月が青く染まる夜に

ためらいはあった。
だけど、思い切って隣に歩みを進めてみる。

「お疲れ様です」

もう一度声をかけると、かなり驚いたように目を丸くした迅和くんがこちらを振り返った。


「…お疲れ様です」

「あの、今日気づいて。迅和くんのキーホルダー」

「え?」

意外そうな声を出して、彼は自分のリュックについているものだと悟ったのか、ああ、と納得したような顔をした。

「ガチャガチャでコンプしたんです」

「そんなのあるんだ?」

「はい。僕、信号機が好きなので、コンプするまで課金しました」

思わず吹き出してしまった。

「そっか。好きだから、この仕事を?」

「はい」

初めて、この時に彼の笑った顔を見た。
口角を上げるというより、目尻が下がる笑い方。
事務所では見ない顔。

少しだけ、胸が跳ねた。


「夜の信号機、すごく綺麗なので。大好きなんです」

視線は相変わらず信号機を見ているが、案外、話しかけてみるとちゃんとレスポンスしてくれるということに嬉しさが込み上げる。

その気持ちを知られないように噛み締めていると、迅和くんが思い出したようにぼそりとつぶやいた。

「佐藤さんとちゃんと話すの、初めてかもしれないです」

「うん…そうかも」


苗字が佐藤だから、私のことはみんな「紗菜さん」と呼ぶ。
もしかしたら、これまでも彼には苗字で呼ばれていたんだろうか。それさえも記憶になかった。

初冬の寒い風に身をすくめて、ジャケットのポケットに両手を突っ込む。
彼も同じようにポケットから手を出さなかった。

マフラーは…まだいらない。
でも、夜になった時だけ分かるふわりとした白い息。
これから寒くなる予感がした。

そして────

視線が合うことは、たぶん、この時は一度もなかった。