく。

それに気づいた時、
胸の奥が、
少しだけ冷えた。

決定的だったのは、
嘘が明らかになった夜だ。

俺のいない場所で、
彼女は他所の男に貢いでいた。

それも、
一度や二度じゃない。

問い詰めたわけじゃない。
ただ、事実を知った。

彼女は、
悪びれもせず、こう言った。

「だって、麗はさ、
 ホストなんだから」

その一言で、
全てが繋がってしまった。

素の麗が好きだと言ったこと。
弱いところも含めて、
受け止めると言ったこと。

全部、嘘だった。

彼女が欲しかったのは、
“飾られた俺”だった。

疲れない。
迷わない。
依存しない。

常に余裕のある、
ホストとしてのRey。

麗でいてほしいと言いながら、
本当は、
麗でいることを
望んでいなかった。

その矛盾が、
一番、痛かった。

俺が見せた弱さは、
彼女にとって
邪魔なものだったのだ。

俺は、
彼女の理想に合わせるほど、
自分が誰なのか
分からなくなっていた。

愛されようとすればするほど、
麗であることが、
少しずつ削れていく気がしていた。

それでも、
別れは静かだった。

怒鳴ることも、
責めることも、しなかった。

ドアが閉まる音がして、
足音が遠ざかる。

そのあと、
部屋から音が消えた。

エアコンの微かな風の音だけが残って、
さっきまで確かにあった温度が、
嘘みたいに引いていく。

カチャリと、
机に置かれた鍵。

それを見つめたまま、
しばらく動けなかった。

「麗、今までありがとう」

彼女の後ろ姿を見送りながら、
彼女の告げた“レイ”という名が
ホスト名じゃなければいいな、
そんなことを考えていた。

それ以来、
俺は距離を測る。

触れない距離。
踏み込まれない距離。

Reyは、
誰にとっても優しい。

でもそれは、
自分を守るために
削ぎ落とされたReyだ。

彼女がついた嘘は、
今も俺の中で生きている。

「麗を好きだ」という、
一番残酷な嘘として。

もしあれが本当なら、
俺は彼女と、
何の疑いもなく
幸せになろうとしていた。

だからこそ、
あの嘘は今も、
俺の中で終わらない。

そして今日も、
俺は夜に立つ。

求められるReyを演じながら、
本名の麗は、
胸の奥で
静かに息を潜めている。