ユリッシュとハレノ様がこの世界を去っても、わたくしもフィアナもこの世界に――この国に残る。
わたくしたちはこの国で、この先も今まで通りに生きていくのだ。
例えこの国がどんな道を選択しようとも、わたくしはラクルテル侯爵家の者として民のために尽くしていこうと思う。
「ユリッシュ、フィアナ、ハレノ様。それに、ロゼリア、アリス。面白いものが届いたわよ」
「お母さま」
「面白いもの?」
温室の中に入ってきたのは公爵夫人。
わたくしとアリスはすぐにスカートを持って頭を下げる。
しかし、手で制されて手紙を差し出された。
封蝋には王家の紋章。
「まあ……もしかして」
「ええ」
頬に手を当てる。
この時期に公爵家に届く手紙で、わたくしたちにまで声をかける内容の手紙なんて一つしか思い浮かばない。
「エルキュール殿下とヒメナ様の婚約初披露パーティーの招待状。どうやら婚約は本当にするつもりのようね」
「国王陛下と王妃様は止められなかったのでしょうか?」
正直、正気の沙汰とは思えない婚約。
わたくしが首を傾げると、公爵夫人は肩をすくめる。
「姫菜……本当にこの世界に残るつもりなの……?」
「ハレノはそのヒメナ嬢とやらに手紙は送ったんだよね?」
「は、はい。でも、返事はなくて……」
「淑女の勉強に身を入れていると聞き及んでいますが、手紙に返事をしないなんて非常識ですわね」
ユリッシュはまだ、ヒメナ様と会ったことがない。
だからどことなくヒメナ様に対してのイメージが弱いようだ。
エルキュール殿下は『ヒメナは努力している』とおっしゃっていたけれど、ハレノ様へ手紙の返事をしないのは淑女以前に人としていかがなものかと思うのだけれど。
「そういえばエルキュールもヒメナ嬢はすごく頑張って勉強している、と言っていたよね。勉強で忙しくて返事を書けないってことなのかな?」
「ええ?」
怪訝な声を出したのはアリス。
わたくしも使用人たちから色々情報を集めているから、彼女の現状はなんとなく知っている。
しかし、アリスの怪訝な声はどことなく実感がこもっていた。
「アリス、なにかヒメナ様について知っているの?」
「あ、ええと……ヒメナ様は三ヶ月くらい前から、貴族学園に入り浸っているの……」
「ええ!?」
「へえ、そうなのかい? じゃあ、本当に勉学に打ち込んでいて忙しいの?」
アリスの渋い反応を見るに、使用人たちの情報網から聞いた話が真実らしいとわかる。
ヒメナ様はエルキュール殿下に『同年代の人たちと勉強がしたい』『貴族の学校に通う人たちと交流して、人脈を広げたい』等々言って貴族学園に通うようになったとか。
「勉強に……というか……社交ダンスの授業や、学園内の歌姫選定会に無理矢理入ってきて、王都の歌姫を二ヶ月も務めたのです。社交ダンスの授業はヒメナ様が指定されたパートナー以外の殿方と踊りたいと言い出してめちゃくちゃになるし、後輩の歌姫候補はことごとく選定会から弾かれて歌姫になる機会を得られなかったりで……その……正直……」
もごり、と視線を背けながらアリスが口を閉ざす。
ユリッシュの表情が無表情になる。
これは結構珍しい。
笑顔の仮面で貴族らしく振る舞うユリッシュがこんな顔をするなんて。
ハレノ様に色々聞いていて、エルキュール殿下に聞いた話との落差もあってのその表情なのだろう。
「歌姫になる機会を、歌姫候補たちが二度も三度も奪われているのは聞き捨てならないわね」
「ええ。わたくしもそう思いますわ」
公爵夫人も歌姫経験者。
同じことを思っておられて嬉しい。
王都の歌姫を経験した者は、王都の近郊の町や村から依頼されて歌を披露しに行くものだ。
そうして一人でも多くの歌姫候補者に、歌姫となってもらう。
そんなに何度も歌姫を経験するのは田舎ではよくあるが、王都や王都近郊では正直あり得ない。
かなり好き勝手しているが人気はやはり高いらしく、歌姫として様々な町や村から歌姫依頼が来ているという。
それなのに、ヒメナ様は王都の歌姫をもう三度も務めた。
これは、異例なこと。
王都の歌姫など、貴族令嬢の歌姫候補にとって登竜門のようなもの。
歌姫候補たちの機会を何度も何度も奪っているということ。
「エルキュールの話とだいぶ印象が違うね、ロゼリア」
「ハレノ様のお話が本性ということでしょう」
「やっぱりそうだよね。……そう。じゃあ……エルキュールがあんなふうになったのはやっぱりそのヒメナ嬢とやらの影響なんだね」
「それ以外に考えられませんわね」
「エルキュールも男の子だもんね」
などと軽く言っているが、ユリッシュの目は笑っていない。
ハレノ様への態度もさることながら、わたくしたちの大切な幼馴染を悪い方向に変えてしまったヒメナ様にはいい印象など持つはずもない。
「エルキュール殿下はそのような女性と婚約をするのね。そもそも、ヒメナ嬢はハレノ様と同じ世界から来ただけの女性でしょう? ハレノ様がお帰りになられるのなら、一緒に帰るのではないの?」
公爵夫人の疑問はごもっとも。
わたくしたちもそう思っていたわ。
しかし、婚約初披露パーティーの招待状が来たということは婚約はやめない、ヒメナ様はこの世界に戻る――という意思表示なのだろう。
まさか本当に王太子妃になるつもり、なのだろうか?
いえ……なれると思っているのかしら?
「帰る方法が確立したから、いつでも帰れる、と思っているのかも。でも、王子妃になったら元の世界になんて帰れないよね?」
「そのあたりはどう考えているのでしょうね?」
ふふ、と笑うとユリッシュに変な顔をされた。
おそらく、ここでわたくしの思惑はユリッシュと公爵夫人に伝わったことだろう。



