未来の星を、ぎゅっと掴む。



 お腹の上の布を頭まで引き上げて、代わりにむき出しになってしまった足を、布の中に収めるために、もぞもぞと折り曲げる。
 布団の中にいると、世界が少し柔らかく見える、ような気がする。あらゆる現実に、薄い膜をかけて眺めることができるから。
 ピピピピッピピピピッ。
 九時に設定されたアラームが、無慈悲にその膜をはがす。本当の姿を現した現実は、無駄に大きなアラームの音とともに僕の心臓の鼓動を少し早めた。負けていられない僕は、指先でスマホの画面を押し込むと、アラームはあっけなく止まった。
 戦いを終えても変わらない現実を見て、こんな戦いに必死になっているのは自分だけだと呆れる。
 すぐに起き上がろうとは思えずに、布団の中で同期芸人たちの投稿を眺める。
《XYZお笑いグランプリ優勝しました!! 信じられないです!!》
 大会で優勝したらしい。トロフィーを掲げた写真、集合写真、打ち上げで行った焼肉屋での写真。コメント欄には祝福の言葉が並ぶ。
「……おめでとう」
 声に出す。心から思っている。嘘ではない。でも、胸の奥に小さな焦りと羨望が生まれる。
 ジリジリモヤモヤ。
 体の中がまっくろになる前に、渦巻く感情をひとまとめにして、ごくりと飲み込む。
 重たい身体を起こすと、横から明るい声が飛んでくる。
「おはようございます! 今日も顔、終わってますね!」
「朝一でそれか……」
 声の方を見ると、いつものように鼻歌交じりでコーヒーを淹れる青木(あおき)がいた。
「今日はちょっと濃いめです。」
「どうして?」
「売れてない芸人の朝の顔してたんで。」
「どういうこと?」
 二人で笑う。
 青木は距離が近すぎて、はじめのうちは戸惑った。でも今は、その距離感が心地いい。 
 青木から受け取った苦くて熱い液体を口に溜めて、その中で舌をひらひらと泳がせ、しばらくしてから飲み込む。胃まで流れ込んだ液体は、僕の瞼を軽くした。
 朝の光が先ほどよりも明るく感じられた。



「いらっしゃいませー」
 養成所の学費を稼ぐために始めたコンビニバイトは、生活の一部になっていた。何度か辞めようと思ったことはあったが、結局、辞められずにダラダラと働き続けている。
 途中から暇になったが、何もしていないのは何だか罪悪感があったので、アニメキャラクターの描かれたペットボトルだったり、お菓子棚に並ぶお菓子だったりを同じ向きに並び変えていた。
「おっすー、細谷(ほそや)~」
「え!? ユカタンさん! お疲れさまです!」
 そんなとき、お客さんとして来ていた、先輩のユカタン坂東(ばんどう)さんに声をかけられる。
「こんなところで何してるんすか!」
 ユカタンさんは、「上越(じょうえつ)のバラ」というコンビを組んでいる。ずっとお世話になっている先輩で上越のバラが今のように売れる前は、このコンビニによく遊びに来てくれていた。
「最近、おうてなかったやろ。ここ来ればおると思って。」
「住みついてるみたいに言わないでくださいよ!」
「いや、すまんすまん。細谷おもろいから、世間に見つかったら一発やろうな~ここで働く姿、見れんくなると思うと寂しいな~」
「僕としては早く売れたいですよ!」
 先輩からの期待が嬉しくも、ちょっとだけ苦しかった。
「あ、そうそう。昨日の夜、ここらへんでもクマ目撃されたらしいから気いつけてな。」
「まじっすか! こわっ! 気をつけます!」
 最近は、日本全国でクマの目撃情報が相次いでいて、夜は不要不急の外出を控えるように言われている。しかし、みんな他人事と思っているのか、変わらずに出歩いているようだ。僕もその一人だった。
「でも、どうせなら、勝ちたいよな~」
「どうせならってなんすか! てか勝とうと思ってるのユカタンさんだけですって!」
 銃でクマの胴体をバキューンと打ち抜く自分を想像して、やめた。クマと会ったら死んでしまうかもしれないのに、なのに、自分だけは大丈夫だろうとみんなが思いながら普通に生活している。
 ユカタンさんはその後も適当に話をしたあとに、たばこを買って帰っていった。
 相変わらずやることはないので、商品の向きをそろえる作業に戻る。

「お先に失礼しまーす。」
 店を出ると、夜風がひゅーと頬をなでた。少し冷たい。
上を見上げると、欠けているのに自信満々に輝いている月と目が合って、気まずくなって目をそらした。
「ただいまー」
「おかえりなさーい!」
 青木と住んでいる古めかしい木造アパートに戻ってくる。
 靴を脱いで、一直線でソファに向かう。あまり反発してこないそれにドスっと腰掛け、ネタ帳を開く。しかし、ペンを握っても、まるでペン先が重力に引かれたみたいに動かない。白いページが目に眩しい。
 同期の活躍、先輩からの期待。焦りの感覚が胸に広がる。
僕は大きな水たまりの真ん中で波紋一つ描かずに立ち止まっている。いや、止まっているというか、置き去りにされている感覚だ。
「向いてないのかな……。」
 顔なじみの言葉を「もう出てくるな」と追い払い、再びノートに目を落とす。空白の主張がうざったくて、前のページに戻る。
「これ、おもしろ!」
 いつのまにか背後にいた青木に話しかけられる。
「本当?」
「はい!オレは好きです!」
「売れるかは?」
「わかんないです!」
「そこは嘘ついてよ。」
 にーっといたずらっぽく笑う青木につられるようにして僕も笑う。
 目線をそらすと、青木の腕にある不自然な傷が目に入った。四本並んだそれを見て、何の傷だろうか、と思う。痛々しかったが何かの勲章にも見えてかっこよかった。
 青木にはよくわからない部分がある。
 部屋の奥に置かれた大きな工具箱も、よくわからない。あたかも有名人ですよ、みたいな顔をして、知らない人の名前を出してくるのも、よくわからない。コンビニバイトのとき以外は何をしているのかも、よくわからない。
 でも、それもそれで青木らしいと思った。何か秘密を抱えている。それが何かはわからないけれど、今の僕には不可解な青木の存在が心地よくもあった。

 せまい部屋の中を歩き回っても、久しぶりにお湯を張った浴槽に浸かっても、冷蔵庫にあった青木の缶チューハイを飲んでも、ネタは思い浮かばない。
 気分転換のために外に出る。冷たい空気をいっぱいに吸い込んで肺を満たす。繁華街の明かりを背に、細い道を抜けて公園へ向かう。
 明るい時間帯は、相方とのネタ合わせでよく来るこの公園も、夜に来るのは初めてだった。
 ジャングルジムを握るとひんやりしていて気持ちがよかった。頬を軽くくっつけると、鉄の臭いが鼻を抜ける。なんだか懐かしい気持ちになった。
 てっぺんまで登ると、夜を所有したような気持ちになる。小学生の頃、ジャングルジムに登るのが学校で一番早くて、ジャンジムキングと呼ばれていたことを思い出した。
 上を見上げると、きらきらぴかぴかお星さま、は見えないけれど、きっと真っ暗なこの空の奥では自由に輝いているのだろう。ふふ、とこぼれた笑みが風にさらわれてしまう前に、そこからジャンプした。足がジーンと痛んで、生を実感する。
 なんだか誇らしい気持ちのまま、背の順に三つ並んだ鉄棒の、一番のっぽな子に触れて、夜に浸る。
 風の音、遠くで聞こえる車の音、犬の鳴き声。
 その中に、何か異質なものが紛れ込んでいる、気がした。ぐにゃりとした違和感。でも、何も見えない。ただの夜の公園だ。
 「まあ、東京だし」と謎の理由で自分を納得させ、歩き出す。それでも、心の片隅で何かがざわついていた。背筋をくすぐるような、得体の知れない気配。それは、見えないけれど確実にそこにある、そんな感じがした。
 家に帰る途中、足元の影に気を取られる。木の枝が揺れるたびに、影が人型のように見えた。バクバク鳴っている心臓から、何かが起きる前触れのようなものを感じる。
 家に戻り、ネタ帳を広げる。胸の中には、さきほどのざわめきがまだ残っている。恐怖というより、遠足の前日の布団の中にいるときのような、未知の何かに出会う予感のような、ワクワク感だった。
 心臓が心地の良いリズムを刻んでいる。この高鳴りを何と呼ぶのか知りたかった。

 気づけば、二時間ほどが過ぎていた。
ネタ帳を閉じ、窓の外を見る。街灯の光がアスファルトに長く影を落としている。
 ソファの上で仰向けになりながら、昔のことを思い出す。
 高校一年生の頃、両親を事故で亡くした。
 その日から、部屋に閉じこもり、天井を見つめる日々が続いた。その頃の世界は無味乾燥で、僕は重い空気に包まれて生きていた。生きている理由がなかった。生きていていいのかもわからなかった。
 でも、偶然かけたテレビに映ったキングオブマンザイが、僕の世界を変えた。
 画面の向こうで知らない誰かが、知らない誰かを笑わせている。漫才師の声、お客さんの笑い声、それらが夢と希望のようなものに化けて、僕の胸に差し込んだ。
 気づけば僕も笑い声を漏らしていた。生きていてもいいのかもしれない。久しぶりに心が動いた。
 その日以来、僕は芸人を志すようになった。その目標は、「夢」というより、「救い」に近かった。お笑いが、僕をまた外の世界に連れ出してくれたのだ。
 もちろん、芸人活動は簡単ではない。ネタは浮かばず、ライブも思うようにいかない。お笑いだけでは食べていけない。同期が結果を出すたび、焦りも生まれる。でも、諦めたくなかった。諦める気にならなかった。
 お笑いをやりたい!
 小さい、けれど明るい光は、僕の中でたしかに輝いている。だから、今日も僕はペンを握り、ネタ帳に向かう。まだ足りないものは多いけれど、歩き続ける理由は確かにある。
 


 散歩に出たあの日から、夜のあの公園がどうも気になってしまう。僕の足は自然と公園に向かっていた。
 この前、触れた鉄棒の下が微かに歪んで見える。近づこうと、おそるおそる足を上げた瞬間、空気が変わった。風が静まり、街のざわめきが遠のく。反対に、僕の心臓の音はどんどん大きくなっていた。
 すると、先ほど何もなかった場所に毛に覆われた巨体が現れた。体長二メートルほどだろうか。鋭い爪と牙を持つその生き物の四肢が力強く地面を踏み込む。動きは遅いが、迫力は圧倒的だ。
「……クマ?」
 そう呟く口とは裏腹に、直感は違うと告げていた。ただのクマと考えたいが、目の前の存在は異様すぎる。
 ばすーーん。
 かすかに銃声の音が聞こえたような気がして、音のするほうを見ると、無表情で銃を構えている青木がいた。銃口から光が走り、クマ(仮)の胴を貫いた瞬間、体が大きく崩れ落ちる。青木は冷静かつ的確に相手の動きを読む。
 目の前に広がる非日常な光景のせいで、自分の知っている青木とのギャップに戸惑うことすらできない。できることは、息をのんで戦いを見ていることだけだった。最近、密かにハマっているヒットマン映画を観ているようだった。
 ドンッ。
 ほぼ音を立てずに銃口から発せられた銃弾が何発か命中すると、クマ(仮)は倒れ、灰のようになって消えていった。
 公園に静寂が戻る。
 青木は深呼吸をして、銃をおろす。僕と目の合った青木は少し笑ったが、そこにいつもの明るさはなかった。
「これ、仕事なんです。あ、さっきの怪物はケミっていうんですけど……」
「か、かっこいい。」
 思わず口から出た。高鳴る胸の鼓動が収まらない。なんだ、さっきの。もちろん恐怖はあったが、戦う青木のことは心からかっこいいと思った。
 青木は、僕の言葉に驚きながらも、話を続けた。
「信じてもらえないと思うんですけど、実はオレ、未来から来たんですよ。ケミを倒すために。」
「そっか。」
 青木は未来人だった。なんだかすんなり納得できた。気になることはいっぱいあるが、青木のほうから話してくれるまで聞かない方がいい気がして、ありきたりな相槌を打った。
 日常のすぐ隣に、映画みたいな非日常が潜んでいる。夜の公園に、静かに光が差している。非日常の匂いと日常の匂いが混ざって、それを吸い込んだ鼻からは、くしゃみが出そうだった。
 僕は青木と並んで歩き始めた。
「あ、そういえば、この前の百円まだ返してなかったよね。ごめん。」
「絶対、今じゃないでしょ! 細谷さん変なところで律儀ですよね! 家のトイレットペーパーとかは全然交換しないのに!」
「だって、青木が替えてくれるでしょ。」
「もー!」
 青木はいつものように笑っていて、少し安心した。

 つけっぱなしのテレビからあふれる光、床に散らかるネタ帳、机の上のコンビニのレシートの山。家に帰ると、先ほどのことは嘘だったかのように、いつも通りの部屋がおかえりなさいと僕たちを迎える。しかし、さっきの公園での出来事が頭の中で再生される。たしかに現実で起きたことだった。
「細谷さん、ちょっといいっすか?」
 ソファにいる青木が手招きする。声に微かな緊張が混じっている。僕は青木の隣に腰を下ろす。
「細谷さんにはちゃんと話しておこうと思って。さっきも言ったけど、オレ、未来から来たんです。2050年の。」
 こんな会話したことないから正解の返事がわからず、先ほどのように、「そっか」と返す。
「2050年では、ケミはどんどん増えてて、あ、ケミってさっきの怪物です。それで、そのケミが人々を襲ってるんです。2027年の今は、目撃されたり、被害が出ても、クマだと思われていて、別の生き物としては認識されていないっぽいんすけど、未来ではケミのニュースばっかりですね。」
「そっか。」
「んで、ケミは、夜の間だけあの公園の鉄棒の下から出てくるんですよ、今は。未来では全国各地、二十四時間、色んなところで現れるようになっちゃって。今は、一体ずつ出てくるんですけど、未来だと何体も出てきちゃってて。厄介ですよね。ミチグっていうケミを倒す職業もできちゃったり。オレも一応ミチグなんすけど。」
「そっか。」
「あ、鉄棒を壊しても無駄っすよ。ちょうどあの場所から出てくるだけで、鉄棒のせいじゃないっぽいです。だったら目印として残しておいた方がいい。」
「そっか。」
「あ、それと、オレ肉体改造してるんすよ。大事なもの守るためにこっち来てケミ倒してます! 数の少ない今のうちから倒せば、抹消できるかもなので!」
 青木はぎこちない笑顔をごまかすように、ピースして見せた。僕は、相変わらず「そっか」と返して、ついでに拳を出した。青木は先ほどよりも上手な笑顔で、「勝とうとしないでくださいよ」と笑った。



 朝、目覚めると青木はもうバイトに行っていたから、自分でコーヒーを入れて飲んだ。薄すぎたから、一口だけ飲んで、残りは排水溝に捨てた。
 ライブまで時間があったが、早めに劇場に向かおうと自転車にまたがる。
 劇場に着くと、同期のピン芸人・三井(みつい)ひさしぶりがスマホをいじっていた。
「三井っ、お疲れ!」
「おー!細谷じゃん!ひさしぶり!」
 いつ会っても、「ひさしぶり」と言う三井は、舞台上ではなぜか「ひさしぶり」をこすらずに、スラムダンクネタ一本で勝負している。
「そいえば最近、タカ元気ないみたいだけど、なんかあったん?」
 三井は、僕の相方である相馬(あいば)隆司(たかし)とシェアハウスをしている。
 僕ら「おそらく春風(はるかぜ)」は劇場には所属できているものの、なかなか結果を出せずにいた。周りの人から、相馬が解散したがっているという話を聞くこともあった。
「細谷、三井、おつかれ~」
 噂をしていると相馬が到着する。肩まであったはずの黒髪は、耳上の金髪ショートになっていた。三井も知らなかったらしく、二人でおどろく。
「どうしたの、それ?」
「それって? あ、髪? イメチェンよ、イメチェン。」
 次は、改名する、などと言い出しそうで怖くなった僕は、強引にネタ合わせに誘った。
「おそらく春風さーん、手売りの時間ですよー」
 廊下でネタ合わせをしていると、スタッフに呼び出される。
 ロビーに出ると、長い列ができていた。祝日だからかお客さんが多い。
「ルルコノツノから買われる方~!六(ろく)ノ段(のだん)から買われる方~!オネエチャンから買われる方~!週刊(しゅうかん)青春(せいしゅん)から買われる方~!」
 スタッフが列を分けていく。先日、XYZお笑いグランプリで優勝したルルコノツノの前にはいつもよりも長い列が伸びる。
 僕たち、おそらく春風の隣には、後輩である高松とすずぴから成る「ドの音(おと)」が立っている。
「ドの音から買われる方~!」
 スタッフの呼び出しと同時にたくさんの人がドの音の前に並び始める。ドの音はネタの面白さに加えて、積極的なSNS運用、保育園からの幼馴染だという仲の良さ、二人のビジュアルの良さなどから多くのファンがいた。結成わずか三年ながら、前回のキングオブマンザイでは準決勝まで進出しており、今年は決勝まで駒を進めるのではないかと言われている。
「おそらく春風から買われる方~!」
 数人のお客さんが僕たちの前に集まる。ほぼ顔なじみで、「今日はお友達と一緒ですね」だとか「今日、制服じゃないんだね」だとか「この前、差し入れでいただいたお菓子おいしかったです」だとかの他愛のない会話をしながら、いつものようにチケットにサインを書いて渡し、一緒に写真を撮る。いつもと違うことと言えば、お客さんたちが相馬のイメチェンに驚いていることぐらいだった。
 今日のライブもいつものように若干ウケて、安心していたら、次の出番のドの音がもっと大きな笑い声を搔っ攫っていって、すごいなあなんて思っていたら、最後のエンディングで勝手にボケた相馬が大スベりをかまして、相方だからツッコんだほうがいいのに、うまくツッコめなくて、凹んだ。
 芸人仲間たちが、楽屋でしばらくネタにしてくれていたことだけがありがたかった。

「あ゛ーーーーー! 死ね死にたい死ね死にたい死ね死にたい死ね死にたい。」
 恥ずかしかったことを思い出すと、思ってもいない汚い言葉をつぶやいてしまう。辞めたいと思っているが、勝手に口からこぼれる。
「うおお、ダークサイド細谷だ。」
 青木はもう慣れているように、そう言って笑う。その対応がありがたい。
 ちょっとだけ気持ちの整理がついて、ライブの感想を読もうと、「おそらく春風」で検索をかける。
 [譲] おそらく春風
 [譲] おそらく春風
 [譲] おそらく春風
 しかし、出てくるのは、今日、入場特典で配られたランダムステッカーの取引ツイートばかりだった。スマホを置き、はぁ、と大きめの溜息をこぼす。
「ねえ、未来で僕たちの名前って聞く? 売れてる? てか解散してない?」
 聞くべきではないとわかってはいるものの、どうしても気になってしまう。
「むやみやたらに未来のこと話しちゃダメなんすよね! きっと、売れてる売れてる!」
 そんな青木の返答にがっかりしながらも、未来を知るのが怖い自分もいて、心のどこかで教えてくれないことをわかっていたから、僕はこの質問をしたのだろうなと思った。
「このままやりたいことやってていいのかな……。」
 思わず不安を漏らす。
「まあ、命かかってないだけいいじゃないですか!」
相変わらずの笑顔でそう言う青木の言葉が励ましなのか嫌味なのかわからず、苛立つ。
「何それ、嫌味?」
「いや、嫌味じゃないですよ。本心、本心。」
「こっちは本気で悩んでるから、そんな言い方されるとちょっとイライラするかも。」
「これがオレのデフォなんですって。どうすればいいんすか?」
 笑顔の青木が、人差し指でテーブルをトントン叩く。
「へらへらせずに真剣に話してほしい。」
 青木の笑顔が引きつり、人差し指の動きが早まる。
「ふっ。笑ってないと、自分が壊れちゃうんですよ……。オレは……やりたくないんですよ、こんな仕事。」
「え?」
「死にかけて、気づいたら改造人間になってて、いきなり過去に行けって言われて。身体は壊れなくても、心はもうボロボロなんですよ。本当は守りたいものなんてなくって、でもこの命は無かったはずの命だから断ることもできなくて。あ、言いましたっけ? オレ、ケミに襲われて死にかけのところを助けられて、勝手に改造されたんです。まあ、改造されなきゃ助からなかったんですけど。だから感謝はしてるんです。だからこそ、断れなくって。技術は今よりも進歩してるんですけど、過去に行けても、未来には行けないんです。どういうことかわかりますか? 過去に行ったらもう、自分の時代には帰れないんですよ。ケミが現れはじめた時代に行って倒していけば、抹消できるかもしれないって言って、送り出されたんですけど、多分無理っすよね。だってずっと出てくるんですよ、あいつら。どこから来てるかもわからないのに。こんな無意味なこと続けて、何になるんですかね。なんでオレがこんなことしなきゃいけないんですかね? どうせなら、感情まで改造してもらえればよかったのに。ずっとぐるぐるぐるぐる色んなこと考えちゃって。ただケミを倒すだけの兵器だったらもっと楽だったでしょうね。あ、あと細谷さんと仲良くしたのだって、チョロそうだったからで。無賃なんですよね、この仕事。だから、シェアハウス相手探して、家賃ちょっとでも減らしたくて。あ、これは言わなくても良かったかもですね。すみません。あれ? 喋りすぎちゃってますか、オレ? あはは。」
 無表情で言葉を並べた青木は、バタンと大きめな音を立てて扉を閉め、外へ出た。
 しーーーん。
 静寂がうるさすぎて、部屋に取り残された僕は耳をふさぐことしかできなかった。

 結局、その後は何も手につかず、布団にもぐり目をつむる。しかし、寝られるわけはなく、頭の中で青木との出会いを再現した。
 去年、店長の思い付きで行われたコンビニバイトの忘年会。気が乗らなかったが、半ば強制的に参加させられた。芸人だから何か面白いことを言えだの、テレビで見たこと無いなだの、好き勝手言われて、正直、早く帰りたかった。
 僕に飽きたみんなが「二次会どうする?」と話している中で、「この後、映画見に行きませんか?」と謎の誘いをしてきたのが、まだ新人だった青木。今までシフトの時間が被っていなかったため、話すのはこの日が初めてだったが、初対面とは思えないぐらい話が弾んだ。青木と仲良くなりたくて、一緒に映画を観に行った。その映画の登場人物たちがシェアハウスをしていた、という軽いノリでシェアハウスをすることになった。
 言い出しっぺは青木だった。チョロそうだと思われていたのだろうか。先ほどの言葉が今になって心臓に突き刺さる。でも、青木との毎日は本当に楽しくて、出会えたことが嬉しくて、この日常を失うのは嫌だった。このままだとそんな日常が無くなってしまうかもしれない。なんだか嫌な予感がして、布団から出た。

 あの公園を目指して走る。
 昔から勘だけは良かった。この嫌な予感を見てみぬふりしたらずっと後悔してしまいそうな気がして、足を速める。
「青木!」
 思わず叫ぶ。そこには、四体のケミに囲まれた青木がいた。
「何してるんですか!! 危ないっすよ!!」
「ケミって一体ずつ出てくるんじゃなかったの!?」
「そうだったんですけど……これは異常事態です!!」
「……あ! 左!!」
 声を上げる。青木はすぐに反応し、銃を左に向ける。ケミが倒れる。
 右、後ろ、左。夢中になって叫ぶ。青木は僕の声に従って、上手く攻撃をかわしながら銃を放つ。
「あ!」
 三体目を倒したところで、青木が体勢を崩し、銃が手から離れる。ずずず、と地を擦った銃が僕の足元で止まる。撃つしかない。そう思った。
 しかし、僕とケミと青木は一直線上にいる。ここからだと青木に当たってしまうかもしれない。銃を拾い上げ、隣のジャングルジムに足をかける。無我夢中でてっぺんまでのぼる。上から狙いを定めて、銃を放つ。ほぼ音のしない銃から発せられた弾は、偶然ケミに命中したようで、地面が大きな音を立てる。
「ジャンジムキングを舐めるな!」
 興奮からか、決め台詞のようなものを叫んでしまう。
「ありがとう……助かりました。」
 青木は疲れた笑みを見せる。瞳の奥は少しうるんでいた。
 撃った。我に返り、腕が震える。これまでの日常では味わえなかった、緊張感と達成感が混ざった感覚に包まれる。
 僕は乱れた息を整え、青木は深呼吸をする。
 二人で並んでゆっくりと歩いて帰る。
 日常と非日常が交錯する中で、昨日までの日常が少しずつ形を変えはじめた、気がした。

 いつもの家に戻ってくる。青木はソファに腰掛け、銃を隅に置き、深く息を吐いた。瞳には微かに疲労の色がある。
「ごめんっ! さっきの発言、自分勝手だった。青木の気持ちも知らずに、あんなこと言って、本当にごめん!」
 青木は、僕には想像できないぐらい大きなものを背負っていて、きっと、それはとても重くて、少し間違えたら潰されてしまうのだろう。先ほどの、自分の発言を思い返して、心臓がぎゅっとした。
「こっちこそ、好き勝手しゃべっちゃってごめんなさい。……羨ましかったんです、好きなことしてる細谷さんが。羨ましくて、それで、めっちゃ素敵だったんです!」
 その言葉で、芸人になろうと決めた日のことを思い出す。そうだ、大人が何かに本気になっているところに惹かれたんだ。何の希望もなかった僕にとって、一つのことに対して本気になって涙を流したり汗を流したりしている人たちが、とても眩しく見えた。お笑い一本に人生をかけ、必死に生きている芸人さんたちを見て、とても素敵だと思った。
「……ありがとう、青木。君がいると、少し前向きになれるよ。」
 僕は何度も青木の言葉に救われている。
「オレもです。さっきはチョロそうとか言っちゃって本当にすみませんでした。細谷さんと話す時間はすっごく楽しくて、細谷さんと出会ってからは細谷さんが暮らしてるこの世界を守りたいって思いながら戦ってました!」
「それは大げさでしょ。」
 なんだか照れてしまって、首を下げる。
「あ! 照れてるでしょ! 細谷さんって、照れ隠しするとき下向きますよね!」
 目だけで上を見ると、にーっと笑っている青木と目が合った。
「細谷さん、オレの腕の傷とか、部屋にあった工具箱とか気づいてたでしょ? あれ、ワザと隠してなかったんです。気づいてほしかったのかもしれない。」
 膝の上に置かれた人差し指と中指をクロスさせながら青木は言う。
「青木は照れ隠しするとき指クロスさせるよね。」
「ちょっとはずいっす。」
 何だかおかしくなって二人で笑う。
 二人の距離がもっと縮まった気がした。



《細谷、大事な話あるんだけどちょっと時間取れる?》
 次の日、相馬に呼び出された。嫌な予感はしていた。
「細谷、俺、芸人辞めるわ。だから、解散しよ。」
「わかった。」
 予想していたその言葉に、大げさな反応をしてしまいそうで、どう反応すればいいかわからなかった。一度は断るはずだったのに、次の大会までは頑張ってみようと言うはずだったのに、そんな言葉は出なかった。
「自分勝手なのはわかってる。でもずっと続けてると壊れちゃいそうで、怖いんだ。」
 相馬は、基本的にふざけているから、真剣な顔に少しびっくりする。そのギャップで青木を思い出す。一緒に飲みに行って話を聞いたり、おもしろいネタを書いたり、自分にできたことがもっとあったかもしれない、と唇を噛む。
「あ! 細谷のせいではないからそこは気にしないでな! お前のネタ面白いし、一緒にお笑いやれて楽しかった!」
 僕の心を見透かしたようにそう言った相馬は、また明るい顔に戻った。
「まあ、消えるわけじゃないから! 今度は客として観に行くな! あ、売れたら何かおごれよ!」
「うん。」
 ああ、もうここで僕たちは終わるのか、とどこか他人事のように思った。解散への後ろめたさより、解散しようと相馬に言わせてしまった申し訳なさの方が大きかった。
 結成八年でおそらく春風は解散した。

 家に帰って、ソファに腰を下ろすと、相馬との出会いや、劇場に所属できた時のうれしさ、これまでの努力など、思い出がぐるぐると頭をめぐる。遅れてやってきた、寂しいやら、悲しいやら、後悔やらの気持ちでお腹がひっくり返りそうになる。
 でも、心の奥底で、どこか冷静な自分もいる。これは新しい挑戦の始まりかもしれない。
「ただいま!」
 バイト終わりの青木が僕の横に座る。
「今日も疲れた顔してますね!」 
 そう言って笑う青木の笑顔が、あたたかかった。
「さっき相方と会ってきて……僕たち解散することになった。」
「……そっか……でも、いいんじゃないですか? 前に進むチャンスだと思えば!」
 青木の言葉に、胸の奥が少し軽くなる。
「一緒にコンビ、組まない?」
 思わず口にした言葉に、青木が少し驚きの表情を見せる。
「……ネタ、考えましょうか!」
 その答えに、僕は小さく笑った。
「あ! あと今度から僕も一緒に戦うから! この前ちょっと才能あるなって思ったんだよね!」
「え!?」
 先ほどよりも驚いた様子の青木に、おもしろくなって笑う。
 日常の中で、戦いも夢も、すべてを共有できる相手が隣にいる。それだけで心が少し軽くなる。
 窓際で夜の街を見下ろしながら、未来を想像する。芸人活動も、ケミとの戦いも、日常としてずっと続いていくだろう。でも、隣に青木がいる限り、やっていける気がした。



「今日、何食べたいっすか?」
「うーん、ラーメンとか?」
「ここらへんに新しいラーメン屋できたっぽいですよ!」
「いいね!行きたい!」
「じゃあ、こいつらさっさと片づけて行きましょ!」
「青木、右来てる!」
「あっぶね!あざす!」
 二人の日常は、戦いと夢、笑いと責任が混ざり合った独特のリズムで続いていく。
 売れない芸人としての葛藤も、ケミを倒すという使命も、どちらも二人の人生を形作る要素だ。
 日常は繰り返されるけれど、その中で少しずつ、二人の関係は深まり、未来は少しずつ希望を帯びていく。
 今日も、僕たちは生きている。
 笑いながら、戦いながら、共に。