朝一にファイリングして店舗の方へ回す新着物件情報に印刷漏れを見つけて、私は追加してプリントした用紙を手に階段を下りる。
家主が複数社に物件相談を持ち込んだ場合、こちらへ回ってくる情報にはダブっていることがあり、その精査ミスで一件抜け落ちていたみたいだ。別に明日の分と一緒にしても良かったのだけれど、気分転換も兼ねて事務所から少しだけ脱出したかった。デスクワークも無心になれていいけれど、たまには外の空気を吸いたくなる。
「いらっしゃ……」
入り口の自動ドアが開いて反射的に声を掛けてきた店長が、客ではなく私だったと気付いてデスクのパソコンの前で苦笑いしている。
カウンターで接客中の飯塚さんは若い男女を相手に二人暮らし用の物件を紹介していた。ぱっと見た感じ、同棲か新婚のどちらかだろうか。
プライベートな空間はそれぞれが確保したいという二人は、独立した部屋が二つ以上ある物件の家賃が予定より高かったらしく、部屋探しはかなり難航しているようだった。
飯塚さんも妥協案で広めの1LDKの物件を勧めてみているが、そうじゃないと首を横に振られていて困惑している。
ネットで他社の物件情報を見たらもっと安いのがあったと主張されているが、残念ながらそれはうちでは扱いがない。というか、その物件が本当にまだ残っているのかも怪しい。
店舗に問い合わせたら「さっき決まってしまいましてー」と言われて、別の物件を紹介されるのがオチだろう。いわゆるサクラ案件の可能性が高い気がする。
私は今持ってきたばかりの物件情報がまさに彼らの希望通りだったと気付き、同僚の脇を突いてからそっとファイルを差し出した。
「わっ、いいじゃないですか、これ! ご希望のエリアとは少し離れてしまうかもしれませんが、もうこれしかないですよ。早く押さえないと、絶対すぐ決まるやつですよ」
間取りはバッチリです、と私から受け取ったばかりの物件情報をカウンターの上に置いて、飯塚さんがほぼ勢いで勧め始める。
二人が指定していた路線とは違ったみたいだけれど、間取りに対する家賃は割と低め。家賃の安さの理由は築年数がかなりあるせいだろう。だけど、リノベーション工事が終わったばかりだからきっと内装は問題ないはずだ、と。
今見たばかりの紙一枚でよくそれだけのセールストークが口につくものだと、私は飯塚さんのことを密かに見直した。
私がショップを出ようとした際、カウンター前に座っていた二人が荷物を手に立ち上がろうとしていたのは、飯塚さんの勢いに負けて物件を見に向かうことにしたからだろう。
社用車の鍵を店長から受け取っていた飯塚さんが、私へ向けてグッジョブとでも言うようにこっそり親指を立てて見せた。しっかりお役に立てたようで良かった。
そう、恭平がいなくなってしまっても、私と綾斗の生活は何も変わりはしない。私には毎日の仕事もあるし、息子をこれからも育てていくという使命がある。
彼は再会してすぐ当然のことのように、綾斗の認知と養育費について提案してくれたけれど、私はいまだにそれはどちらも保留にしたままだった。彼の立場を考えてしまうと、簡単に受け入れていいのかが判断できなかったからだ。
でも、やっぱり住む世界が違う人だったと再認識してしまった今、そんなことも全て忘れてしまおうと決めたところ。息子と二人、今の給与でやっていけないわけじゃないし。だから一日も早く元の生活を思い出して、綾斗と二人で必死に生きていくしかないのだ。
夕方のお迎えの時間になり、ママチャリで息子の保育園へと向かうと、園舎からは子供達の元気な声が外からも聞こえていた。すれ違った保護者と挨拶を交わしつつ、年少の保育室を覗いてみれば、綾斗は最近よく遊んでいるという女の子と積み木で何か要塞のようなものを創り上げていた。
「綾斗、帰ろう」
「えーっ、せっかく作ったのに……」
帰るならお片付けをと言われて、綾斗がグズり始める。かと言って、たくさんの積み木をお友達一人で戻すの大変だし、私は息子に「もう時間だから」とか「帰りにスーパーに寄ろうかなって思ってるんだけどなぁ」などと言って宥めるが、なかなか納得してはくれない。
結局は樋口先生に助けを求め、作った物と一緒に写真を撮ってから片付け始めるということで落ち着いた。連れ帰るだけでも一苦労だ。
保育園から帰ってきたばかりの息子が、私が玄関ドアの鍵を開けている際に、奥隣をちらりと気にしたのに気付く。すでに荷物も何もない空き部屋になっているのが分かっているから、もう「パパは?」とは聞いてはこないけれど。
綾斗が寂しがっているから、なんて理由を付けて私から連絡を取ることだってできるけれど、自分の中のもう一人の自分がそれはしちゃダメだと止めてくる。スキャンダルの渦中にいる恭平にとって、私達の存在は危険だと分かっているからだ。
あれからスマホで検索してネットニュースでも記事を読んだ。大手企業との癒着という面で批判の矢面に立たされているのは主に地方議員だという政治家で、恭平が今どんな状況なのかを知ることはできなかった。
家主が複数社に物件相談を持ち込んだ場合、こちらへ回ってくる情報にはダブっていることがあり、その精査ミスで一件抜け落ちていたみたいだ。別に明日の分と一緒にしても良かったのだけれど、気分転換も兼ねて事務所から少しだけ脱出したかった。デスクワークも無心になれていいけれど、たまには外の空気を吸いたくなる。
「いらっしゃ……」
入り口の自動ドアが開いて反射的に声を掛けてきた店長が、客ではなく私だったと気付いてデスクのパソコンの前で苦笑いしている。
カウンターで接客中の飯塚さんは若い男女を相手に二人暮らし用の物件を紹介していた。ぱっと見た感じ、同棲か新婚のどちらかだろうか。
プライベートな空間はそれぞれが確保したいという二人は、独立した部屋が二つ以上ある物件の家賃が予定より高かったらしく、部屋探しはかなり難航しているようだった。
飯塚さんも妥協案で広めの1LDKの物件を勧めてみているが、そうじゃないと首を横に振られていて困惑している。
ネットで他社の物件情報を見たらもっと安いのがあったと主張されているが、残念ながらそれはうちでは扱いがない。というか、その物件が本当にまだ残っているのかも怪しい。
店舗に問い合わせたら「さっき決まってしまいましてー」と言われて、別の物件を紹介されるのがオチだろう。いわゆるサクラ案件の可能性が高い気がする。
私は今持ってきたばかりの物件情報がまさに彼らの希望通りだったと気付き、同僚の脇を突いてからそっとファイルを差し出した。
「わっ、いいじゃないですか、これ! ご希望のエリアとは少し離れてしまうかもしれませんが、もうこれしかないですよ。早く押さえないと、絶対すぐ決まるやつですよ」
間取りはバッチリです、と私から受け取ったばかりの物件情報をカウンターの上に置いて、飯塚さんがほぼ勢いで勧め始める。
二人が指定していた路線とは違ったみたいだけれど、間取りに対する家賃は割と低め。家賃の安さの理由は築年数がかなりあるせいだろう。だけど、リノベーション工事が終わったばかりだからきっと内装は問題ないはずだ、と。
今見たばかりの紙一枚でよくそれだけのセールストークが口につくものだと、私は飯塚さんのことを密かに見直した。
私がショップを出ようとした際、カウンター前に座っていた二人が荷物を手に立ち上がろうとしていたのは、飯塚さんの勢いに負けて物件を見に向かうことにしたからだろう。
社用車の鍵を店長から受け取っていた飯塚さんが、私へ向けてグッジョブとでも言うようにこっそり親指を立てて見せた。しっかりお役に立てたようで良かった。
そう、恭平がいなくなってしまっても、私と綾斗の生活は何も変わりはしない。私には毎日の仕事もあるし、息子をこれからも育てていくという使命がある。
彼は再会してすぐ当然のことのように、綾斗の認知と養育費について提案してくれたけれど、私はいまだにそれはどちらも保留にしたままだった。彼の立場を考えてしまうと、簡単に受け入れていいのかが判断できなかったからだ。
でも、やっぱり住む世界が違う人だったと再認識してしまった今、そんなことも全て忘れてしまおうと決めたところ。息子と二人、今の給与でやっていけないわけじゃないし。だから一日も早く元の生活を思い出して、綾斗と二人で必死に生きていくしかないのだ。
夕方のお迎えの時間になり、ママチャリで息子の保育園へと向かうと、園舎からは子供達の元気な声が外からも聞こえていた。すれ違った保護者と挨拶を交わしつつ、年少の保育室を覗いてみれば、綾斗は最近よく遊んでいるという女の子と積み木で何か要塞のようなものを創り上げていた。
「綾斗、帰ろう」
「えーっ、せっかく作ったのに……」
帰るならお片付けをと言われて、綾斗がグズり始める。かと言って、たくさんの積み木をお友達一人で戻すの大変だし、私は息子に「もう時間だから」とか「帰りにスーパーに寄ろうかなって思ってるんだけどなぁ」などと言って宥めるが、なかなか納得してはくれない。
結局は樋口先生に助けを求め、作った物と一緒に写真を撮ってから片付け始めるということで落ち着いた。連れ帰るだけでも一苦労だ。
保育園から帰ってきたばかりの息子が、私が玄関ドアの鍵を開けている際に、奥隣をちらりと気にしたのに気付く。すでに荷物も何もない空き部屋になっているのが分かっているから、もう「パパは?」とは聞いてはこないけれど。
綾斗が寂しがっているから、なんて理由を付けて私から連絡を取ることだってできるけれど、自分の中のもう一人の自分がそれはしちゃダメだと止めてくる。スキャンダルの渦中にいる恭平にとって、私達の存在は危険だと分かっているからだ。
あれからスマホで検索してネットニュースでも記事を読んだ。大手企業との癒着という面で批判の矢面に立たされているのは主に地方議員だという政治家で、恭平が今どんな状況なのかを知ることはできなかった。



