月が青く染まる夜に

「昼間の研修が嘘みたいですね。別世界に来たみたいです」

ぽつりとつぶやいた迅和くんのその声は、昼間の会議よりも低くて、夜に溶けるみたいに柔らかい。

だけど、このふたりの空気はどこか硬い。
その理由はたぶんお互いに分かっている。


「────敬語」

視線は足元に落としたまま、思いついたことを言うしかなかった。
隣で首をかしげるのが気配で分かる。

「敬語?」

「敬語、いつ、やめてくれるの」

「……僕、わりと誰にでも敬語ですよ」

「違うよ!」

勢いで顔を上げたものの、彼の目は見れない。

「片桐さんには、そうじゃなかった」

「あぁ、それは前の職場の同期だったんで…。言ってなかったんでしたっけ?」

こんな時に、のらりくらりと。胸が、痛い。

「聞いたよ。迅和くんじゃなくて、片桐さんからね」

「なんだ、じゃあ別にいいじゃないですか」

「今、その話してないよね」

「え?」

この人は、計算でやってるんじゃない。
それは分かっている。全部分かっている。きっと不器用なんだというのは、もうとっくに知っている。

その上で、私は早口にまくし立てた。

「迅和くんは、ずるいんだよ。私より年上のくせに。ずっと敬語使って、壁作ってさ。言ってほしい言葉もくれないしさ。年末にふたりで会ったのだって、浮かれてたのは私だけ。私だけなの、いっつも。迅和くんにはそういうの見えない」

「……ごめん。敬語をなくせばいい?」

「だから、違うんだって!」

否定しているうちに、目が合ってしまった。

たぶん、彼はずっと私を見つめていたのだろう。
まっすぐ迷いなくこちらを見ている。

逃げない目。
私の言いたいことを理解しようとしている目。
それが、余計に苦しい。

「なんでそんなに落ち着いてるの?」

「僕、落ち着いてるように見えます?」

「敬語!」

「あ、ごめん。落ち着いてるように見えるなら、それは違うって言いたくて…」