日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。

 今年最後のホームルームが終わった瞬間、教室の空気がいっせいに軽くなった。
 机の上に置きっぱなしのプリントが、「おつかれ~」って顔をしてる。
 みんなの声も、椅子の音も、ちょっとだけ大きい。

 窓の外は、冬の夕方の色だった。
 まだ授業が終わっただけなのに、世界が、もう夜の準備してますって雰囲気。

「なー、冬休みさ、みんなで遊ばん?」

 森田陽太が、イスに浅く座ったまま言った。
 その声だけで、教室のざわざわが、遊びのわくわくに変わる。陽太って、そういうスイッチを持ってる。

「イルミ行きたくない?」
 女子がすぐ乗る。

「いや、カラオケでしょ」
 男子が負けじと言う。

「ゲーセンも捨てがたい!」
「プリ撮る?」
「冬休みって最高じゃん!」

 案が飛び交って、言葉がボールみたいに跳ねる。
 あたしはその中にいるのに、ちょっとだけ外側にいるみたいだった。笑ってはいる。たぶん。顔の筋肉は動いてる。

 さやが、腕を組んで言った。

「よっしゃ、いろいろ案出たし、多数決でよくない?」 

「出た、しきりたがり」って誰かが笑う。
 さやも口元だけ笑って、でもちゃんと全体を見ている。よく見てる子。

 陽太は、あたしの方を見ない。
 それが、ありがたいような、ちょっとだけさみしいような。

 そのとき。

 男子のひとりが、わざとらしく肩をすくめて言った。

「じゃあさー、好きな人いるやつも連れて来いよ」

 教室が、いっせいに「うわ」って顔になって、でも笑う。
 その「うわ」は、止めるためじゃなくて、面白がるための合図みたいなやつ。

 さらに、追撃が来た。

日向野(ひなたの)、例の“話せなかった人”も呼べば?」

 ……きた。
 その言い方、軽いのに刺さる。紙で指を切ったみたいに、あとからじわっと痛い。

「うわそれ言う?」
「言うなってー」
「でも気になるじゃん」

 笑いが混ざって、空気がまた、ちょっとだけ「前」に戻ろうとする。

 さやが、あたしを見た。
 でも何も言わない。
 ただ、目だけで「どうする?」って聞いてくる。

 あたしの口が、勝手に笑いの形になりそうになった。
 いつものクセ。
「ちがうちがう!」って言って、へらへらして、場を流して、そして燃えるやつ。

 へらへらしてたら、また燃える。
 今日は、言う。

 胸の奥で、昨日の決意が指でトントンって叩いてくる。
「ここだよ」って。

 あたしは、笑いそうになった口を、いったん閉じた。
 息をひとつ、ちゃんと吸う。
 声が迷子になってもいい。迷子のままでも、歩けばいい。

 教室の真ん中で、話題のボールがあたしに向かって転がってくる。
 それを拾い上げて、あたしは立ち上がった。

 みんなの目が、いつもより少しだけ丸い。

 ……大丈夫。
 今日は、言う。

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 あたしは机の横をすり抜けて、教室の前の方へ歩いた。
 黒板の近く。みんなの視線が一気に集まる場所。
 こういうときの視線って、スポットライトっていうより、日光を集める虫メガネ。熱い。

「え、なに、日向野? 告白かー?」

 誰かが笑いながら言った。

 あたしは、にこっと笑顔で返す。
 でも、逃げる笑いじゃない。止めるための笑い。

 息をひとつ。
 声を出す前に、心臓が「今! 今!」って小走りで前に出てくる。うるさい。君はいつも早い。

 あたしは、できるだけ明るい声にした。怒ってないよ、っていう声。
 怒ってないから、逃げ場がない声。

「ねえ、みんな。盛り上がるのは分かる!」

 教室が「おっ」って顔になる。
 陽太が口を開けたまま止まってる。さやも、まばたきが少し遅い。

「あたしも、自分のことじゃなかったら気になっちゃうと思う!」

 数人が、気まずそうに笑った。
「ばれてる」って笑い。
 でもその笑いは、さっきより小さい。

 あたしは、そこで一拍置いた。
 たった一拍なのに、教室の空気がスッと背筋を伸ばすのが分かった。

「でも、この話はここで終わり!」

 言った瞬間、誰かの椅子がカタンって鳴った。
 その音が、やけに大きい。
 みんなの笑いが、途中で止まる。

 あたしは続けた。ちゃんと、最後まで言う。今日は逃げない。

「あたしの恋の話は、あたしが話したいときに話す。以上!」

 以上、って言った自分に、ちょっと笑いそうになる。
 先生みたい。いや、なんかの演説?
 でも、これでいい。線を引くって、たぶんこういうことだ。

 少しだけ、口元がやわらかくなる。
 ちゃんと言えたっていうことで、緊張がほどけた。

「あっ、それと……決めつけないでください」

 ……言っちゃった。
 自分で言って、内心で「あ」ってなる。
 その言葉、どこかで聞いたことがある。しかも、わりと最近。しかも、いつも静かな声で。

 あたしは、最高の笑顔を作った。
 作ったというより、作らないと恥ずかしさで倒れそうだった。

「ねっ?」

 教室が、しん……となった。
 誰かが「はい」って言いそうな静けさ。誰も言わないけど。

 次の瞬間、空気が一歩引いた。
 さっきまであたしの周りに寄ってきてた視線が、ちゃんと距離を取る。
 痛くない距離。

「……ごめん」って、誰かが小さく言った気がした。
 はっきり聞こえたわけじゃない。たぶん、空気がそう言った。

 さやが、息を吐いて、いつもの笑い方をした。
 でも、目が少しだけ丸い。
 陽太は、頬をかいて、困ったみたいに笑った。
 男子のさっきの子は、「えー」って言いかけて飲み込んだ。

 あたしの胸が、じわっと軽くなる。
 成功体験って、こういう音がするんだ。心臓が静かになる音。

 あたしは、黒板の前からくるっと向きを変えた。
 話題のボールを、別の場所に投げ直すみたいに。

「で、どこ行く? イルミ? カラオケ? 多数決しよ!」

 教室の空気が、ぱちんと切り替わった。
 今度のざわざわは、ちゃんと冬休みのざわざわだった。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 放課後のチャイムが鳴ると、教室の空気は一気に“帰るモード”になる。
 机の脚がガタガタ鳴って、カバンのファスナーが一斉に走って、誰かの消しゴムが床で転がって。
 さっきまで「多数決!」って盛り上がってたのに、みんな切り替えが早い。人間って便利。

「じゃ、イルミ案はとりあえず保留ねー!」
「カラオケ強いって!」
「ゲーセン派、地味に多くない?」

 廊下に出ると、別のクラスの声も混ざって、世界がちょっと広くなる。
 あたしはカバンの肩ひもを直しながら、下駄箱の方へ流れていく集団の中に入った。

 近くにさやがいる。陽太もいる。
 みんな、普通にしゃべって、普通に笑ってる。
 “普通”って、今日はちゃんとできてる気がした。

 そのとき。

 横から、ほんの小さな声が落ちた。
 落ちたっていうのに、あたしの耳の中では、ちゃんと跳ねる。

「よかったです」

 久住くんだった。
 下駄箱へ向かう途中、すれ違いざま。
 大きく言わない。誰かに聞かせるためじゃない。
 でも、あたしには聞こえる距離。

 あたしは歩きながら、息を一回だけ整える。
 止まったら、また声が迷子になる気がしたから。

「ありがと。……久住くん」

 なぜか、自然に返事をすることができた。
 いままで悩んでいたのがうそみたい。

 久住くんは、いつもの顔のまま、ほんの少しだけ目を動かした。
 うなずいたのか、うなずいてないのか。ぎりぎり。
 でも、その曖昧さが、今日はちょうどよかった。

 人の波が、下駄箱へ向かってゆっくり押す。
 靴箱の前で、誰かが「上履きどこいった!」って騒いでる。
 さやが「落ち着け」って言って笑ってる。
 陽太が「誰だよ靴かくしたの」って、ふざけてる。

 あたしは、その全部を背中で聞きながら思う。

 釣り合うとかじゃなくて。
 似合うとかでもなくて。

 ただ、落ち着く。

 それで、いい。

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 家に着いたとたん、体の力がほどけた。
 玄関でコートを脱いで、靴下のまま自分の部屋に滑り込む。
 ベッドにカバンを投げて、あたしはスマホを手に取った。

 画面がつく。
 その光だけで、胸がちょっとだけドキッとする。

「……送信先」

 口に出して確認する。
 まず一回。

 トークの名前。
 アイコン。
 ももの変なスタンプが、最後に残ってる。

 ……よし。

 でも、念のため。
 もう一回。二回目。

「……もも。うん。もも」

 自分で言って、自分で笑いそうになる。
 あたし、学習した。すごい。人類の進化。

 短く打つ。
 言い訳はしない。今日は、ちゃんと終わらせたい。

『今日はちゃんと言えたよ』

 送信。
 指がふるえない。
 そこが、今日いちばんの勝利かもしれない。

 すぐに既読がついて、間を置かずに返事が来た。

『やっと好きって言えたか』

「言ってないよ!」

 思わず声が出た。
 誰もいない部屋に向かってツッコミを投げるあたし。さみしくない。全然。

 あたしは指で、むきになって打つ。

『好きなんて言ってないよ!』

 返事は、速い。速すぎる。
 もも、今スマホ握って待ってたでしょ。

『まだなの? ようやく解放されると思ったのに! もう2年近くうだうだ聞かされる身にもなってよね!』

「うだうだって言うな!」

 でも、笑ってしまう。
 画面の文字なのに、ももの声で聞こえるからずるい。

 あたしは、枕をひとつ抱えて、ちょっとだけ小さくなる。
 そして、素直に打った。

『ごめんて……』

 送信先を、もう一回だけ見る。
 もも。
 ちゃんともも。

 ……よし。

 スマホをベッドに置くと、さっきより部屋が静かに感じた。
 でも、その静けさは、いやなやつじゃない。

 あたしは天井を見上げて、息を吸う。
 吐く。

「……言えた」

 好き、はまだ言えてない。
 言えるときが来るかも、わからない。

 でも、今日はちゃんと言えた。

 それで、今夜は十分。