月が青く染まる夜に

迅和くんが半歩下がると同時に、目の前にあったキーホルダーも少し遠くなった。

「すみません。音楽はやめましょう」

イヤホンをまた指に巻きつけようとしている彼に、ほとんど無意識に「ううん」と首を振っていた。


────だって、まだ、近くにいたい。

「絡まったらまたほどいて。大丈夫だから」

素直にはなれないけど、いま出せる勇気。

息を飲む前に、迅和くんがすぐに巻きかけたコードを緩める。そして、さっきと同じように片方のイヤホンを差し出してきた。

そっと受け取ってまた耳にかける。


どちらともなくまた歩き出した。
さっきより、少しだけ距離が近いまま。
私たちの歩幅は、いつの間にか揃っていた。

川面がきらめく。
青信号の日曜は、まだ始まったばかりだ。



••┈┈┈┈••


商店街の角を曲がったところで、私が立ち止まる。

「……あ」

ガラス張りの小さな店。
白い外壁に、くすんだグリーンの扉。

窓辺にドライフラワーが吊るされていて、手書きの黒板に“本日のキッシュ”と書いてある。


「ここ、気になってたお店!」

言ってから気づく。
明らかに、迅和くんのテイストではない。

彼はというと、まじまじと黒板のメニューを眺めている。

「キッシュ……?ガレット……?」

おそらく彼にとっては未知数の名前なのだろう。
はてなマークがちゃんと可視化されそうなくらい、分かってない顔をしていた。

迅和くんはお店と私を見比べた。

「…僕、入って大丈夫な店ですか」

「それは、なに基準?」

「場違い感とか…」

「大丈夫だよ。…たぶん」

不安定な“たぶん”に笑う。
会社よりも、よく笑ってくれる気がした。