「どれみふぁそみど。」
校内にピアノの音が響き渡る。
私はこの音が大っ嫌いだ。
家には小学生男子二人に赤ちゃん一人。そんな空間で勉強できるわけがない。喫茶店に行くお金も無し。塾に行きたいなんて言い出せない。放課後、学校に残って静かな空間で勉強するのが私のルーティンだったのに…………今年になっていきなり響きだしたピアノ。よりによって受験期。ムカつくムカつく。
相談した友達からは、作業用BGMみたいでいいじゃんと言われたが、ネットで音楽を聴きながら勉強すると身に付きにくいという情報を見た。この音があったら非効率だ。
家族が多いから学費の安い国公立に行かないといけないのに。給料が良い医者になるために医学部に行かないといけないのに。
色々試してみたけれど、ピアノの音はかなり強力。
音楽室から一番離れている科学準備室に行ってみるが……聴こえてくる。効果なし。
耳栓を使ってみるが……突き破ってくる。効果なし。
セミの鳴き声で紛らわせようと、セミのいる木の下に行ったが……暑すぎ、うるさすぎ。意味なし。
ノイズキャンセリングのイヤホンを買うお金は……ない。
もうこれしかない。
「先生! このピアノって誰が弾いてるんですか?」
担任の谷川先生に尋ねる。直接、苦情を言ってやる。
「一年生の花咲奏音さんよ。上手よね。」
花咲奏音か、覚えたぞ。
昼休み、音楽室。
いない、花咲奏音。
「あのー! 花咲奏音いますか?」
しんとしていた。
ピアノだけがそこにあった。
んもー。何でいないの。文句言ってやろうと思ったのに。
ピアノに近づく。
このピアノを壊せば、彼女はもう演奏できない。
いっそ壊してしまおうか。
椅子を持ち上げて、振りかぶる。
その時、近くに置かれていたおんがくドリルが目に入った。
懐かしい。
「ピアノは一生の友達」という言葉が胸をよぎる。
できない。
ピアノを壊すことは、私には無理だ。
本当はわかっていた。この時間に花咲奏音がいないことは。演奏が聴こえてくるのは決まって放課後だったから。
私は意気地なしだ。花咲奏音に直接注意する勇気はない。直接会う勇気も。
本当は羨ましかったんだ、彼女が。
音楽を聴きながら勉強をすると身に付きにくいとか別に思ってない理由をつけてピアノの音を嫌っていたが、違う。ただ彼女が羨ましかったんだ。好きにピアノを弾ける彼女が。
私は小さい頃、ピアノを習っていた。ピアノを弾くのが大好きだった。
小学校に入学したばかりで友達がいなかった私は、ピアノ教室の先生から言われた「ピアノは一生の友達よ」という言葉に救われていた。
しかし、中学生になって気づいた。ピアノを弾いても意味がないことに。ピアノで食べていける人なんて一握りなことに。
中学二年生になったとき、双子の弟が生まれた。裕福とは言えない家の子どもだった私は、ピアノを続けることができなかった。
それまでピアノしかやってこなかったが、一生懸命勉強して、県内で一番頭のいい高校に入った。ピアノはもう無理だから勉強をがんばろう。そう言い聞かせて頑張っていたが、いくら勉強を頑張っても心が満たされることはなかった。
高校二年生になったとき、妹が生まれた。進路は家から通える国公立一択になった。医者になっていっぱい稼ぐために、学部は医学部にしよう。
「○〇大学の医学部に行きたいです!」
嘘。
親にも先生にも言った嘘のセリフ。皆いいねと言ってくれた。いいと思ってないのは私だけ。
本当は音大に行きたかった。しかし、音大に通うとなると一人暮らしをしないといけないし、学費も高い。何より進路が不安定。行きたいなんて言い出せなかった。
そっとピアノに手を触れる。ひんやりとして気持ちが良かった。
導かれるように、ピアノ椅子に座り、鍵盤蓋を開ける。
鍵盤に指を置くと優しいピアノの音がぽろんと鳴る。
軽く音階を奏でると、背筋が自然にピンと伸び、口角が上がる。
楽しい。
ぽろんぽろんぽろん。
ショパンのノクターン。初めての発表会で演奏した曲。身体は覚えているようで、昔のように上手くはないが、指が勝手に動く。
楽しい。
楽しい!
楽しい!!
弾き終わったころには汗と涙とでびしょびしょだった。
それが何かおかしくて一人で大笑いした。
いつものように放課後が来る。
「どれみふぁそみど。」
相も変わらずピアノの音が響いている。
私はこの音が大っ嫌いだ。
校内にピアノの音が響き渡る。
私はこの音が大っ嫌いだ。
家には小学生男子二人に赤ちゃん一人。そんな空間で勉強できるわけがない。喫茶店に行くお金も無し。塾に行きたいなんて言い出せない。放課後、学校に残って静かな空間で勉強するのが私のルーティンだったのに…………今年になっていきなり響きだしたピアノ。よりによって受験期。ムカつくムカつく。
相談した友達からは、作業用BGMみたいでいいじゃんと言われたが、ネットで音楽を聴きながら勉強すると身に付きにくいという情報を見た。この音があったら非効率だ。
家族が多いから学費の安い国公立に行かないといけないのに。給料が良い医者になるために医学部に行かないといけないのに。
色々試してみたけれど、ピアノの音はかなり強力。
音楽室から一番離れている科学準備室に行ってみるが……聴こえてくる。効果なし。
耳栓を使ってみるが……突き破ってくる。効果なし。
セミの鳴き声で紛らわせようと、セミのいる木の下に行ったが……暑すぎ、うるさすぎ。意味なし。
ノイズキャンセリングのイヤホンを買うお金は……ない。
もうこれしかない。
「先生! このピアノって誰が弾いてるんですか?」
担任の谷川先生に尋ねる。直接、苦情を言ってやる。
「一年生の花咲奏音さんよ。上手よね。」
花咲奏音か、覚えたぞ。
昼休み、音楽室。
いない、花咲奏音。
「あのー! 花咲奏音いますか?」
しんとしていた。
ピアノだけがそこにあった。
んもー。何でいないの。文句言ってやろうと思ったのに。
ピアノに近づく。
このピアノを壊せば、彼女はもう演奏できない。
いっそ壊してしまおうか。
椅子を持ち上げて、振りかぶる。
その時、近くに置かれていたおんがくドリルが目に入った。
懐かしい。
「ピアノは一生の友達」という言葉が胸をよぎる。
できない。
ピアノを壊すことは、私には無理だ。
本当はわかっていた。この時間に花咲奏音がいないことは。演奏が聴こえてくるのは決まって放課後だったから。
私は意気地なしだ。花咲奏音に直接注意する勇気はない。直接会う勇気も。
本当は羨ましかったんだ、彼女が。
音楽を聴きながら勉強をすると身に付きにくいとか別に思ってない理由をつけてピアノの音を嫌っていたが、違う。ただ彼女が羨ましかったんだ。好きにピアノを弾ける彼女が。
私は小さい頃、ピアノを習っていた。ピアノを弾くのが大好きだった。
小学校に入学したばかりで友達がいなかった私は、ピアノ教室の先生から言われた「ピアノは一生の友達よ」という言葉に救われていた。
しかし、中学生になって気づいた。ピアノを弾いても意味がないことに。ピアノで食べていける人なんて一握りなことに。
中学二年生になったとき、双子の弟が生まれた。裕福とは言えない家の子どもだった私は、ピアノを続けることができなかった。
それまでピアノしかやってこなかったが、一生懸命勉強して、県内で一番頭のいい高校に入った。ピアノはもう無理だから勉強をがんばろう。そう言い聞かせて頑張っていたが、いくら勉強を頑張っても心が満たされることはなかった。
高校二年生になったとき、妹が生まれた。進路は家から通える国公立一択になった。医者になっていっぱい稼ぐために、学部は医学部にしよう。
「○〇大学の医学部に行きたいです!」
嘘。
親にも先生にも言った嘘のセリフ。皆いいねと言ってくれた。いいと思ってないのは私だけ。
本当は音大に行きたかった。しかし、音大に通うとなると一人暮らしをしないといけないし、学費も高い。何より進路が不安定。行きたいなんて言い出せなかった。
そっとピアノに手を触れる。ひんやりとして気持ちが良かった。
導かれるように、ピアノ椅子に座り、鍵盤蓋を開ける。
鍵盤に指を置くと優しいピアノの音がぽろんと鳴る。
軽く音階を奏でると、背筋が自然にピンと伸び、口角が上がる。
楽しい。
ぽろんぽろんぽろん。
ショパンのノクターン。初めての発表会で演奏した曲。身体は覚えているようで、昔のように上手くはないが、指が勝手に動く。
楽しい。
楽しい!
楽しい!!
弾き終わったころには汗と涙とでびしょびしょだった。
それが何かおかしくて一人で大笑いした。
いつものように放課後が来る。
「どれみふぁそみど。」
相も変わらずピアノの音が響いている。
私はこの音が大っ嫌いだ。



