(前半)

昼と夜の境目は、曖昧だ。

大学を出て、スーツに着替え、
別の顔をつくる。

笑って、褒めて、距離を測る。

「Reyくん優しい」

そう言われても、何も残らない。
残るはずもないのだ。

グラス越しの自分の笑顔は、
どこか他人みたいだ。

けれど、
志乃の前では、無理をしなくていい。
飾らなくていい。

黙っていても、変だと思われない。

あの人は、俺を“役割”で見ない。

母と航太が受け入れている人だから、じゃない。

それだけじゃない。

俺が俺でいられる。

それが、どれだけ救いか。



志乃の過去を知ったとき、
守りたいと思った。

壊れたとか、弱いとか、そんな風には見えなかった。
静かに立っている人だと思った。

それでも、
あの人は自分を後ろに置く。

いつも、少しだけ。

「麗くんは頼りになるね」

あの言葉。
姉が弟に向ける安心。
あれは優しさだ。
でも、同時に線だ。

俺はその線の内側にいる。

家族側。

安全な位置。

――それが、苦しい。

触れられない場所に立たされているみたいで。



最近、気づく。

志乃が笑うたびに、胸が熱くなる。

他の男が視界に入るだけで、ざわつく。

それでも何も言わない。
言えば壊れると思っていた。

今までの俺なら、
欲しいと思ったら掴んでいた。

繋ぎ止めるために甘い言葉も使った。

でもそれは、
寂しさを埋めるためだった。

今は違う。

志乃を失うのが怖いんじゃない。
志乃が、自分を諦めるのが嫌なんだ。
笑って線を引く姿が、嫌なんだ。

俺のために、じゃない。
あの人自身のために。

そう思った瞬間、
はっきりした。

ああ、
好きなんだ。
依存じゃない。

埋めるためじゃない。

選びたいと思った。

一緒にいたいと、思った。



閉店後。
店の灯りが落ちて、静かな空気。

「麗くん、今日はありがとう」

いつもの笑顔。
いつもの距離。

その距離が、今日は遠い。

「志乃」

名前を呼ぶ。

少しだけ、声が震える。
志乃がこちらを見る。

「俺、弟じゃない」

一瞬、空気が止まる。

「頼りになる、とか。家族側、とか。そういう位置にいるのはわかってる。でも」

喉が熱い。
逃げ道を残した言い方は、したくない。

今言えば、何かが壊れる。
それでも――

「好きだ」

静かな店内に、落ちる。

志乃の瞳が揺れる。
すぐに、整える。
その整え方を、俺は知っている。

距離を保つための呼吸。
無理に保つ距離感。

それを見た瞬間、
胸が痛む。

でも、引かない。

「俺を好きになって」

奪うんじゃない。
閉じ込めるんじゃない。
選んでほしい。

俺を。

出逢った頃の俺とは違う。

逃げない。

ごまかさない。

欲しいと、ちゃんと言う。

沈黙が落ちる。

答えはまだ来ない。

それでもいい。

好きだと、自分で認めた。

もう、戻れない。