***
「ん……」
なんだろう、この独特な匂い。
鼻を掠めるのが、何かの薬品の匂いだと気づいて私の意識は覚醒した。
きょろきょろと視線だけを動かす。どうやら自分が病院のベッドに寝かされていると気づく。カーテンの隙間から見える外の風景は真っ暗だ。夜、なんだろう。
私、どうして病院に……。
混乱する頭をなんとか動かして、直前の記憶を手繰り寄せる。
確か、学校からの帰り道に誰かからの視線を感じて、はーちゃん先生の家に駆け込んだ。
ピアノを弾いて心を落ち着かせようとしたけれど五線譜が消えて、譜面が真っ白になって……。
「うっ……」
そうだ。そこで意識が途切れたのだ。
再びめまいのようなものを感じて、吐き気が込み上げる。枕元に設置されていた洗面器に胃の中のものを吐き出すけれど、胃液しか出てこなかった。
そのままナースコールを押すと、看護師さんがやって来た。
「回転性のめまいのあとに、失神してしまったようですね。簡単に検査をしますね」
言われるがままに、体温や血圧を測られて、問診を受ける。
胃液を吐き出すと、多少めまいが落ち着いた。
「おそらく、強いストレスによるめまいだと思います。明日、先生に診てもらいましょう」
「分かりました」
看護師さんが出ていったあと、すぐに母親がやって来た。ずっと病院で待機してくれていたのだろう。
「茉白、もう大丈夫なの? 福原先生から連絡を受けて慌てて飛んできたわ。さっきまで先生も一緒だったんだけど、遅くなりそうだったからお帰りいただいたけど」
母は心配そうに眉根を寄せた。それもそうだろう。一人娘がピアノのレッスン中に倒れて病院に運ばれたのだから。
「心配かけてごめん。たぶんもう、大丈夫……」
何がどう大丈夫なのかと聞かれたら、それはたぶん、めまいや倒れたことに関して、だ。
それ以外のことは……正直大丈夫な気はしない。
「そう、それなら良かったわ。あ、そういえば翠ちゃんのことなんだけど」
母は、カーテンの隙間から覗く外の暗闇を見つめながら言う。
「翠ちゃん、見つかったそうよ」
「……え?」
信じられない言葉に、思わず耳を疑う。反射的に、雪乃さんから送られてきた画像がフラッシュバックする。母は、にこにこと笑みを浮かべながら今度は私を見つめた。その笑顔に、どういうわけか底知れない気味の悪さを覚えた。
「翠ちゃんが見つかったって本当!?」
ガバッと身体を起こして、前のめり気味に母に聞き返す。
「ええ、本当よ。自宅の前でね。まっしろでだいじょうぶだったわ」
「!!」
にぃぃぃぃっと唇の端をピエロのように持ち上げる母は、私の知っている母じゃなかった。
まっしろでだいじょうぶ
その言葉が、何度も頭の中で反響する。
まっしろでだいじょうぶ
だいじょうぶですよ
耳元で、誰かが囁く。不意に頭をよぎったのは、Xのポストで「白」というアカウントのリプだ。
確か、あの「白」ってアカウント、翠ちゃんのXのポストにもリプを送ってなかった……?
気づいた途端、全身が粟立ち、自分自身をぎゅっとかき抱く。母は相変わらず笑顔を浮かべたまま私を見つめていた。
みつけた
あの言葉は……”翠ちゃんを見つけた”という意味ではなかったのかもしれない。
みつけた
「白」が見つけたのは、翠ちゃんではなくて私だった、の、かも。
ひゅっと風を切るような音が耳を撫でて、私は再びくらりとめまいを覚えた。
普通なら慌てて「大丈夫!?」と声をかけてくるはずの母が、なおも薄気味の悪い笑みを浮かべているのを、霞んでいく視界の中で捉えたのだった。
「ん……」
なんだろう、この独特な匂い。
鼻を掠めるのが、何かの薬品の匂いだと気づいて私の意識は覚醒した。
きょろきょろと視線だけを動かす。どうやら自分が病院のベッドに寝かされていると気づく。カーテンの隙間から見える外の風景は真っ暗だ。夜、なんだろう。
私、どうして病院に……。
混乱する頭をなんとか動かして、直前の記憶を手繰り寄せる。
確か、学校からの帰り道に誰かからの視線を感じて、はーちゃん先生の家に駆け込んだ。
ピアノを弾いて心を落ち着かせようとしたけれど五線譜が消えて、譜面が真っ白になって……。
「うっ……」
そうだ。そこで意識が途切れたのだ。
再びめまいのようなものを感じて、吐き気が込み上げる。枕元に設置されていた洗面器に胃の中のものを吐き出すけれど、胃液しか出てこなかった。
そのままナースコールを押すと、看護師さんがやって来た。
「回転性のめまいのあとに、失神してしまったようですね。簡単に検査をしますね」
言われるがままに、体温や血圧を測られて、問診を受ける。
胃液を吐き出すと、多少めまいが落ち着いた。
「おそらく、強いストレスによるめまいだと思います。明日、先生に診てもらいましょう」
「分かりました」
看護師さんが出ていったあと、すぐに母親がやって来た。ずっと病院で待機してくれていたのだろう。
「茉白、もう大丈夫なの? 福原先生から連絡を受けて慌てて飛んできたわ。さっきまで先生も一緒だったんだけど、遅くなりそうだったからお帰りいただいたけど」
母は心配そうに眉根を寄せた。それもそうだろう。一人娘がピアノのレッスン中に倒れて病院に運ばれたのだから。
「心配かけてごめん。たぶんもう、大丈夫……」
何がどう大丈夫なのかと聞かれたら、それはたぶん、めまいや倒れたことに関して、だ。
それ以外のことは……正直大丈夫な気はしない。
「そう、それなら良かったわ。あ、そういえば翠ちゃんのことなんだけど」
母は、カーテンの隙間から覗く外の暗闇を見つめながら言う。
「翠ちゃん、見つかったそうよ」
「……え?」
信じられない言葉に、思わず耳を疑う。反射的に、雪乃さんから送られてきた画像がフラッシュバックする。母は、にこにこと笑みを浮かべながら今度は私を見つめた。その笑顔に、どういうわけか底知れない気味の悪さを覚えた。
「翠ちゃんが見つかったって本当!?」
ガバッと身体を起こして、前のめり気味に母に聞き返す。
「ええ、本当よ。自宅の前でね。まっしろでだいじょうぶだったわ」
「!!」
にぃぃぃぃっと唇の端をピエロのように持ち上げる母は、私の知っている母じゃなかった。
まっしろでだいじょうぶ
その言葉が、何度も頭の中で反響する。
まっしろでだいじょうぶ
だいじょうぶですよ
耳元で、誰かが囁く。不意に頭をよぎったのは、Xのポストで「白」というアカウントのリプだ。
確か、あの「白」ってアカウント、翠ちゃんのXのポストにもリプを送ってなかった……?
気づいた途端、全身が粟立ち、自分自身をぎゅっとかき抱く。母は相変わらず笑顔を浮かべたまま私を見つめていた。
みつけた
あの言葉は……”翠ちゃんを見つけた”という意味ではなかったのかもしれない。
みつけた
「白」が見つけたのは、翠ちゃんではなくて私だった、の、かも。
ひゅっと風を切るような音が耳を撫でて、私は再びくらりとめまいを覚えた。
普通なら慌てて「大丈夫!?」と声をかけてくるはずの母が、なおも薄気味の悪い笑みを浮かべているのを、霞んでいく視界の中で捉えたのだった。



