航太くんは、小学生の男の子。
身体は少し弱く、学校も休みがちだけれど、母と兄――麗に囲まれて、笑顔の多い毎日を送っている。

人見知りで、不器用で、すぐに麗の後ろに隠れる。

それでも、少しずつ。

「……こんにちは」

最初はそれだけだった声が、
やがて花屋の店先で志乃に向くようになった。

「これ、どうやって切るの?」
「この花、好き?」

小さな指で花を持ち、真剣な顔で手伝いをする姿が愛おしい。

志乃にとって航太は、弟のような存在だった。
すごく、柔らかい感情。

この子の前では、無理に強くなくていい。
咲き誇らなくてもいい。

ただそこにいるだけで、「ありがとう」と言ってもらえる。

売れ残った花ではなく、
ちゃんと必要とされる存在でいられる。

――こういう未来なら、壊さなくて済むのかもしれない。

航太は、ある日ぽつりと言った。

「ぼく、花屋さんもっと大きくしたいんだ」

「兄ちゃんが安心できる場所にしたい」

照れくさそうに笑う。

その未来の中には、きっと家族がいて、
温かい食卓があって、
変わらない日常がある。

志乃は思う。

守れる未来なら、選べる。
安心できる未来なら、怖くない。

そのとき、店先で麗が航太の頭を撫でていた。

優しい目。
守る人の目。

航太に向けるそれは、迷いがない。

志乃は気づく。

自分に向けられる視線は、少し違う。
彼は、何も欲しない顔をしている。

けれど、時折――
何かを堪えるように、喉を鳴らす。

航太といるときの麗は、穏やかだ。
でも、二人きりになると、空気が少し変わる。

あれは、航太の兄の顔ではない。

志乃はわからなくなる。

私はお姉ちゃんの立場でいればいいはずなのに。
安心できる場所にいればいいはずなのに。

それでも。

不確かな“今”のほうへ、心が揺れる。

航太は未来。
麗は、今。

二人の未来に航太は必要だった。

けれど――

未来だけでは、足りないと感じてしまう自分がいる。