『今度召喚されてくる聖女と結婚する』と婚約破棄した婚約者が泣きついてきたんだが殴っていいだろうか?



 どうしたの?
 エルキュール殿下の必死な表情。
 わたくしたちにヒメナ様を“聖女”として認めろとでも言いたげな態度。
 努力したから?
 そんなの誰でもしていることだ。
 わたくしも、ユリッシュも。
 ヒメナ様だけではない、ハレノ様もこの世界に慣れる努力をしておられる。
 あんなに怯えていたのに、ハレノ様はユリッシュとダンスの練習をするまでになっているのだ。

「エルキュール、どうしたの? 努力なんてみんなしていることだよ? それに今回の歌姫選抜の件は強引すぎる。ヒメナ嬢の歌を聴いたことがないからどの程度のものかはわからないけれど、彼女が努力していたら同じように努力してきた他の歌姫候補たちを権力で黙らせてまでそのヒメナ嬢を歌姫に選抜してもいいことにはならないだろう? 努力で語るのなら、この世界に来て数週間の彼女よりも長く歌姫になるために努力している歌姫候補たちを認めてやるべきではないの?」
「わたくしもそう思いますわ。歌姫候補たちの中には有力な上級貴族のご令嬢もいたはずですのに、無理矢理差し替えて……。反発がもう出ているのではありませんか?」
「うるさい!」
「「――っ」」

 ユリッシュの言うことはもっともだ。
 わたくしはアリスが可愛いから、アリスのことを思うと“努力しているから”という理由でヒメナ嬢を優遇することに納得はできない。
 それがわからないエルキュール殿下ではなかったはずだ。
 王太子として、殿下が並々ならぬ努力をしてきたのをわたくしもユリッシュも知っているからこそ、殿下がそんなことを言うのは不可解でたまらない。

「殿下、どうしたというのです?」
「エルキュール、まさかとは思うが……君……」
「俺はヒメナを婚約者にする!」
「は――?」

 思わず変な声が出てしまった。
 ヒメナ様は、聖女ではない。
 王太子は聖女でなければならない。
 聖女は女神の生まれ変わりと国を守護する特別な存在。
 だから聖女は、絶対的な権威で守護らなければならないのだ。
 王太子として、殿下はそれを誰よりも理解っているのではないの?
 理解っているから、わたくしと婚約破棄をしたのでしょう?
 わたくしもそれならばなんの文句もないわ。
 だってそれが当たり前のことだもの。
 でもこの方はなにを言っているの?

「ヒメナ様は聖女では――」
「彼女はわかってくれたのだ! 俺の努力を!」
「なにを言っているの? エルキュール」
「お前たちみたいに、生まれながらに特別な……主魔児(アルグ)のお前たちに俺の努力のなにがわかるって言うんだ!」

 腰を浮かしたユリッシュが、エルキュール殿下に向かって手を伸ばしかけて、止める。
 わたくしも、動けない。
 瞬きもできなかった。
 殿下がわたくしたちを見る、目が……あまりにも……。

「そ……そんなふうに……君も……」
「あ……」

 ユリッシュの方を、ゆっくり見る。
 掠れた声。
 ああ……ユリッシュ。
 そうね、その言葉だけは……殿下から聞きたく、なかったわよね。
 わかるわ。わたくしも同じ気持ち。
 わたくしたち主魔児(アルグ)は、なんの努力もせずに優秀な成績を出せると思われている。
 なぜ? そんなわけないのに。
 学ばなければ魔力を魔法にはできないし、座学やマナー、ダンスだって教わらなければ覚えられない。
 主魔児(アルグ)が優秀なのは魔力量だけ。
 それ以外は普通の人間と同じように、努力して覚えたり身につけなければならないのよ。
 唇が震える。
 わたくしたちは、幼い頃から殿下の努力を見てきた。
 同じくエルキュール殿下もわたくしたちの努力は見ているはずなの。
 だって一緒に学び、一緒に練習した。
 ずっと一緒に努力してきたのだ。
 それなのにどうしてあなたが(・・・・)そんなことを言うの?
 一番近くで同じ努力をしてきたはずのあなたが(・・・・)
 わたくしたちがそれを言われた時、わたくしたちよりも怒ってくれたあなたが(・・・・)

「す……すまない。今のは……失言だった」

 否定されるのは慣れている。
 継母にいつも言われていることだ。
 主魔児(アルグ)だからと継母以外にもよく言われている。
 もう反応することにも疲れてしまっているぐらいに。
 嫌がらせも嫌味も、それで慣れてしまった。
 それでも……それでもまさか、あなたにそれを言われる日が来るなんて。
 ちゃんとすぐに謝ってもらったのに、わたくしもユリッシュも『許す』ことができそうにない。
 いえ、許す以前に、エルキュール殿下への信頼に大きくヒビが入った。
 わたくしだけでなくユリッシュも。
 隣から同じ――深く強い失望を感じる。
 信頼していた友人に裏切られた、と。
 ここは、わたくしが一発殴ってお説教を……空気を変えて……ああ、でも……それができる心情ではない。
 殿下の味方でいてあげたいのに。
 自分でも、思っていた以上にショックを受けている。
 手が震えて、カップがソーサーに軽く接触したカチャカチャという音で我に帰るほど、動揺している。
 いけない、これでは淑女失格だわ。
 ちゃんと叱って、軌道修正してあげなければ。
 ここで殿下の手を離すわけには――。

「殿下。……はあ……ヒメナ様に移入しすぎではありません?」
「そ……そんなことは……」
「いいえ、移入しすぎですわ。少し距離を置かれることを進言いたします。そんなことを口走るあなたでは、なかったでしょう?」
「も、もちろんだ。そんなこと……今まで思ってもいなかった。……いや、そうか……はあ……」

 ソーサーごと、カップをテーブルに置く。
 手を握りしめて震えをごまかしながら進言すると、殿下も自分の口走ったことに動揺を隠せずにいる。
 だからだろう、自分がなにに“毒されている”のかを理解した溜息を吐く。

「ユリッシュ、殿下はヒメナ様と距離を取って元に戻ってくださるわ。今の失言は許して差し上げて」
「え……あ、ああ、もちろん。そうだよね」
「も、もちろん。すまなかった、ユリッシュ」
「ロゼリアにも、だよ。エルキュール」
「そ、そうだな。ロゼリアも……すまなかった」
「結構ですわ」