「はぁ……」
今日だけで、何回ため息をついただろう。
部活でのことにくわえて、滅多にしない母との会話、エトセトラ……。
諸々にどっと疲れて、持っていた荷物を適当に部屋の隅に置いて、僕は重力に任せてベッドにダイブした。
母は一年のうち、ほとんどなにかしらの……主にハリウッドでの撮影や舞台に出ている。
なので拠点は必然とハリウッドに置いていて、父も一緒に住んでいる。
それなのに僕が日本で一人暮らしをしているのは、両親……特に母の近くにいたくないからに他ならない。
だって、
だって僕には、演劇の才能がないから……。
「……嫌なこと思い出した……」
ぼんやり、天井を眺める。
白いそこを眺めているだけなのに、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
あー……こんなこと、考えるのはやめよう。
考えたって意味がない。
だって、どうしようもないんだから。
そんなことより、
「明日の部活のこと考えなきゃ……」
こっちの方が、大事だ。
そう自分に言い聞かせて、思考を切り替える。
夏の全国大会は、中学の演劇大会の中で一番大きな大会だ。
各地域の大会を勝ち抜いてきた10校が集まって、それぞれ1時間演技をする。
過去、何回もうちの学校も最優秀賞を受賞している大会だ。もちろん、今年も目指すのは最優秀賞だ。
だから、僕も気を引き締めないといけない。
でも、
「……集中できない……」
メガネの下から、目を両手で覆い隠す。
帰ってくるまであったはずのやる気が、今はどこかへ行ってしまった。
……きっと、あの人のせいだ。
くそ……、何でこんなタイミングで帰ってくるかな。
心の中で罵るだけ罵って、ゴロンと僕は体を横に向けた。
重力に任せて、沈む体が心地いい。
そのままの姿勢で、何気なしに見た視線の先にあったのは、先ほど母から無理やり渡された紙袋だった。
縦長のそれは、瓶が一本ぴったりおさまるサイズのもので、実際に何かしらの瓶が入っているのか、持ったらそれなりの重さがある。
「……旧校舎の稽古場かぁ」
母も、あの話を知っているんだろうか。
あの人もあそこの演劇部に所属していたから、知っていても不思議ではない。
あの話というのは琴華中学校の七不思議の一つ、『旧校舎の演劇部稽古場に出る幽霊』のことだ。
旧校舎にある、かつて演劇部が使っていた稽古場。
その一角に、神棚が祀られている。
この神棚にグレープジュースを供えて稽古場の舞台で演技をすると、幽霊が出てきて演技を上手くしてくれる。
……という話だ。
歴代の演劇部出身者で、有名になった役者の多くが、この幽霊に会って演技が上手くなったと噂されている。
ちなみに、母もその一人だ。
そういえば、この話を初めて聞いた時に、何気なく母に聞いてみたことがあったっけ。
その時ははぐらかされてしまったけど、知っているから神棚に供えてこいって言ったんだろう。
「……まさかなぁ……」
じっと、僕は母から渡された紙袋を見つめる。
神棚に供えてこいなんて、まるで、本当に母も幽霊にあったことがあって、代わりにお礼参りに行けと言っているみたいだ。
……馬鹿らしい。
そんな非現実的なこと、あるわけない。
あそこには、幽霊なんか出ない。
身をもって経験済みなのだから、間違いない。
そう。
僕は身をもって経験している。
入学式当日、式が終わるや否や、藁にもすがる思いで僕はこの幽霊に会いに行ったのだ。
でも……結果はこの通り。
演目が悪いのかと思って、幾つも試した。
時間帯がいけないのかと思って、色々な時間で試した。
グレープジュースがいけないのかと思って、色々なメーカーのグレープジュースを供えた。
でも、全部ダメだった。
何をやっても、幽霊は僕の前に現れることはなかった。
だから、自信を持って言える。
稽古場の幽霊なんて嘘っぱちだ。
……でも、だからと言って頼まれたことをやらないのは違う気がする。
「仕方ない……」
明日、朝一行ってくるか。
グッと、僕は寝ていた体を起こして伸びをする。
ぐるぐるぐるぐる、いろんなことを考えすぎて、疲れてしまった。
こんな時は、好きなことに没頭するのが一番だ。
今なら、集中できる気がする。
僕はベッドから降りると、カバンからロミオとジュリエットの台本を取り出して、机に広げて腰を下ろした。
台本の中は、赤や黒であれこれ書き込んでいるので、だいぶヨレヨレだ。
正直、別に開く必要はない。台本の内容は、隅から隅まで頭に入っているから。
でも、僕はこの時間が大好きだ。
台本を開くたび、新たな発見があるから。
「舞台は花の都、ヴェローナ……」
冒頭の序詞役のセリフから、ゆっくり目を通す。
明日はうまくやろう。頭の片隅でそう思いながら。
