朝の光は、いつもやさしい。

シャッターを上げると、
まだ少し冷たい空気が、店の中へすべり込んでくる。
それでも光が差し込むだけで、
花たちは一斉に色を取り戻したみたいに、
静かに目を覚ます。

私はエプロンを結び、
水を張ったバケツを持ち上げる。

ガラス越しに反射する光が、
花びらの縁で小さく跳ねる。
赤も、白も、淡い紫も、
全部がきらきらしていて、
胸の奥に溜まっていたものを
少しずつほどいてくれる気がした。

「志乃ちゃん、そのバケツはこっち置いて大丈夫よ」

名前を呼ばれて、
一瞬だけ手が止まる。

「ありがとうございます」

そう返すと、
彼女は「いいのいいの」と笑って、
もう次の作業に取りかかっていた。

動きは早いのに、
雑なところがひとつもない。

値札を整え、
花の向きを直し、
レジ周りを拭く。

その合間にも、
私の手元をちらりと見ては、

「その茎、少し短くしてもいいかもね」
「志乃ちゃん、腰は大丈夫?」

と、当たり前みたいに声をかけてくれる。

気遣いは、
大げさじゃないほうが、
こんなにも心に残る。

「志乃ちゃん、手、冷えてない?」

そう言って、
湯気の立つお茶を差し出された。

「ありがとうございます」

それ以上、言葉が続かなかった私に、
彼女はふっと笑って、こう言った。

「人ってね、
 ちゃんと休める場所があると、
 それだけで少し強くなれるのよ」

胸の奥で、
何かが静かにほどけた。

開店してしばらくすると、
店内はさらに明るくなる。

花の香りと、
朝の空気と、
やわらかな会話。

私は、この場所で
ちゃんと呼吸をしている。

「お母さーん」

奥から、少し高い声が聞こえた。

「はいはい、今行くわよ」

返事をしながら、
彼女は一度こちらを振り返る。

「志乃ちゃん、あとはお願いしてもいい?」

「はい」

奥へ消えていく背中を見送っていると、
男の子がひょこっと顔を出した。

「……こんにちは」

少し照れたように、
でもきちんと頭を下げる。

「こんにちは」

私が微笑むと、
彼は安心したみたいに、
小さく笑って、すぐ奥へ戻っていった。

それだけで、
十分だった。

私はまた花に向き直り、
一輪一輪を整えていく。

ここでは、
過去を説明しなくていい。
強がらなくていい。
何者かにならなくていい。

花は、
こちらが触れれば触れた分だけ、
ちゃんと応えてくれる。

――ちゃんと休める場所があると、
それだけで少し強くなれる。

その言葉を胸の奥で反芻しながら、
私は今日も、この光の中に立っている。