萌えとネイル

あの日以来、ギャル子は以前よりもよく話しかけてくるようになった。

昼休み。

教室の後ろのドアが開く音がすると、
無意識に視線がそちらへ向いてしまう。
ギャル子が入ってくる。
それだけで、胸の奥が少しだけ騒がしくなる。

「オタクくん、おはよ」

もう昼なのに、そう言って笑う。

「あ……お、おはようございます……」

自分でもおかしな返事だと思った。
でもギャル子は気にしない。

「今日何読んでんの?」

机に手をついて、少し前かがみになる。
距離が近い。
シャンプーの匂いがする。

「こ、これです……」

本の表紙を見せる。

「へー、なんか強そうなタイトル」

ギャル子はそう言って笑った。
その笑顔を見るたびに、
胸の奥が締めつけられる。
以前よりも、
ギャル子はよく話すようになった。

本のことだけじゃない。

「オタクくんて、家帰ったら何してんの?」
「兄弟とかいるの?」
「休みの日も本読んでる感じ?」

そして、
自分の話もするようになった。

「ボクさ、中学のときめっちゃ人見知りやってん」
「ネイル始めたのも、そのとき暇やったから」

知らなかったことを、
教えてくれる。
共有してくれる。
それが、
嬉しかった。
嬉しくて、
そして、
苦しかった。

気づいてしまったから。
自分は、
ギャル子のことが好きだと。

ページをめくる。
文字を追う。
でも、内容は頭に入ってこない。

視界の端に、ギャル子の指が見える。
ネイルが光っている。
綺麗だと思った。
その瞬間、
自分の心が、
決定的に、向こう側へ踏み込んでしまったことを理解した。

好きになってはいけない人を、
好きになってしまった。

自分なんかが、
好きになっていいわけがない。

もし、この気持ちを伝えたら。
きっと、
気持ち悪がられて終わる。

あの日のことを思い出す。
ヤンキー女の目。
感謝もなく、
ただ、
関わりたくないものを見るような目。
あれが、
自分の立場だ。

ギャル子が特別なだけ。
例外なだけ。
意味を持たせてはいけない。
希望を持ってはいけない。

この気持ちは、
押し殺さなければならない。

その日、
昼休みの途中で、
教室の後ろのドアが開いた。
ギャル子だった。

笑っている。
ヤンキー女の方へ歩いていく。
その光景を見た瞬間、
オタクくんは立ち上がっていた。

本を持つ。
そして、
教室を出た。
逃げるように。
廊下を歩く。
心臓がうるさい。
屋上へ向かう。
ドアを開ける。
誰もいない。
静かだった。

ようやく、
呼吸ができる気がした。

これでいい。
これ以上、
好きになってしまう前に、
距離を置く。
それが、
正しい。

翌日。
昼休み。

ドアが開く音がする。
振り向かなくても、
わかる。
立ち上がる。
教室を出る。
また翌日も、
同じことをした。
繰り返すうちに、
タイミングを覚えた。
ドアの開く音。
足音。
気配。
すべてを、
避けるようになった。

ギャル子の声を、
聞かないように。
期待してしまわないように。

ある日。
昼休み。

教室の後ろのドアが開いた。
振り向いてしまった。
ギャル子と、
目が合った。
一瞬。
心臓が跳ねる。
でも、
すぐに視線を逸らした。
立ち上がる。
本を持つ。
教室を出る。
何も言わずに。
背中に、
視線を感じた気がした。
でも、
振り返らなかった。
振り返ってしまったら、
戻れなくなる気がしたから。